音楽教育に関する雑記です。「◯◯について教えて!」と言われて「◯◯について教えるよ!」と対応するのは教育ではありません。この考え方は学生時代に師匠から教わったことそのものです。
情報が無い人は質問できない。だから真正面から相手をしても何も解決しない。
この記事ではレッスンに関するエピソード、良い先生と悪い先生の見分け方についての様々なお話を書いておきます。もしかしたらギャグ漫画のネタにできるかもしれません。
(2023年5月9日更新)
- ■はじめに
- ■生徒の疑問は解決策なのか?
- ■以下本題にいきます
- ■DTM、コンピューター音楽のレッスンでの話
- ■「生還した軍用機」という教訓
- ■問題を再定義する
- ■お客様(レッスン受講者)の注文は本当に正しいのか?
- ■巨大教育システムの限界
- ■安易な答えと自分を結びつける
- ■相手の立場を理解しない人
- ■ダメな先生の見分け方
- ■アプリケーション等のデザイン仕事の場合
- ■岡田斗司夫の場合
- ■「2台目の掃除機を買う時の質問」
- ■まとめ
■はじめに
この記事はまず私の学生時代の管楽器レッスンの話からスタートします。
後半ではこのブログの趣旨に戻り、DTM・コンピューター音楽の話に置き換え、私が行っているレッスンの方針について書きます。
「なんだ、ラッパの話かよ」と思わず、ぜひ読んでみて欲しいです。私が生きてきた中で経験した様々な分野の知識をまとめた渾身の記事ですよ!
■生徒の疑問は解決策なのか?
学生時代、私がホルンのレッスンを毎週受けることになった時の話です。
私は先生に対し、レッスン目的についてこう言いました。
「僕は今の自分の◯◯が悪いと思っている。その点を改善したいので教えて欲しい。」
すると先生は「なぜ君は◯◯が原因だと断言できるの?」と返してきました。これは極めてベスト返答であり、本物の指導者のふるまいです。
未熟な指導者は「◯◯はこうすると改善するよ」という機械敵な反応をしてしまいます。そもそも提示された問題点は実は問題点ではなく、本質的な解決に至ることはありません。
なおこの質問は「多重質問の誤謬」であり、質問された側は質問内容にまっすぐ答えてはいけません。(詳しくはリンク先でどうぞ。)
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悪い例も紹介しておきます。
それまでにも何人もの専業のプロ奏者からの指導を受けてきましたが、ほぼ全ての先生は「◯◯は△△すると良いよ」という具合で、生徒の質問にそのまま従ってしまいます。これは教えるという行為について未熟だからです。
このように、未熟な先生は生徒の質問で動かされてしまいます。
DTMレッスンで言うと「コード進行とミックスを教えてください」という人が非常に多いです。しかし、そのほとんどはメロディの書き方とアレンジの不備であり、コードやミックスという安易な単語に対するケアでは問題は解決しません。
質問者は「曲をより良い仕上がりにしたい」と望んでいるのであって、必要以上の複雑なコード理論や、アマチュア音響として過剰な水準のミックス技術を求めているわけでもありません。
なお、私のDTMレッスンで「コードやミックスを教えて」という人にコードやミックスを教えたことはありません。
・知らない概念を教えるのがレッスン
話を戻します。私が過去に受けたホルンレッスンの話です。
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その先生のレクチャーでは、
- みんな◯◯が必要だと思いこんでいるだけ
- ◯◯という言葉だけが普及しすぎている
- 自己分析が正しいとは限らない
- すべてを一度壊すべきだという勘違い
- 基礎能力は十分に備わっているが、行使方法がおかしい
- 全く知らなかったテクニックが存在する
というお話をしてくれました。
説明が前後しますが◯◯に入るのは「アンブシュア」という専門用語です。
アンブシュアというのは、金管楽器を演奏する時の口の形のことです。
(画像はバジル・クリッツァー氏の記事より引用)
野球で言えばピッチャーの投球フォーム、バットの構え方やスイング軌道のことです。
ペンの持ち方、歩く動作フォームなど、動作の基本となる「構え方」のことです。
ラッパを演奏する時の口の構え方が「アンブシュア」です。
田舎の中学生でもアンブシュアこそが大事だと考え、常に悩んでいます。
ひとりひとり違う形をした自分の体のフォームのことなので、参考にできる人はこの世に誰もいません。唇の形、それを支える歯ならび、顔と顎形状と筋肉の付き方。
金管楽器の演奏技術を教える困難さは、金管楽器の演奏で最も重要な口の中の様子を目で確認できないからです。
「プロはこうしている!」というのを外見で真似できたとしても、『口の内部の構え』は分からないからです。
この点においてバイオリンなどの弦楽器や、ピアノなどの鍵盤楽器の奏法は全て目に見えるので、技術体系化が非常に洗練されていると言えます。
(追記)
バジル氏の公開レッスン動画で、初心者(という年齢でもないが、技量的には未熟)が誤った認識や、古いメソッド、机上の理想論で軽く反論するシーンがあります。
初心者が自分で集めた美しい知識の範囲では「避けるべき奏法」こそがその個人に向いているということを瞬時に実証していくすばらしいレッスンを展開しています。
逆に言えば、本を読めば書いてあるレベルの知識を右から左に流すだけのレッスンは無価値だということです。
個人の特性(身体と知識)に対して、次に向かうべき方角を示すのが良いレッスンです。
それはトリビア的な珍妙な知識の披露でもないし、押し付けでもありません。あくまでも個人を診断した上で「今のあなたに必要な栄養素はこれ」と示すことです。
・技術チェックを根拠にする
先生は私の技術力チェックを開始しました。
「高い音を出してみて」
「低い音を出してみて」
「大きいのを」
「小さいのを」
そして一言、「全部できてる。アンブシュアには何も問題無い証拠。あとはそれらをつなぐためのテクニックを知るだけで良い。」とのことでした。
そして具体的なテクニックについてのレッスンが始まりました。
・金管楽器での3オクターブ跳躍
金管楽器演奏における「3オクターブの跳躍音」というレッスンです。
(具体的な技術内容についてはここでは書きません。)
(※楽譜は実音表記、ピアノの鍵盤での音域です。)
低いFも高いFも、曲の中じゃないなら多くの人が出せる音域です。
その両方をそこそこ出せるのであれば、すでにアンブシュアには問題は無い、というのが先生の考え方でした。
あとは跳躍の奏法を正しく覚えて、曲の中で的確に使うだけなのだそうです。
つまり先生が言っているのは、
- 多くの奏者の問題はアンブシュアではない
- 技術を知らないだけ
ということです。
■以下本題にいきます
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以上が私が金管楽器のレッスンを受けていた時のエピソードです。
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以下、本題へ。
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■DTM、コンピューター音楽のレッスンでの話
ではここからは音楽、DTMの話です。
・ほんとにコード理論のレッスンを受けたいの?
レッスン希望者からよく聞く言葉があります。
- 音楽理論を学びたい(コード、和声)
- ミックスを覚えたい
という2つのワードがあります。
この2つって、よく初心者界隈でよく目にする言葉なのですが、音楽を作る上でそれほど重要なことなのかな?と私は考えています。
なんとなく皆が言っているから「コードを学びたい」「ミックスを上達したい」と口をそろえているだけなのではないでしょうか?
身につけるべきはコード理論でもミックスの技術でもなく、魅力的かつ機能的なメロディの書き方と、ミックス可能なアレンジ制作。そしてそれらをセンスに頼らず作り続けることができるプロのワークフローだと思うんです。
(作業の手順と、その作業の時に注目するべき要素と時間の使い方です。有料レッスンで教えている内容だから細かくは書けないけど。 )
なお、コード理論を覚えるコツは暗記です。
1日1つ暗記すれば1ヶ月で30のルールを暗記できます。
暗記というゴリ押しを嫌がる人には「丸暗記より効率が良い方法は存在しない」とだけ言っています。
たしかに丸暗記は非常率的で根性論です。現代では嫌われる古いメソッドです。しかし、基礎の基礎をちゃんと丸暗記しておくことでその先が恐るべき速度で進められるようになります。
丸暗記で基礎理論を頭に叩き込んでおかないと、専門指導を受けてもまったくついていけないと断言できます。お金の無駄です。
アルファベットを覚えるとか、土地の名前を覚えるとか、商品名を覚えるのと全く同じです。暗記を定着させた上で、次の段階に進まないと、いちいち固有名詞で悩んでしまって話についていけなくなってしまうんです。
つまり、コード理論を知ることとはアルファベットを暗記する程度のことでしかなく、音楽的な行為はその先にあります。
・本当にその機材やプラグインが必要なのか?
また、プラグインやモニタースピーカーの話なども定番で、よく相談を受けます。そんなもの買わなくて良いからレッスンを受けるべきだと私は言います。私がレッスン仕事をしているからレッスン収入が欲しいというわけではなく、「機材コレクター」になってしまう前に音楽的な指導を受けるべきなんです。
eki-docomokirai.hatenablog.com
■「生還した軍用機」という教訓
すぐに見える情報がいかに間違った情報であるかを示すエピソードがあります。
以下を御覧ください。
ツイッターで新社会人へのアドバイスが流れる度に、第二次世界大戦で米軍が集計した飛行機の被弾データの図を思い出す。
— 鰐軍曹 (@WANIGUNNSOU) 2018年4月4日
このデータは全て「生還した機」のデータで、墜落した機はデータに残らないっていうもの。
本当にやばいのはアドバイスも残らないので、皆さん気を付けてくださいね。 pic.twitter.com/boounaL6Yr
「赤い点は、帰ってきた軍用機がダメージを受けていた箇所。つまり、ダメージを受けても意外と平気な箇所です。
ではこのデータを見た上で「今後の軍用機開発で防御力を高くするべき場所はどこか?」というお話。
生きて帰った飛行機の多くがダメージを受けた箇所をもっと守るべきでしょうか?
いいえ、違います。まったく逆です!
正解は赤くない部分。つまり赤い点が無い箇所が「生還できなかった飛行機がダメージを受けた箇所=致命傷になる重要な箇所」です。
上の画像の赤い点は音楽初心者の質問に相当します。
初心者はどこかで聞いた言葉に動かされてしまいます。
「コード理論」「クラシック和声」「最新プラグイン」「アナログ機材」「セール情報」「楽器をやったほうが良い」「ミックス」「マスタリング」。
それらは確かに大事だけど、今のあなたに本当に必要なことは何?レッスンでお金払ってまでコード理論をやるの?個別レッスンを終えた後にやるべきことは何?
初心者同士の横並びのトークに出てくる言葉よりも、初心者グループを卒業して次の世界に行った人たちが、何を身につけたから去って行ったもかを知るべきなんです。(例えば初心者同士の情報交流が無価値であることを知ったとか、プロのレッスンを受けて情報を得るとか、作業配信をして人気取りをするためのワークフローを捨てるとか。)
(なお、上の画像の出典は下記の本だそうです。興味がある人は御覧ください。)

Design Rule Index 要点で学ぶ、デザインの法則150
- 作者:William Lidwell,Kritina Holden,Jill Butler
- 発売日: 2015/10/16
- メディア: 単行本
ツイートの出典はこちら、とのこと。
&ここ。
https://cadot.jp/topics/40479.html
■問題を再定義する
このビジネス向けの記事では下のような「4分割シート」で問題を再定義して取り組むことを推奨しています。
質問に対し、そのまま正論を言っても解決には結びつきません。よもすると「上から目線で答えだけを言って自己満足しているだけ」になりかねません。こういう状況はリアルでもネットでも多く見かけます。
とても良い反面教師になるのはYahoo知恵袋です。解決につながらない的外れなアドバイスを押し付け、それに対して質問者も感謝をするしかない状況。的外れなアドバイスをしている人のログをたどってみると、あちこちでトンチンカンな思いつき発言をばらまいていることを確認できます。つまり、相手に寄り添って考えるのではなく、上に立ちたい人が非常に多い場所なのだということです。
相手の抱えている問題は何だろう?
どのような思考的ミスに陥っているんだろう?
目的は何だろう?
どんな言葉なら通じるだろう?
適切な度合いで考えて慎重に行動しなければ問題は解決しません。
「教えたがり」にならないように気をつけましょう。
■機材を買うのは「純粋に贅沢のため」
下の翻訳記事で、音響エンジニアのJustin Colletti氏は「機材は贅沢を楽しむためのものだ」「基本的な装備があれば、それ以上の購入は贅沢のため」と言っています。 基本的な装備とは、数十万円するスピーカーやAIFやプラグインのことではありません。
eki-docomokirai.hatenablog.com
もし贅沢を楽しむためではなく、音楽を上達するために何か行動をしたいのであれば、新しい道具を買ってさらに混乱を増やすよりも、持っている道具の適切な使い方を教わるべきではないでしょうか?
もちろん、プロと同じ最高級のものを手に入れて「同じものを使っているのに音が違う!」ということを身銭を切って痛感することはとても重要な経験だとは思います。その経験をした上で「技術を買う」ようになれば、それはそれで良いことだと思います。
よく言われるのはバイオリンの世界の話です。
数億円するストラディバリウスは超一流プレイヤーを本気にさせるための道具であって、実のところ別に音が良いわけではないという話です。素人がそれを弾いても別に音が変わるわけじゃないです。
ぶっちゃけほとんどの非プロに高級な道具は必要ありません。
そういう広告が目に入りやすい世の中だから「買えば解決する」と頭の中で結びついてしまっているだけです。これは第二次世界大戦の敗戦から高度経済成長期を経て現代に至る日本の病であると言われています。「買えばモテる、痩せる」みたいな。
eki-docomokirai.hatenablog.com
■お客様(レッスン受講者)の注文は本当に正しいのか?
近年はネットで不確かな医療情報を仕入れて、医者に言うことを聞かせようとする患者さんが増えてきていることは、医療関係者にとって大変な問題となっているそうです。
そこには「がんばって手に入れた情報は正しいと信じてしまう」心理作用があると言えますね。さらにその知識を使って医者を黙らせてみたいという欲が重なっている人も多いようです。
病院に来た患者さんが「私◯◯だと思うので◯◯のお薬出してください」と言ったとして、どうしてその患者さんが自己診断で病名と処方箋を断言できるのでしょうか。
上の記事では、情報を提供する側への教訓を下のように説いています。
患者さんは、『マッサージをしてください』『この痛みをなんとかしてください』と言ってやって来るんですから」といった声が聞こえてくるかもしれませんね。
確かに患者さんは、そんなことを口にしながら来院されます。ですが、本当に患者さんが求めているものは、口に出しているものと決して同じではないことに、治療家の皆さんに気付いてほしいのです。
また、他の医療系のサイトでは、下のように書いています。
見出しのみを紹介すると、
- 痛みのつらさをわかってほしい
- 痛みの本当の原因を知りたい
- リーダーシップをとってほしい
- 自分の存在価値をわかってもらうこと
- 完ぺきな安心が欲しい。
良い治療者はこれらを踏まえて情報と技術を提供するサービスであると説いています。
もちろん頭ごなしに「てめーら素人に何が分かるんだよ!」「どうせ調べるならネットの情報が正しい根拠を調べろ!ソース持って来い!」と頭ごなしに高圧的に否定しても喧嘩になるだけです。
客の努力を評価し、悩みを受け入れつつ、やんわり否定し、より的確で説得力のある対案を提示するのが真の「上から目線」のなせる技だと私は考えています。
医者は患者さんに言われた通りの施術をして、言われた通りのお薬を渡すマシーンではないということですね。
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するイタリア料理シェフのトニオは、客の注文は聞かずに、客を見てその客に合った料理を出します。
漫画家は読者の心理を読んで続きを書きますが、読者の「次回はこういう内容にして」という指示を直接聞いて漫画にしているわけではないですね。
・医療関係、その2
2020年、コロナウィルス騒動がひとつの段階を終えた頃の記事です。(2020年7月12日追記)
客が「◯◯が欲しい」と言っている時、◯◯についてだけ答える阿呆はこういうことになります。
また、このリンク先の記事で奥が深い点は、
思えば私のTwitterやYouTubeを喜んでくださったのは、雑なくくりをすればファンの方々ばかりでした。
私が何を言っても、「おもしろいねえ」「なるほどねえ」「興味深いねえ」とほめてくれる人たちばかりでした。
(中略)説明することは、ある種のプチ・エンターテインメントであり、ファンが喜ぶ娯楽でした。
◯◯についてだけ語る姿勢を「イエスマン」に褒められることで、さらに冷静さが消失していくということです。
世の中がコロナウィルスで大騒ぎしている最中、こういう態度だった人はリンク先の人だけではありません。自分の知識より劣る相手を、たとえ部分的に落ち度があっただけでも徹底的にこきおろし、悪だと決めつけ、同時に自分の価値を高める。そういうエンタメが流行しました。
社会学者はこういう流れに対して「コロナの影響は健康に対してではなく、社会の断絶だ」と言っていたことが全てを象徴しているように思います。
◯◯という一点だけに話題が集中した時、その話題に関わるすべての人はアリジゴクにはまっているのです。
■
重要な部分だけを抜き出すと、
たとえば、「いま、社員のモチベーションアップが課題なんです」とクライアントから言われたとします。こういうケースで一番NGなのは、それを真に受けて「なるほど、じゃあそれを解決しましょう」と話を進めてしまうことです。
「口に出して言ったこと」が「本当に言いたいこと」だとはかぎらないですし、少なくとも、いきなり本音を言ってくれることはあまりないからです。
この場合、本音と建前を見分けるために効果的なのは、「では、モチベーションアップのためにいまやっている施策はありますか?」という質問です。
(編者強調)
質問されたことにそのまま答えるのは下策だということです。
さらにひどい状況も存在します。
先日の音楽レッスンで、こういう構造を無視し、私の講義の言葉を遮って「話が長いです。答えだけ教えてください」と言い出した人がいました。
今の時代の病として、効率だけを求める、答えだけを求めるという生き方があります。そういうことをやっているから重要なスキルが身につかないということを理解していないんです。
私も人間ですから、そういう受講態度には頭に来たので「じゃあ答えだけ言いますね」と切り返し、本当に答えだけを言いました。数秒しかかかりませんから、たしかにスピーディです。しかし、未熟な人がその言葉の真意を理解できるわけがありません。
当然その後には「答えだけを知っても意味がないよ」というスタイルで講義を続行しましたが、その人がどう受け止めたかは私の知ったことではありません。
バカは学ぶ態度も方向性も間違っています。
その間違ったレールに私を乗せれば、私もバカな教え方しかできなくなります。
教わる時には相手がその道のプロであることをまず尊重し、「金を払っているんだから従え」という態度を捨てなければなりません。
相互の敬意がなければ殴り合いになるだけです。
■巨大教育システムの限界
音楽のレッスンをする人(や学校)もそうあるべきだと私は考えています。
先生が学校に対して年間の講義計画を提出する仕組み、いわゆる「シラバス」は安定した教育サービスを提供する上で重要なことです。しかし、それは教育の本質から外れたものだというのが私の考えです。
立派な校舎を構えて教育を行うことは素晴らしいことです。
通学する人も立派な校舎があったほうが信用できるでしょう。
でもそれ故の限界を持っているのもまた事実でしょう。
立派な校舎を維持するためのお金集めに奔走し、生かさず殺さず生徒を飼いならすというのは、経済行為としては正しい戦略なのですが、音楽教育という観点ではナンセンスです。
「立派な校舎の学校に通った!」「一流キャリアのあるプロに教わった!」という満足感は得られるでしょうが、『で、その結果がこの程度か?』となってしまいます。
一般的な一般大学で過ごす4年間は前半の2年間に一般教養科目が多くあり、その退屈さは筆舌に尽くしがたいものです。なぜ受験を乗り越えて学力を証明しているのに……と思います。校舎を構える教育システムそのものが破綻しつつある時代なのだと思わざるを得ません。(いわゆるFランじゃなくても。)
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■安易な答えと自分を結びつける
ある知人がツイッターでこういう発言をしていました。
ネットの情報は自分用にオーダーメイドされてないから頼りすぎない方がいい。自分の問題や悩みが周りと同じだと気が楽になるという心理も働いてる気がする。ほんとはみんな違う。専門家の出番です。
自分が今やっていることがうまくいかない理由について考えた時、みんなが言っている「無難な回答」が自分にとっても必要なものだと信じ込んでしまう。
同じ人間が1人しか存在しない以上、その人のかかえる問題を解決する方法は、個別に処方されるべきです。
音楽を作る人がよく出会う回答は「音楽理論をやると良いよ」「コード進行の定番を覚えればすぐに使える」「いや、コードだけじゃダメだ。クラシック和声をやるべき」というあたりでしょう。
しかし、それらをどういう手順で習得するべきかについては個人差があります。
本を読んだだけで技術を習得できる特性のある人なら教科書を読むだけで技術を習得できるのでしょうが、残念ながらほとんどの人は本だけでは何も身につきません。
私がオススメしている、万人に効き目のある解決方法は、
- 継続しろ
- 食って寝ろ
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■相手の立場を理解しない人
めっちゃ初歩の技術ですが、知らない人が多いらしい。
上に書かれていることは「教えたい!」という欲求が先行していると総じてダメだよ、ということです。
まちがったスタンスで教育らしきものを行っている人は、
- 尊敬されたい!
- 人の上に立ちたい!
- 強く見せたい!
- その場を仕切りたい!
というエゴの発露が目的になっています。
某人は「お金をもらってあなたの生徒役になってあげるビジネス」を提案してさえいました。もちろん半分ジョーク話なのですが、説教したがる人がとても多いのは事実だと思います。
話し相手になってあげる介護ビジネスの一種だと位置づけることができるでしょう。
営業マンのテクニックのひとつとして、「客先で愚痴を聞き続け、懐を開かせ、最終的に商品を売る」という変化球商談もありますし。(このテクニックは業界や扱う商品の性質にもよって効用が異なるので気をつけてね!)
■ダメな先生の見分け方
リンカーンはこう述べています。
Nearly all men can stand adversity, but if you want to test a man’s character, give him power.
「人を試すなら権力を与えてみると良い」
この言葉から発展し、近年のネットでは、
「その人物について知りたいなら小さな権力を与えてみると良い」という旨の教訓が提言されています。
ちょっと抽象的すぎるので、音楽レッスンにおける具体例を挙げてみます。
その先生が教えるべきことは音楽の技術なのに、私生活を改めろとか、そんな仕事をしていても未来は無いとか、そんな恋人はやめろとか、いらんアドバイスをしてくるタイプの先生です。
自分が相手より上の立場に立ったと判断したらブレーキが効かなくなり、必要以上のことを押し付けてくるタイプです。
承認欲求、権力欲、支配欲が暴走しているタイプです。
事実、私が教わっていた人の中に1人そういう人がいました。
最初は友達として接しているだけだったのですが、「音楽教えて」という上下関係ができてしばらくすると、私の私生活についてまで口出ししてくるようになり、挙句の果てにはネット上での(個人ブログやSNS)での発言内容まで支配しようとしてきました。それどころか「借金してでも機材を買うべき」という恐ろしく無責任な発言まで。しまいには「違法な海賊版ソフトでも手に入れて、ベストな音楽を作るべき」という犯罪教唆までしてきました。
それについて『いや、私生活まで指導を求めたおぼえは無いです』『犯罪に手を染めてどんな美しい音を出すのか?』と返すと、「貸してるものを今すぐ全部返せ」と言い出す始末。もう完全にやべぇ人です。
どんなに音楽的に優れていたとしても、そういうモンスター先生とは距離をおくべきでしょう。たぶん音楽指導にかこつけてセクハラして事件になるのはそういうタイプの人なんじゃないか?と思いました。
もちろんそれを伝えてはいませんし、私個人の人間関係の管理方法のひとつに「限度を超えたら1アウト。警告し続けても改善しなかったら、3回アウトで絶交。」という基準があります。親しき仲にも礼儀ありということです。
ちゃんと一線を引いて「先生と生徒」として接する事ができない人は、先生と呼ばれることによるわずかな権力だけで暴走してしまう人がいるようです。気をつけましょう。
■アプリケーション等のデザイン仕事の場合
次のTogetterでは「質問する側」「求める側」の良い例と悪い例が網羅されています。ちょっと長いけど、このブログの記事をここまで読んだ暇人のあなたなら余裕で読めるはず。
ユーザーが「実は・・・」
— コミュニティ応援 公式 (@Community_SNS) 2022年7月15日
これはあるあるですよね💦
つまり
ユーザーを理解してユーザーに必要なものを出す!
「自分がユーザーだったら」なんて観点は消える!#CR社 #UI #UX #UIUX #UXデザイン pic.twitter.com/25kXX07hdi
■岡田斗司夫の場合
時間指定URLです。が、ちょっと長いと感じるかもしれません。
とても大事な思考術が手際よく解説されているので、数回繰り返して視聴しする価値があります。
32分あたりから。
問題を整理しないと、相談されていることについつい「返事」しちゃうんですよ。一番楽なので。『父に何と言えば良いのでしょうか?』と聞かれたら、その父に対して何を言うのかを考えるのが一番楽。でも、そうじゃない場合がほとんどなんです。本当はその奥に聞きたいこととか相談したいことがあるんだけど、質問者としては『父に何か言うことで解決する』と思っているから。(編者整形)
要するに、口から出てくる言葉のほとんどは質問でも悩みでもないんです。
これは「誰かの口から出た言葉」もそうですし、あなたや私の言葉もそうなんです。言っていることのほとんどに意味はありません。
本当に重要な問題が何なのかを具体的に切り取って、具体的な解決法を1つでも作ればそれで良いんです。
人は思っているほど心と思考を自由にコントロールできません。
とめどなく頭が勝手に回っている状態を「考えている」とは言えないんです。入ってきた言葉にまっすぐ答えるだけでは良い先生になれないんです。
DTM的にというか、音楽で音を出す人の誤りで一番多いのは、『何かを買えば解決すると思っている』タイプだと断言できます。
なお、次に多いのが『レッスンを受ければ解決する』と、他人にブン投げるタイプです。
私はレッスン仕事をしていますが、結構な割合で「それ、レッスンじゃ解決しないですよ。」とか「仕事が忙しいなら一時的に音楽から離れないと、その仕事も失ってしまいますよ!」と警告し、レッスン受講を拒否することがあります。
だって、イヤですよ。私個人の収入のために、音楽を使って誰かの人生を破壊することなんてしたくありません。レッスン受講で相手の人生が豊かになる見込みがあるなら喜んでレッスンしますが。
■「2台目の掃除機を買う時の質問」
大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。 | Books&Apps
「「分からない」と言えることはとてもいい。プライドが高くて「分からない」ということが開示出来ない間にずるずる時間だけ食ってしまうのよりずっとマシ。本学の学生(東大でした)も結構プライド高いから、そういう学生はちょこちょこいる」
(略)
「けれど、ここで自分の中に「一台目の掃除機」という基準があったらどうなるか。その掃除機を使って感じた経緯、不満点、改善したい部分とか当然あるだろう。吸引力が弱いのか?重いのか?音がうるさいのか?紙パックが高いのか?「ここは良かったから二台目でも継続させたい」ってところもあるかも知れない。吸引力には不満はないんだけどちょっと高くてもいいからもうちょっと軽いのはないか、とか。そうすれば、電気屋の店員さんも、ちゃんとこっちのニーズに合わせて真剣に答えてくれるだろう?」
(略)
それは単純に知識不足なのかも知れないですし、アプローチの方向性が間違っているのか、何か理解を妨げる勘違いをしているのか、あるいは内容について読めていない部分があるのかも知れません。
「一台目の掃除機」がないということは、それを全部一からマインスイーパーしろということであって、相手に負荷をかけることにもなりますし、有限の時間を無暗に浪費することでもあります。
(編者強調)
知らないなら知らないと言う。少し知っているならどのくらいまでやったか正直に言う。不満や希望があるならなんでも言ってみる。
で、そういうケースにも多く遭遇してきたんですが、たいていは「単語だけ知ってる程度」だったりする。実際に使ったこともないし、そもそも内容も理解していない。だったら変に知ったふうに相槌を打たず知らないって言えば良いのにね。何より「この人実は全然分かってないぞ」というのはすぐにバレるものです。
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■まとめ
- 初心者の質問は、それ自体が的外れな注文である(無知なので仕方ない)
- 的外れな注文にバカ正直に従う先生もどうかしてる(音楽は知っていても、教育者としての技術が無い!)
- 「黙っていても聞こえてくる情報」はたいていズレている(ネットは広告だらけ)
- 知らないことを知ることから始めよう(無知の知)
というわけで個人レッスンは随時受け付け中です。機材セールでは買えない、教科書にも書いていない、一生モノの音楽制作技術を教えています。
お気軽にお問い合わせくださいませ。(docomokiraiあっとgmail.com)