割と稀に頻繁に議論に上がるアボイド問題。先日のレッスンでも頻出していたので書いておく。
安易に認めることも、安易に否定することもできない、非常にセンシティブでホットな理論トピック。
(2022年5月23日更新)
■はじめに
本記事における「sus4上の」と言う音楽理論的な表現は、
・x「sus4より上の高い音域で」の意味では無い
・◯「sus4コードという状況の上での」の意味である
理論談義でよく出てくる慣用表現です。
■sus4コードの根強い誤解。
上のリンク先ブログ記事でもは最終的にショパン(ピアノソロ)を引用してM7音程だから問題ないという解釈をしているが、ポピュラー音楽における「sus4上のM3メロ」の問題はそこでは無い。
sus4コード上のM3メロディはオクターブの変換でM7になるから良い、ってのは割と有名な運用方法なんだけど、同一音域でm2(=b9)を形成すると結構キツいよね、というお話。
美味しいところだけ都合よく解釈して、安易に「sus4のM3入っても理論的にOKなんだよ」とするのは割と危険。特にポピュラーのコードの理論だとオクターブを扱わないので、「誤解の誤解」が生じる。
作曲の下書きではオクターブで逃していても、楽器の音域、ボーカルの音域の都合でm2になってしまうケースが多発しているのが、現代J-POPの病の1つと言える。
ついでに言うとシンセサイザーの設定によってはオクターブが変わるから、音符の位置の見た目だけでは判断できないことさえある。
(逆に、音符の見た目としては衝突していても、出音がオクターブ回避されることもあります。)
・実音はどこの音域か?
下書きで聞こえやすくするためにボーカルをオクターブ高く書いていると、実際に歌った時にオクターブ下で鳴るのであっさり崩壊する。聞き取りやすいからという理由だけで、安易にオクターブ上げるのはやめるべきです。
そういう時のチェックでオクターブを間違えて書いた実音ではない楽譜やMIDIを参照してもまったく意味が無い。
コードだけ書いて与えて適当にコンピングさせるとあっという間に崩れる。怖い!(コンピング=コードだけ見て伴奏する演奏スタイル。オクターブを指定することができない。)
よほど丁寧に音域を管理したアレンジじゃないとM7音程として実装できないので本当に慎重に扱うべき部分です。
本当に気をつけて運用して欲しい。
同時に、これらを分析・批判する人も気をつけて欲しい。
・偶成和音として読む
かと言って、(広い意味での)不協和音を嫌うあまり、片っ端からコードを最適化していくと、それはそれでつまらん音になる。
少々ぶつかることがあっても、それは「偶成ですね」で済む。片っ端から衝突回避をしているとおかしな音楽になります。
・倚音として読む
解釈によっては単に「これは倚音ですよね」で済むこともある。
特にポピュラー初歩しかやっていない人は、何が何でもコードトーンでメロディが開始されないと「不協和だ!」と言うことがある。いや、それ違います。もうちょい先まで勉強したり、既存楽曲のメロコード分析をちゃんとやっていれば倚音という概念に出会えるはずです。
ただし、なんでもかんでも「倚音です」「テンションです」でゴリ押しするのも危険なので、まじで気をつけろ。
・伴奏スタイルとして読む
コンピングの話。
楽器ごとのコード伴奏スタイルというものは確かに存在するので、1拍ごとにコードを細かく変えるとおかしなことになりかねない。
たとえばクラシック曲で4分音符頭打ちやマーチ的裏打ちではメロディに合わせて和音を微調整することがあるが、常に行われるわけでもない。オスティナート的な通奏伴奏として一定の音を固持(維持)する書き方もある。ぶつかっても動かないのがオスティナートのスタイルなのだから。
ポピュラー楽器による伴奏は後者のスタイルから発展している(はず)なので、細かく和音を修正しすぎると、一般的なポピュラー伴奏のスタイルではなくなってしまう。
・なんでもsus4化するとコンピング的に不安定になる
どこまでを「一般的」と呼んで良いのかは非常にセンシティブだが、しょっちゅうsus4化されたコードネームを与えると、奏者は困惑するかもしれない。
理論のための演奏ではなく、標準的なコンピングの演奏スタイルとしてどうしても通常のトライアドでコードネームが書かれてしまう。
「コードで伴奏する」という音楽スタイルとしては許可できると言える。
(そういう細かすぎるコード指定を強要するとバンドは「音楽性の違い」で崩壊すると思うよ!)
・民俗音楽的不協和音として読む
民俗音楽における不協和音は許容される。
逆に見れば、「コード音楽という民俗音楽に出てくる不協和音」とか「都会民俗音楽」「世俗西洋民俗の音楽」と解釈できないこともない。
要するにロックを民俗音楽として解釈するってことね。
古典クラシック→現代クラシック→ジャズ→ロック→ヒップホップという流れを許容するなら何の不自然も無い。
これを許容できない人は紙の上でお美しい古典だけやってろ、となる。(でも古典だってぶつかってることあるじゃん?ともなる。)
・時代の音なのか?
ジャズ全盛の時代においてM7コード音の半音衝突は許可されるようになった。
次の一歩として「sus4上のM3」「M3上のP4」も許容されていくのかもしれない。
クラシックで古典からロマン派時代において半音階的な動きが許容され、理論としても「おk」となってきた歴史があるわけだし。その延長線として考えれば、どんどん許容されていくんだろう。
逆にシンプルすぎるD→Tという王道は徐々に音楽の王道ではなくなり、古典的な音が欲しい時しか使われなくなっていくのかもしれない。
sus4に3rdとか、♭7に♮7が同居するとか、もう驚かないし、はびこっているから、未来の楽典には載るよねって話を、先日理論の恩師と飲みながら話しました。これが未来の楽典をまとめる人たちへのメッセージだ!
— 侘美秀俊 Hidetoshi TAKUMI🎼📚 (@hidetakumi) 2022年5月21日
保守的な人たちはNGだと言って若い作家のアタマを叩きますが、「理論とはその時代のまとめ」だと解釈するのであれば「今はこういうのOKだよね」となります。
今後理論書を書く人がどう扱うかが見ものですね。
・個人的な結論
まだまだここういうのを叩くおっさんが多いので、そういう人からの評価を得るために、積極的にsus4化を多用するのは、出世戦略としては正しい。
でも、その程度のことに目くじら立てているケツの穴の小さいおっさんに音楽業界的な権力が本当にあるのか?という疑問もある。
音楽を買うのは一般客層だし、それが数字を作っている。自称権力のあるおっさんは結局数字に勝てないでしょ?
で、sus4上にM3を乗せる(M3にP4を乗せる)ことを多用する人が遠からずおっさん化し、権威的になった未来においては、当然のように許容されていくんだと思う。
今はその過渡期なんだと思う。
だから「どうしても貫きたいならやれ」で良いと思うよ。
で、こういうのを批判したい人は、現在の覇権ジャンルと言えるヒップホップ等のコードサンプリングによるデタラメな和音をこそぶっ叩くべきだと思うけどどうよ?極東ポップスの、しかもサブカルを批判しても音楽史に対して何の影響力も無いよ。
そもそも和音の不具合によってクソと言うなら、バッハもクソになりかねない。既存楽曲でもあちこち明らかにおかしい点があるのは周知の通りですし、そういう点の分析の積み重ねから理論が構築されているわけですし。
初歩理論でなんでもNGって言ってくる人がいたら、その人との付き合い方も含めて熟考したほうが良いと思います。
■関連するトピック
「ルート以外から生じるb9音程」という問題もあります。
結論だけ言うと、これも全く問題ありません。
既存曲でも散見されます。私も使うことがありますし、レッスン受講者でも使っている人がいます。
上述の「sus4上のメロ」と同じ理屈で回避させることもありますし、回避させるべきだという頭の固い人もいます。
どうしてもその音程を使わないと表現が成立しない、どう聞いても問題ないと判断でき、なおかつ頭の固い人を説得できるだけの逆パワハラ能力を持った上で運用しましょう。
その衝突に特に意味がなく、リゾルブ先などをちゃんと制御できていないなら、b9を避けた平易なメロディに書き換えた方が無難です。
■関連記事
ミシェル・ルグランのメロディの話。
eki-docomokirai.hatenablog.com