侘美秀俊(たくみひでとし)先生から新著『中学生・高校生のための吹奏楽楽典・音楽理論』を献本していただきました。
(2019年2月28日更新、第二版に伴い)
(2020年6月22日更新。誤字直し、削減など。)
(2024年8月13日更新。16ma表記)
- ■後日談
- ■はじめにお断り
- ■演奏家向けの入門書
- ■以下、本書を読んで思ったこと
- ■譜例、コンデンスのミス
- ■用語の不統一箇所
- ■ホルンのヘ音オクターブ問題
- ■なぜCからなのか?
- ■斜めリタルダンドと段差リテヌート?
- ■時代による違い
- ・歴史的楽器(ピリオド楽器)
- ■テンポの記入位置
- ■誤植か?
- ■音量記号
- ■スラーの意味
- ■フェルマータの例外
- ■トレモロの誤植?とも言い切れない記譜
- ■オクターブ、8vb、8va
- ■倍音とフレットの説明
- ■フルスコアのパーカッションの位置
- ■ひとりでも金賞を取れるようになるための方法
- ■最後に
吹奏楽に対して思うことを片っ端から書いた感のある記事です。無駄に長くてすみません。
■後日談
(2019年2月28日追記。)
同書籍が再販決定!本記事にて指摘の箇所など、おおよそ反映された形で重版されたそうです!
ブログで御指摘部分で、紙面が許すところは、おおよそ反映しました! 感謝!
— 侘美秀俊_タクミヒデトシ (@hidetakumi) February 28, 2019
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以下、過去記事
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■はじめにお断り
純粋な意味でのレビュー記事ではありません。
著者に頼まれて宣伝記事を書いているわけでもありません。
同書に書かれていたことを読んで思ったことを併記しています。
・本ブログは主にDTMの話題を扱うブログですが
侘美先生は国内複数のDTMスクール等でDTMの指導をしている先生でもあります。
https://sleepfreaks.co.jp/instructor/hidetoshi_takumi
ネット記事や雑誌などで名前を見たことがある人もいるんじゃないでしょうか。
近年だと、
おかげさまさまさまで、拙著、通称「楽譜&リズム本」が3刷ですって! サンプル届きました。ちなみにー、リズム譜早見表は、さんざん突っ込みがあったんで、2版から注釈入れてます! pic.twitter.com/i9JuWcvH1P
— 侘美秀俊_タクミヒデトシ (@hidetakumi) August 25, 2017
この画像があちこちで盛大にバズったり、パクられたりしていたのを見た人も多いんじゃないかと思います。
初学者の視線を本当によく理解している素晴らしい指導者だと感心します。
要するに私のような偏屈とはタイプが違います。
もしツイッターでナチュラルに飯テロしてるのを見かけたら「やっぱり たべすぎ♪」とリズミカルにツッコミを入れてあげてください。
定期的に来る六花亭の菓子テロ(北海道のなまら美味いお菓子屋さん。氏の故郷に本店)は殺人的な破壊力です。フォローする際は覚悟した方が良いです。
六花亭は最高です。コンビニのジェネリック名店お菓子とはやはり格が違います。
www.amazon.co.jp
六花亭の「マルセイバターサンド」はあまりにも有名。お子様にも、年配者にも、お酒にも合う究極のお菓子です。冷やして食べると美味しいことを知らない人が多いようです。これを読んだ良い子のみんな!次に出会ったら必ず冷やすこと。いいね?
■演奏家向けの入門書
おもに学生吹奏楽をターゲットとした本です。
先生!届きましたよ!
サイン入り初版ゲットだぜ!
なお侘美先生の過去本は、ある抽選で頂いたこともあります。同じ人の本を2冊も無料でゲットしたことになります。
・吹奏楽に問う
オビでは「コンクールで金賞を取るために学ぶ」と書かれていますが、侘美先生はTwitterで、
新刊に関して、立場をはっきりさせておきたいのは、あの帯の文言は、出版社のやるべき宣伝文句であって、著者として本書の主旨とはリンクさせたくないってこと。彼らは、売らなきゃいけない立場、で、僕は、売れたらラッキーだけど、そこはあまり足を踏み入れたくない立場ってこと。
— 侘美秀俊_タクミヒデトシ (@hidetakumi) October 13, 2018
と述べています。
まー広域商業とはそういう側面がありますね。
近年放送されたアニメ『響け!ユーフォニアム』で講師の先生が「僕は正直言ってコンクールは好きじゃない」という旨の発言をしています。競争し順位をつけることは音楽の本筋ではなく、また、コンクールで勝つための練習は若者の音楽的素養を伸ばすためではなく、学校や指導者のためになってはいまいか?という疑問は吹奏楽界隈では大昔から定番です。
吹奏楽部という密室でのギョーカイ話ではなく、ユーフォニアムという名前すら聞いたことがない一般人が見るテレビ番組で「コンクールは好きじゃない」と伝えたこと、その一点に於いて『響け!ユーフォニアム』は音楽的に晴らしい功績を残したと言えます。アニメ絵で避けている人も多いかもしれませんが、すばらしくドラマチックな傑作青春ドラマです。
同アニメは同じアニメーション制作会社の過去作品『けいおん』と並べて語られることがあるようですが、まるで違います。
『けいおん』は何の努力もせずライブを成功させる音楽的にクソな内容で、いわゆる「アニメ」が嫌われる要因のすべてが詰まっています。
一方、『響け~』は鼻血垂らしながら反復練習しても「そこ吹くな」と言われて泣きじゃくって努力し、それでも負ける話です。吹奏楽が好きなのに辞める人がいて、好きでもないのに続ける人がいる話です。そういう悔しさを共感することで真の友情が芽生える物語です。
で、今回の侘美先生の本は『響け~』の登場人物たちが通学電車の中でぼんやり読んで「へぇー」とつぶやくための本だということです。
・コンクール課題曲が酷い
さらに言うなら、私は吹奏楽コンクールの課題曲が大嫌いです。限定して言うなら90年以降の公募作品のすべてが嫌いです。若い学生に全力で取り組ませるような曲ではありません。
コンクールの課題曲はもともと大御所作曲家のしっかりした作品や既存曲を使ったものでした。
それが次第に若手作曲家の発掘、作曲コンクールを兼ねたものとなっていき、それは加速しています。手短に言うならクソ曲化しています。そんなクソ曲に対して若い音楽家の卵が一生懸命取り組むのが果たして教育の一貫と呼べるのか?ということです。
この意見は私独自のものではありません。はるか昔から吹奏楽専門誌の中でも何度も何度も叫ばれていることです。
同様の意見は合唱コンクール課題曲に対しても叫ばれています。合唱の本質を無視し、商業性ばかりが優先した曲になっているとのことです。
私も周囲から何度も「コンクール課題曲に応募しないの?」と声をかけられていますが、絶対にこの仕組に加担する気はありません。私程度の曲に一生懸命になって欲しくは無いんです。もし札束で叩かれたら笑顔で1曲書くかもしれませんが、それはありえないでしょう。自由曲用の委嘱等で吹奏楽の曲を作ったことはありますが、今のキャリアには何もつながっていません。
作曲上の制約が強すぎるのも難点です。未熟な作曲家があのレギュレーションで満足な芸術表現を、しかも教育的要素を含めてできるわけがありません。そういう制限下でもしっかりした作品を作れる特性を備えた作曲家にピンポイントで依頼するべきです。
作曲コンクールとしては存在意義があるので、全国の多くの学生を巻き込まない条件のもとに継続して欲しいとは思います。数人の作曲家の発掘より、圧倒的多数の若い可能性をまっとうに育てる仕組みの方が価値があるのは言うまでもありません。
・マーチをやらない吹奏楽
同書P35でも「スーザをやれ」「やったことが無いなら顧問の先生に言え」という旨のメッセージが書かれています。
知らない人のために書いておくと、スーザとは『星条旗よ永遠なれ』などの傑作マーチを量産したアメリカの作曲家です。スーザの曲を聞いたことがない人はおそらくいないでしょう。親しみやすく、良く響き、演奏してもやりがいのある素晴らしい曲を大量に残した吹奏楽の絶対神です。
そしてホルストの傑作組曲2つが執拗に引用されています。さすがの選曲。そうだ。そのとおりだ!吹奏楽とはそういうものだ!!
で、吹奏楽コンクールの課題曲は「スーザかホルストの曲から自由に選択せよ」で良いと思うんです。アルフォードでも良い。
レトロアーケードゲーム関連のツイッターで「達人王」というゲームをひたすらオススメしてくるおもしろいBOTがあります。
これを真似して「スーザおじさんBOT」「ホルストおじさんBOT」を作って「指揮の拍出しは1拍だ。良いな?」「テンポは120だ。126でも112でもダメだ。マーチは120だ。」とか言わせてみたい。「アウフタクトで始まるマーチは無い。強拍を狙え。」も追加で。
年によっては「ジェイムズバーンズもしくはフィリップスパーク、アルフレッドリードの作品から自由に選択せよ」とか、「ここ5年の全国金賞受賞団体が演奏した曲から自由に選択せよ」あああとオススメしてくる「吹奏楽原理主義BOT」が冗談半分で受け入れられるくらいがちょうど良いと思うんです。
要するにオーケストラからのアレンジ曲では吹奏楽の本質を学ぶことはできないので、吹奏楽は吹奏楽の曲をちゃんとやりなさいよ、ということです。
長期間に渡って熱心に取り組む曲が、ズタズタにカット編集されたオーケストラ用の交響詩だなんて音楽を何だと思ってるんだと問いたいわけです。カットの是非については散々議論しつくされていますが、その結果が相変わらずの惨状です。
そういう歪んだ音楽性で育った人が先生になり、歪んだ音楽性を指導する。その連鎖を断ち切るために吹奏楽連盟が舵取りをしてほしいと望んでいます。
本書で楽典の解説のために取り上げた曲がホルストであることは本当に素晴らしい啓蒙活動です。「吹奏楽やってますと言うならホルストくらい知っとけ!」という侘美先生の強いメッセージを感じます。私は本書からそう感じます。そうとしか読み取れません。
というわけで、下の曲を別窓で開いてホルストの傑作を聞きながら、残りの記事をどーぞ。これこそが吹奏楽です!
エレキギターやってるならスモークオンザウォーターくらい知っとけというレベルの、ジャンルを代表する傑作なんです。個人的にはホルストの『惑星』は好きじゃないけど、この2つの吹奏楽用組曲は否定できる余地がまったく無い傑作です。
・俺とホルスト
中学校の顧問の先生は奇抜な選曲をせず、吹奏楽としての定番曲をしっかり選曲ことを優先する素晴らしい価値観を持った人でした。
初めて参加した吹奏楽コンクールは中学1年生の時。その自由曲がホルストの第一組曲でした。
しかし、コンクールの審査員講評には「ホルストの組曲はコンクールでやるような曲ではない」と書かれ、先生は生徒から強い反感を買うことになります。要するにその審査員は「勝てる曲を選べ」と言っているわけです。そういう人が吹奏楽をダメにしていくんです。
その後も顧問の先生は吹奏楽オリジナル曲、特にマーチを演奏することを重視し続けました。ポピュラー曲を演奏する際にも定番のジャズを選ぶことを徹底していました。中学生が触れる音楽のコモンセンスを育もうという意図があったのだと理解したのは大人になってからです。
指導陣から直接指名されて1年生ながらソリストに抜擢されました。そうでなくても一般大学の部活なのに音楽に過剰に必死すぎて浮いていたので、先輩をさしおいて1年生がソロをやることに先々の不安を強く感じ、辞退をしたいと言いました。この辺は『響け!ユーフォニアム』のソロ競争エピソードとは逆の状態です。
結局本番でミスった戦犯となっています。
ろくに練習もしないのにソリストのミスに陰口を叩く、まー良くある吹奏楽部のアレです。
これ以上の恨み節は割愛。
■以下、本書を読んで思ったこと
というわけで、以下本編。
内容に触れず感謝とか宣伝文句だけ並べるのは不誠実だと思い、病院の待合室でメモをとりつつ全部読みました。
■譜例、コンデンスのミス
P34等、コンデンススコア
大譜表(2段組、いわゆるピアノの楽譜スタイル)で単一のメロディが上下の譜表に分割されているのは非常に読みにくいと感じます。
符尾の上下の向きも、メロディ以外の音符を非表示にした際のケアレスミスだと思われます。改訂版での修正を望みます。
(追記)スラースタッカート、タイスタッカート、および「同音スラー」についても追記してほしいです。
上の譜例は「ド ラーファ ファーファ」と発音されるべきで、「ド | ラーファ ふぁーー |」ではありません。この「同音スラー」のニュアンスの表現は非常に大事だけど、楽典をクソマジメに勉強しているだけでは絶対に読めない。
DTMの人がこの楽譜をMIDIデータにする際、4つ目と5つ目の音符をどうするべきか非常に悩むと思います。演奏の現場の経験が無い人が、座学の楽典で覚えた知識だけだと「ド | ラーファ ふぁーー |」にしてしまうかもしれません。
「符点4分ではなく、4分(タイ)8分と書かれた理由は何か?」をしっかり考えることが大事です。なぜ「4分+8分」ではないのか?「タッタ、タッタ」にされるのを回避するためなら「テヌート4分+8分」でも良かったのではないか?いや、テヌートだとまた別のニュアンスに処理されてしまうのでは?などと、作曲者は悩み抜いたはずです。
「同音スラー」などは私がオケ楽器向けの作編曲をやる時には意識的に使わないようにしています。上に書いたようなことを熟知している吹奏楽出身なのでついつい使いたくなってしまうのですが、非常に危険なのは言うまでもありません。楽譜の最大の存在意義は「演奏に迷いを与えない」「余計な練習時間を減らす」であることは言うまでもありません。
■用語の不統一箇所
P59「アッチェル」
P94「アッチェレ」
楽典的に正しいのは後者の「アッチェレ」。
とは言え、実際の現場での運用で「アッチェル」と発音している人が多いのは事実です。
英語発音の方が馴染みがあるので「~l」とエルで終わられると「~ル」と言いたくなるものです。本当かどうか知りませんがイタリア語的には「アチェーレ」のように発音するのだそうです。英語式の「アッチェレ」のアクセントだとどうしても「~ル」と発音したくなります。
事実、私も「アッチェル」と言います。指導や執筆の際には「アッチェレ」にするように一瞬考えています、が頻繁に間違えます。
なお、なぜクラシックの本場はドイツなのに音楽用語にはイタリア語が多いのかというと、イタリアで人気だったオペラの表現のために様々な用語が発明されたからです。なので日本の吹奏楽では音名は誤解が起きにくいドイツ語で、表現語はイタリア語。
クラシック演奏家のエッセイ等でたまに見かけるのは、クラシック音楽家は割とイタリア語が分かってしまうので、建付けの悪いドアが閉まらない時にイタリア人が『フォルテ!』って叫んだら「強く」ドアを閉めてしまう、という話。『なんだ、あんたイタリア語分かるのかい?』と言われるそうです。
強く、弱く、ゆっくり、静かに、速く。そういう言葉は吹奏楽で普段から使っているので、吹奏楽部員は英語よりイタリア語が得意なのかもしれません。
■ホルンのヘ音オクターブ問題
P77、P144
ホルンの低音用楽譜は時代によってオクターブ違います。知らずにやると恐ろしいことになります。で、普通の学校吹奏楽の先生はまず知らない。
P144では「オクターブ上とオクターブ下がある」という模範解答になっています。
普通に読めば「あー、確かにそんな高い(低い)わけないよね」と判断できるのですが、ホルン読譜のクソゲーっぷりはまともな感性では解けません。
恐ろしいことに「そこ絶対に上読みだと思ってたのに!なんだよ!下かよ!低すぎだろ!」となるケースが稀にあります。これはもう過去の演奏から学ぶか、先生から教わるしかありません。ホルンの「下吹き」を目指すなら必修です。オーケストラ曲やホルンアンサンブルではものすごく低い音を、しかも強い音が要求されることがあるので覚悟し備えましょう。なんでもオクターブ低く演奏できるようにしておけば大丈夫です。
・移調読譜は良い訓練になる
なお、ホルンをマジメに続けてオーケストラでもやるようになると、曲の途中でキーが変わる超絶クソ楽譜に挑むことになります。もし将来的にオーケストラでもホルンを吹いてみたいという生徒がいたら移調読み課題を与えてあげてください。
簡単な童謡のメロディを書いて、それを半音ずつずらして演奏する練習は非常に効果的です。もちろんコンクールの曲を高く低くずらして練習してみるのも、総合的なトレーニングになります。
金管奏者が「高くて吹けない!」と言っていたら「普段から高く移調して練習しておけばなんでも楽勝になるよ」と教えるだけでOKです。まじで?うん。まじでよ。筋トレと一緒ってこと。バットはせいぜい数キロの重さだけど、筋トレではもっと重たいものを持ち上げるでしょ?という単純な理屈。もっと高い音を経験しておけば、通常の曲で使う程度の音域なんてウォームアップなしでもいつでも吹けますよマジで。
あとアレな。ウォームアップなんかやってるからうまくならないんだよ。体が固まってる状態から、いきなり高い音を「ピッ!」って一発で当てる練習をしないとダメ。
「最も難しい曲」は色々あるけれど、その中で特に有名、これぞ難曲!と断言して誰もが同意してくれるのがこれだ。『ボレロ』のトロンボーン。
楽譜は「テナー記号(テノール記号)」。要するにトランペットと同じように読めば良い。つまりBb読みで「ドー、シラソ ドレシラ」。
Boléro (Ravel, Maurice) - IMSLP/Petrucci Music Library: Free Public Domain Sheet Music
2段目後半は「ドレミー、ミーミミミ」という、一般的な吹奏楽では絶対に見ることがない音域です。
何分も音を出せないのに、いきなりとんでもない高音メロディのソロ。「チューニングBb」のオクターブ上。しかもフレーズの途中ではそれより高い音が出てくる。さらに上のDbまで上がらなきゃいけない。これがホンモノのトロンボーン奏者に要求される過酷さだ。
つまり、将来オーケストラでトロンボーンをやりたいなら、この曲を10分音を出さず、じっと座っていて、いきなりこれを吹けなきゃいけない。
もしちょっと上手くて調子に乗ってるトロンボーン奏者がいたら、これを課題にしてやれば良い。もちろん「10分音を出さないで座って待って、一発で成功させろ」という条件つきで。
もし難しすぎるなら、これを長3度下げた楽譜を自作して練習してみれば良い。慣れてきたら半音ずつ高くして原曲に近づければ良い。それが練習だ。
なんならオクターブ下げたところから開始して、毎月半音ずつ上げれば良い。そしたら1年で吹けるようになるはず。それが練習だ。
私は中高生の頃からそういう練習をやっていたおかげであらゆる曲が吹けたし、あらゆる移調も読めるようになりました。一般大学に入学して上京した直後、N響の先生から「今すぐうちの音大に来い」と言われたこともあり、報われた気持ちでした。
この移調読みの能力は作編曲や指揮にそのまま活用できます。移調がすべて読めるのは、音楽的には12カ国語を自在に使えることに相当します。
なお知人のプロバイオリン奏者は今まさにツイッターで「移調はクソ」とわめいております。お高く止まっているバイオリン奏者は一生ト音記号の標準的な楽譜しか読まないので、なんでも移調読みできるホルン奏者の方が音楽的に上なんだよ!!などと口が裂けても言ってはいけません。ダメですよ!
また、ホルンのクソ低音表記について興味がある人はこういう記事を読んでみると眠れなくなるのでオススメです。
実際これをどっちのオクターブで演奏しても気が付かない指揮者の方が多いんじゃないかと思います。
■なぜCからなのか?
P79
これは諸説あります。
もともと記譜法は宗教音楽とともに発達、洗練されたものです。音楽の歴史と宗教は切っても切れない関係にあります。バッハは音楽の偉人であると同時に、宗教の偉人です。
で、宗教音楽は深刻な短調がメインだったからA minorが基本。
その後は音楽が大衆化して明るい長調(Major)が好まれた。基本であるA minorの平行調であるC Majorが大衆音楽の標準になった、という説。
(そういう大衆化の流れの先で、陽気なイタリア人が様々な表現を考え、それをイタリア語で楽譜に書き込んだ、というのが楽譜記述の歴史なんだよ、と理解しておけばOK。)
(ヘビーメタルの音楽も短調が多い。でも奴らが歌ってるのは神様じゃなくて悪魔の音楽だ。宗教音楽の「短調趣味」を忠実に引き継いでいるのが悪魔音楽だというのも面白い。実際ヘビメタの音楽性は古典クラシックの直系だし、速弾きやアドリブというのも宗教音楽の時代の技法だ。イタリアオペラ経由で近代化した「いわゆるクラシック音楽」では速弾きアドリブ要素は一気に消えた。)
ともかく、大衆化してピアノ教室で女の子が初めてピアノを習う時には、楽しく明るいC Majorが使いやすかった。いきなりA minorやらされたら楽しくないでしょ?
入門者は明るく楽しいC Major主体で覚えるから、基本がCであるかのように広まった。と私は理解しています。もともと音楽の基本はA minorだったんだよという解釈です。本当のところはどうなんでしょうね。
これはいずれTV番組「チコちゃんに叱られる」に取り上げられるかもしれません。
が、チコちゃんはいつも「諸説あります」という逃げを打っているので、それはどうなんだと思います。まー雑学バラエティ番組であって、Eテレのガチ学問ではないのでそっとしておきましょう。なんだかんだで面白い番組ですし。専門分野への入り口としての雑学紹介番組、という意味では本当に楽しい番組です。
その「諸説あります」を自力で調べていくことが学問の入り口であって、雑学の出口です。中高生が進学し、様々な分野で活躍するためには、まずは雑学で良いんです。大人(大学生以上)になっても雑学ネタで専門家に突っかかってくる連中は先進国の人間としてどうなのよ?と思いますが。
・雑学と好奇心
雑学的な興味は知識を渇望する芽です。
音楽的には全く役に立たないので「AはA!CはC!」と暗記させれば良いだけのことです。しかし、なぜAとCなのか?という疑問があるなら、納得いくまで自由に研究させるべきです。インターネットもある時代ですし。でも雑学ばかりやっているとやくたたずのクイズ王にしかなれないので、「演奏に関係ない雑学的なことは1日30分だけ調べ続けてね」と指導するのがベストだと思います。
指導者、プレイヤーとしては「そんなこと興味持たなくて良いからスケールやれスケール!」「他の楽器の移調も読めるようにしとけ!」と言いたくもなるのですが、若者の興味にそれなりに正面から答えなければなりませんね。
なお私は高校生の時にそういう興味本位の発言をプロオケの先生に言ったら鉄拳制裁「指導」されたので、図書館にこもって独学しました。そしたらあっという間に周りの大人よりも詳しくなったので、ある種の発達障害なんだと自覚するようになりました。
東京行ったらみんな情報に恵まれているから詳しいんだろうなと思って上京したら大したことなくて完全に浮きました。でもそういう知識欲がある新入生が来たということが指導陣に知れ渡ると、先生は「お前の情報は古い」と言って、次の日にはリュックがパンパンになる量の本を持ってきてくれたり、無料でレッスンしてくれることにも繋がりました。
出る杭を打つ奴らもいれば、尖ってる人を引っこ抜いて別世界に案内してくれる大人もいるんです。そういう師匠に遭遇した時、よりよい指導を受けられるように、常に準備をするんです。与えられる課題をやるだけの学生でいるか、そこから飛び出すかを決めるのは自分自身です。
なお、私が非常勤講師の時に「尖ってる生徒をひっこぬく」をやったら「ひいきだ」「女学生に手を出した」という誤解をされてクビにされました。自分が一般的な学校教育の現場に向いていない、狂ったゲージツ家肌なのだということを痛感しました。
なおその学校は私が指導していた時は地区予選抜け県大会金賞でしたが、その後はすべて予選落ちしているようです。仲良くやるだけの部活に戻ったようなので、その状況に憤慨する「尖った奴」が現れることでしょう。
・ピアノの最低音がAだが……
P80
(画像不要)
88鍵ピアノの最低音はAですが、これはABCの順序とまったく関係ありません。単なる偶然です。ピアノはもともと88鍵だったわけでは無いからです。
歴史的にピアノの鍵盤数は拡大されつつあり、昔のピアノはCかFが最低音です。(ヒストリカルピアノ参照)
現在のピアノの設計や弦の材質などがより良いものに進化すれば、もしかしたら88鍵よりも多い特殊ピアノが標準的なものになるのかもしれません。
・特殊なピアノ
また、関連事項。
現代的な一部のピアノは低音の音域が拡大されているものもあります。
が、これは一部の特殊なピアノ曲の演奏で直接弾くためだけではなく、そこに張られた弦と巨大なボディに共鳴させ、豊かなサウンドを得られるメリットがあります。
お察しの通り、とんでもない価格です。だって、普通の人は使わないから量産できないもん。
ベーゼンドルファー・インペリアルモデル参照。
・ベースの弦の数
別の関連事項として、エレキベースの5弦モデルも、単に音域を拡大するだけではなく、低音5弦を親指を置く場所として演奏を安定させる目的もあります。エレキベースは通常は4本弦ですが、5弦もかなり一般化した、と言える時代になってきました。
一般的な吹奏楽で使われるコントラバスは4弦で最低音がEですが、プロオーケストラのコントラバスは5弦(最低音C)が標準と言ってもよい状況です。
オーケストラのコントラバスもより低い音、というか、チェロの最低音と同じCをオクターブ下で重ねられるメリットがあまりにも大きかったため、5弦コントラバスは「普通」となっています。これ、吹奏楽でのコントラバスの使われ方を考えるとちょっと残念ですね。吹奏楽のコントラバスの楽譜はテューバの演奏と同じかというとそうでもなくて、妙な所でオクターブが切り替わったりする。基準音をBbにして、そこから4度チューニングでBb Eb Ab Dbというコントラバスであるべきです。まーそうなることはありえないでしょうが、理想的には吹奏楽のバスチューバに揃えた楽器として存在するべき、と思うことがあります。ついでに言うと吹奏楽の音量に対抗できるように金属ボディにするとか。
・演奏しない弦?
他、直接演奏しないけど共鳴させる「共鳴弦」という楽器設計があります。これはバイオリン属の派生民族楽器や、インドのシタールなどに装備されています。興味のある人は「共鳴弦」でググってみてください。
また、共鳴の仕組みは楽器ごとに装備された弦だけではなく、弦楽器群の中で相互に共鳴が起きています。特にコントラバス同志の相互の共鳴効果は大きいです。
上で紹介した低音鍵盤が拡張された巨大ピアノも、そういう「共鳴」を狙っているわけです。
以上、雑学終わり。
本題に戻ります。
■斜めリタルダンドと段差リテヌート?
P95
私が学んできたルールの場合は「rit.とriten.は全く別」でした。
rit.は「徐々に減速」ritardando。リタルダンド。
riten.は「そこから1段階減速」ritenuto。リテヌート。
と覚えています。
が、実際の運用ではわりと適当というか、楽曲解釈の自由度に任せられていますね。
神経質に楽譜を作ったところで、結局は別の指揮者(奏者)の判断でスムーズで仕上がりの良い演奏のために歪曲されます。まー良いんです。最終的な演奏が良いものになるなら、がんじがらめのテンポ指示をするより、自由な解釈で良い演奏をしてくれたほうが。どうしても徹底的に支配したいなら他人に演奏させずDTMでもやってれば良いんですよ。
その他の指示語についてはどれがどれとは明記しませんが、「積極的にテンポを上げ(下げ)ていく」「受動的にテンポを上げ(下げ)られる」などの精神的な解釈が正しいとする一派もありました。
私が理解している解釈では、例えば「accelerando」は「誰かを引っ張って積極的に加速」で、「stringendo」は「背中を押されて受動的に加速」です。(諸説あります)
「ついてきて!」と「押すなよ!」の違いです。
あるいは「みんなで行くぞ!」と足並み揃えるのがaccel.です。
他にもいろいろな場面をイメージしたはずです。
イメージした様々なシーンは、どれも少しだけ違うはずで、その違いを音で表現するのが音楽です。
これは音だけの練習では理解しにくいので、「おしばい」をやってみると良いです。手を引っ張って走ってみれば良いです。そういうビジュアル学習、体感学習を積み重ねることはとても大事。CDの音を聞いても、その音の機微を正確に感知できない人がほとんどです。「音を聞け」は指導ではありません。
往々にして吹奏楽で行われる「スピード変化」の表現はどれも作為的というか、足並みが揃いすぎているように感じます。
その加速や原則がアクション映画ならどういう場面なのかイメージしてほしいんです。脱出シーンで取り残された怪我人に「早く乗れ!手を伸ばせ!」と叫んでいるのか、どこにいるのか分からない犯人や恋人を追いかけて走っているのか。
単にBPM(テンポ)を変動させるだけではなく、積極的に引っ張るのか、背中を押されて仕方なくなのか。そういう切り口からテンポを考えるのはとても奥深いことですね。
特に吹奏楽のような大人数の合奏音楽で、「どの楽器がテンポを先導するのか?」は割と面白い演奏表現です。メロディが先に進もうとするのか、伴奏が背中を押してくるのか、一列に並んでいるのか。そのニュアンスの違いは非常に奥深いです。
このような「牽引役」を明確にすることで、いかにもアマチュア吹奏楽的な「訓練された演奏の実施」ではなく「生きた音楽性」が生じるんです。
指揮者が「もっと!」と煽っているのか、奏者がもっとやりたくて演奏しているのか、その違いです。やらされているのは本質的に演奏行為ではありません。支配欲で棒を振るのは真の指揮者ではありません。
ある有名な指揮者のエピソードがあります。
リハーサルでまったく演奏せず「みんな上手いんだろ?一流オケだもんね。知ってるよ。だから明日のコンサートは大成功する。練習は必要ないね。」と言ったそうです。信頼していることをはっきりと言葉で伝えることは、疑って命令し続けるよりも良いことがあります。まーもちろん楽団も指揮者もその曲の演奏に慣れていたこともあります。
ただしこれは極端な話だということは忘れないでください。
でも、奏者の自主性なしに音楽は成立しません。管理し訓練するスタイルで「コンクールで金賞を取ろう!」という経験だけだと、その集団から巣立った後には何もできない人になってしまいます。「音を聞けば分かる」人であれば、吹奏楽コンクールの音からは「管理された音」「訓練した結果の音」にしか聞こえないわけです。命令されて訓練し続けなければ1曲やれない学生吹奏楽を卒業した後で世界に違和感を抱くはずです。
ちょっと話がそれますが、この「誰が」「積極的/受動的」はcrescendo等の音量変化にも適用できます。メロディが先に大きくなっているのか、伴奏がせり上がってくるのか。それも高音楽器の伴奏なのか、低音楽器なのかによっても異なる演奏ニュアンスができます。
この感覚は吹奏楽に限らず、バンドでも同じです。ボーカルが先に大きくするのか、リズム隊がボーカルの背中を押すのかの違いです。
この辺の感覚は音だけで学ぶより、集団スポーツで学んだ方が具体性があって良いはずです。たとえばサッカーで後ろからのパスが遠くまで飛ぶのか、それとも前の選手が「ここによこせ!」と叫ぶかの違いです。いわゆる「ラインを高くする」戦術ですね。
サッカー部的には、そういう先導する役目を全部センパイがやっているだけでは良いチームにならないから、後輩も役割を理解し、センパイを煽るくらいの活力が欲しいわけです。後輩が先輩に対して「パスパス!!」と要求できる理想的なサッカー部の姿です。
他の部活の人と「集団スポーツと集団音楽」について語ってみるのはとても感動的な体験になるはずです。事実、私は吹奏楽部の中の付き合いより運動部や演劇部の人との会話の方が得るものが多かったです。
・楽典ジョーク
上の画像に「stringendo (略、string.)」という用語があります。これはaccel.に似た意味で使われ「切迫して」と表現されるのですが、このSTRINGのスペルだけに注目して「stringendoは『弦楽器っぽく演奏せよ』という意味だよ」という楽典ジョークがあります。
そういうジョークで受け答えできるようになったら楽典の音勉強は卒業できている、ということです。
なお学生時代にstringendoを誤読してSTRONGだと解釈した後輩がいました。おい、おまえ、なんでそこからフォルテになるんだ?
でも間違いは学習のきっかけです。
なお、吹奏楽で頻繁に出てくる「a2」(アデュー、2人で、あるいはセクション全員で、の意味)は「A2の音、2オクターブ目の低いアーを演奏せよ」だというジョークなどもあります。
■時代による違い
P93
これだよ、これ!
時代が古いと、概ねテンポは遅い。アレグロが120になったのは割と最近。つまりメトロノームの流通。キビキビ歩くマーチは割と最近のもので、昔はドッシリした重厚な曲を「マーチ」と呼んでいたりする。たしかにどっちも「行進」だ。
コンクール的にアピールのできる刺激的な演奏のためにテンポを速くする戦略はアリかもしれませんが、ドッシリしたテンポで堂々と聞かせる姿勢は、きっとマニアックな審査員を感動させるはずです。安易に速くするのは指先の練習時間が増えるだけで、本当の意味での合奏の練習にはなりません。少なくとも一年中吹奏楽ばかりじゃないジャンルの人が審査員に来ているなら、他の団体との音楽性の差を強烈にアピールできるはずです。年配のベテラン音楽家や、作曲家は特にそういう傾向があると私は考えています。実際ゆっくりした曲をしっかり聞かせるのって難しくて怖いでしょ?
なお、行進曲が120という軽快なテンポになったのは、鎧を脱ぎ捨てた後の鉄砲の時代以降です。重たい鎧と武器を持っていた時代は120では動けません。この辺は昔の戦争映画やファンタジー映画などを見ると「なるほど!」と納得できるはず。
葬送行進曲はもっと遅いです。
さらに言うと、幼稚園児にとって120は遅いです。もっとちょこまかしたテンポの方が適切だと思います。
歩く速さとは一体何がどういう状況で歩いているのでしょうか?
・絶対音感原理主義がクソである最大の理由
付随することとして、昔のピッチはとても低い。
これは各々でネット検索して調べてみて、実際にやってみると現代の楽器でどんなにチューニングを下げると楽器のバランスが崩れるレベルだと分かるはず。そのくらい低い。
だから「絶対音感」は別に宇宙の神秘とか原子の振動数が根拠じゃない、単なる後天的なもの。人体が特定の周波数を根源的に求めている心地よさとか、そういう話は全部おかしい。雑学どころじゃない。害悪にしかならないオカルトだ。
昔の楽器は音が低いから、昔の絶対音感は低かったということ。
そもそも現代のオーケストラは、よりスリリングな音を出すためにチューニングを非常に高くしている。445以上とかさえある。絶対音感(440)の人にはそれらもすべて狂った音楽に聞こえるってことになる。ためしにいろんなオケのCDに合わせて440でチューニングされたピアノを合わせてみると良い。吹奏楽やってる人なら音がずれまくることに気がつくはず。
よって絶対音階にはそれほど価値は無い。ということになります。
季節によって楽団の基準 チューニングを変えた方が物理的に音が安定するものだし。
あとアレね。吹奏楽的に言えば「純正律」はピアノ平均律の440と異なる。絶対音感が正しいなら純正律が正しくないことになる。とにかく絶対音感の有無については考えない方が薬になる。そんなことを考えてるヒマがあるなら何人か集まって和音の練習でもした方が良い。
とにかく「絶対音感が無いから音楽が上達しない」という、『できない理由』として使うのはやめてほしい。
・できない理由より、続ける勇気を。
中高生への指導で一番言いたいこと。私が指導で一番多く言っていたこと。
あと、吹奏楽部員に多いのは「わたし女だからできない」と言って都合の良い時だけ女であることを理由にするマインド。本当にやめて欲しい。
私は成人男性としては平均以下の体格なんだけど、金管楽器講師をやっていた時には、
「ぼくはこんな体格だ。小児喘息持ちのくせにタバコも吸ってる。たぶんクラスの野球部員の男子生徒の方がぼくよりガッチリした体のはずだ。そんなぼくだけど、これだけパワフルな音を出せるよ!『ブオオオオオ!!!』」
と挨拶をしていた。
自嘲じみた笑いと勢いで爆音特訓を開始するわけだ。音楽講師業、あるいはお笑い芸人のテクニックでもある。楽器演奏必要なのはコツであって体力や体格ではない。真面目に黙って聞いているだけではレッスンにならない。
もちろん最終的には体が大きい方が有利だ。それは音楽に限ったことじゃない。じゃあ体が小さいことを理由に上達を諦めるくらいなら、今すぐブラバンなんかやめてしまった方が健全だ。でもやめちまえと言っているわけじゃない。そんな些細なことはやめる理由にはならない、続ける理由を探せと言っている。
同じことはスポーツマンからも多く聞いている。
ここ10年、もっとも活躍した日本人アスリートの1人として、サッカーの長友選手の名前を挙げて否定する人は居ないと思う。あの体格で世界中の屈強なと対等以上に戦う姿は希望に満ちていたと思う。出始めは無駄に走り回るサル顔のチビくらいにしか思っていなかったが、気がつけば「インテル長友」だ。2010年前後の日本サッカーを象徴する名選手だ。
クリスチアーノ・ロナウドにアンチが多い理由もそこだ。ギリシア彫刻のような理想的な肉体でしかもイケメン。金持ち。実業家も兼ねる。そういう姿に「自分とは違う……」と、希望よりも絶望を感じてしまう人も多いようだ。ネイマールが否定されるのも似た理由だ。成績はともかく、戦術がいちいち薄汚い。手段を選ばず勝利に貪欲なのは認めるが、相手にぶつかって痛がる演技をしてPKでゴールを決めるような大人になりたいサッカー少年はいない。そんな戦い方をするサッカー漫画があったら見てみたい気もするが。(なお、野球の場合『ワンナウツ』という反則ギリギリの行為で勝ち上がっていくイカした漫画がある。なお、相撲漫画では『ああ播磨灘』という「品格のない、暴力横綱」を描いた作品がある。)
相撲の日馬富士も本当にすごかった。全力士の中で最も小さいのに横綱まで上がった人だ。あの体格で、しかも体格が大きくモノを言う土俵の上で横綱まで上り詰めた。小柄ゆえの負けん気の強さからか、暴力問題で晩節を汚してしまったことは残念だけど、ああいう姿は希望そのものだ。
私は自分自身が体格が小さいことや、若い頃にアカデミックな音楽教育を受けられなかったことにコンプレックスを抱えている。そういう気持ちを長友や日馬富士が吹き飛ばしてくれる。小柄なスポーツマンは世界に希望を見せてくれる。「3歳からピアノとバイオリンを習い、8歳で作曲をしていた作曲家」ではなくても、音楽と添い遂げることは可能なのだ、ということを体現しながら死にたいと思っている。
大学卒業後はあちこちの楽団に出入りして武者修行をしていたことがある。受けられる演奏や作編曲の依頼は片っ端から受け、セミプロ的な生活をしていた。どこに行っても「その体格でなぜそんな音量が出るんだ!?」と驚かれた。指揮者は私の爆音を面白がり、曲に活かそうとしていた。
休憩時間には「きみ、どこの音大卒?」と言われるのがいつものことだった。その度に「日東駒専です。」と答えると、ジョークが上手いと笑われたが、やがて本当に一般大のしかもブラバン上がりだと分かると「まじでか」「なんでだよ」と閉口された。それまで楽団に出入りしていたどの奏者よりも上手いと絶賛された。音大卒の人からも「ゲーダイ卒か留学帰りと思ってた」と何度も言われた。
そのインパクトも手伝って、次々と演奏の場を広げるための紹介を受けることができた。「チビのくせにスゲー音を出す奴」「ブラバンのホルンって普通はさ」という評価は、大きな体と音楽的高学歴があったら得られなかったと思う。要するにイロモノだったわけだ。
プロオケのオーディションを受けたりしたけど、箸にも棒にもかからなかった。レッスン師匠も「お前入団したら俺に会うたびに奢れよ?」と評価して送り出してくれたけど、ダメだった。(その後は『社会人になっても続けるための練習メニュー』という名目で指導を受けた。)ゲーダイの先生曰く「落ちたのは学歴だな」と慰められた。
だから今でも「音大卒じゃなくてもここまでできる」というキャッチコピーで音楽の指導をしている。
本書のターゲットである中学・高校の吹奏楽部員が本当にゴールド金賞を取りたいなら、そういうマインドを手に入れて欲しいと思っている。3歳から音楽教育を受けたわけでもない。両親が音楽家だったわけでもない。公立校で部の予算も低い。備品の楽器でなんとかがんばっている。そんな自分たちでも、こんな演奏ができるんだ!という活力を爆発させてほしい。
実は私は吹奏楽コンクールというもので全国大会1位を取ったことがあります。でも、周りには大した上手い人は居ませんでした。正直「こいつら1人1人を取り出したら、8割は予選落ちじゃねーか?」というレベルの楽団です。でもそういう下手くその集まりでも、団結し、できる限りのことをする。他校を妬まない。腕自慢をせず、足並みを揃える。指揮者を信頼する。合奏中にミスった人をにらまない。下手な人をいじめない。そういう当たり前の空気を維持することで、学生吹奏楽のてっぺんに行くことはできた。
もしコンクールが採点競技だとするなら、吹奏楽は団体競技だ。数人の突出したプレイヤーの腕より、底辺がどれだけ揃っているかを競うのが吹奏楽コンクールだと思う。事実、大学で出会った名門高校吹奏楽部の人はたいしてうまく無かった。
経験上、一般アマチュアで本当に上手いなこいつと感じるのは、コンクール名門校の人ではなく、無名のド田舎の人ばかりだった。で、たいていちょっとズレてて、天然で、笑えないジョークばかり言って、集団行動的から浮いてる。これには多くの人が同意してもらえると思う。「自己紹介乙」と言ってもらってもOKです。
それが心底イヤだったから単独でソロコンクールに挑戦していた。幸いなことに「部活と関係ない曲の練習なんかするな」と怒る人も居なかった。聞くところによると名門校ではそういうのが禁止されてるところもあるそうだ。「部活と関係ない曲やめてよね」と。なんだそれ。音楽じゃなくて部活のために楽器やってるのか?好きな曲、やりたい曲は無いのか?
別に吹奏楽部じゃなくても音楽はできるし、むしろ部活の外側の方が音が多い。もし吹奏楽部にいることに限界を感じたなら、迷わず外に飛び出せば良い。
私は学校の部活の練習が無い日には知り合いに連絡して他校まで楽器をかついで行って練習に参加する、というキチガイじみたこともやっていました。どこにでも飛び込む並外れた度胸が10代のうちに身についたのは大人になった今でも大きな武器になっています。
まぁ「部活の曲だけやれ」というのは、ある意味において社会人として役立つのかもしれませんが、自主性や独自性を認めないタイプのマニュアル業務でしか役立ちませんよ?
もしそういう就職を望むなら「私は学生時代に吹奏楽で『余計なことを考えるな』と叩き込まれてきました。外部のプロ音楽家の言うことより、上司(顧問の先生)の言葉に忠実に従いました。私の本質はいかなる理不尽にも絶対服従するマシーンです。学校吹奏楽こそ最高の音楽なので卒業したら楽器はやめて、御社の歯車になります。」そうアピールすることは可能ではあるし、そういう「考えない人材」を求めている企業が多いのも確かなのですが。
・歴史的楽器(ピリオド楽器)
話を「時代による違い」の話に戻す。
これには楽器の制作技術の進歩も大きく関係している。
たとえばピアノの音はもともと小さかった。
「ジャーーーーーン・・・・・」なんて長い残響も無かった。実際にヒストリカルピアノの音を聞いたことも演奏したこともあるんだけど、ビックリするくらいショボい音。
ラッパの音だってショボいものだった、というより、バルブ機構が完成するまで音階演奏すらできなかった。(「シュテルツェル・バルブ」とか「キィ・トランペット」で検索してみると色々と歴史をたどる入り口になる。)
そういうできの悪い楽器だったから、自由自在に演奏できる人は世界でもほんのわずかだったらしい。
文字通り「神に与えられた才能」によって、超高次倍音を自在に演奏できるプレイヤーだけが音階を自由に演奏できる時代さえある。今でいうとエリック宮城みたいな天才。だから当時の「トランペッター」はとんでもない高給取りだったし、交通が不便な時代だから滅多に聞くこともできなかったんだそうだ。この辺の話は「バロックトランペット」で検索してみると良い。
ユーフォニアム奏者なら知っている人が多いだろうけど、「コンペイセイティングシステム」なんて割と最近発明されたものでしかない。近年その特許保護期間が終わり、各社が素晴らしい新作ユーフォニアムを生産するようになったし、非常に安価になった。知ってのとおり、コンペイセンティングシステムを備えていないユーフォニアムは特に低音の音程が悪い。(まー悪いことは悪いんだけど、そういう追加システムがついていない楽器は、それはそれで操作性が軽快だしクリアな音が出せるメリットがある。)
木管楽器の音程も昔はひどかった。数学(音律計算)進化によって、穴の位置の設計改良され、その加工を正確に行えるようになったのは割と最近の話でしかない。それまではたまたま偶然できあがった理想的な1本が高値で取引されていた。
木管楽器のキィシステムもまだまだ進化しているし、樹脂による管体やリードの材質は飛躍的に向上してきている。未来では「昔は木のリードでした。臭くて苦かったそうです(笑)」なんて紹介されているのかもしれない。
弦楽器だって鉄の弦ではなく、ガット(動物の腸)を使った弦だったから、今ほどきらびやかな音は出せなかった。「バイオリンは300年前から姿が変わっていない」というのは本当だけどウソだ。弦と弓はまったく別物に変わっている。
モーツァルトとかの時代はそういう音色を出す楽器のために曲を作っていた。だから、モーツァルトのピアノ曲は今のゴージャスなピアノの音では「正しい」とは言えないわけ。
そういう歴史的な背景を考慮した演奏を今こそ再生しようという動きが結実したのが、今年行われたこのコンクール。
第1回 ショパン国際ピリオド楽器コンクール(2018年9月) | ポーランド 広報文化センター
ショボいヒストリカルピアノで当時の音を演奏するコンクールがあるんです。すばらしい試みです。
なお、DTM(コンピューター音楽)用のソフトウェア音源「Pianoteq」ではヒストリカルピアノの音も楽しめます。
軽量ノートPCと電子ピアノで演奏することもできるのでオススメです。
この辺の歴史的サウンドに興味がある人は「ピリオド楽器」で検索してみると良い。近年は国内外でもピリオド演奏のコンサートが増えてきていて、ある意味最大のトレンドとさえ言える。CDも出ているし、Youtubeでも見ることができる。たまにだけどテレビでも見られる機会はある。バイオリンがキーキーした音ではなく、本当に柔らかい音を出す。
そういう古い楽器を使うだけではなく、ピリオド演奏のガチ勢は奏法まで昔の文献で研究し、昔の奏法を身に着けている。ビブラートを使わないバイオリンだったり、指揮者をもうけないでプレイヤーだけでアンサンブルしたり、人類史レベルで保護するべき偉大な活動をしている。
まぁネガティブに解釈すれば、一流プロ楽団の奏者になれるだけの実力が無かったから古典楽器奏者への道に転じた人が多いんだろうけど、それが逆に最先端になっているのだから興味深い。
■テンポの記入位置
P96
楽譜の浄書ルールは世界標準的な絶対のルールがあるわけではない、と先に書いておきます。
私が知る限りの範囲での一般的と言えるルール、つまり国内外で一般流通、市販されている浄書の教科書では「テンポ系はすべて上」のようです。
が、私の記憶上、吹奏楽ではテンポ系の位置は大きなものが上、rit.等の小さいものは下、というのが多かったように記憶しています。具体的に数えたわけではないのですが。
その上で、上画像(P96等)のように内側にテンポ指示を書くのは読みにくいなぁと感じます。すでに例を挙げているとおり、本書の譜例は急造感があり、真に模範的かというとそうではないと言わざるを得ません。改訂版に期待しています!
実際私は若い頃にこういう本や自分が練習している曲の楽譜から、浄書の作法の多くを見て学びました。そういう資料の中から明らかに間違ったことを覚えてしまい、大人になっても是正できていないことがいくつもあります。出版物でも間違いが多くあるから気をつけよう。
なお、本書を書いた侘美秀俊先生は「ニューサウンズインブラス」の浄書もやっている人です。作曲者や編曲者と違って、浄書家の名前は楽譜に刻まれることはありません。しかし、吹奏楽をやっている人の多くはすでに侘美先生の作品に触れている、ということです。そういう浄書の専門家の本が出版される際に楽譜画像にミスがあると沽券に関わるので、出版社の人はもうちょっと頑張ってほしいと思う。
(が、こういう一般的な出版物が真に細部までこだわって仕上げるのは重版につぐ重版の末のことなので、初版から完璧に、というのは本当に大変なことなんです!教科書や辞書でさえ何度も手直しをして、ようやく今の姿になっています。)(マンガでも連載時に本誌で誤植があって、単行本化した時に修正された、ってのを見たことがありませんか?)
で、浄書の作法に様々な流派があるように、楽器やジャンルによる音楽の流派も様々なです。そういう中で「些細な記号位置について口うるさい一派」が主張するのは「テンポはすべて上にしてください!常識でしょ!あなたそれでもプロなの!?」という主張です。一言多いんだよおめーらは。プロなら多種多様な浄書作法があることくらい経験してこなかったのか!と言いたい。クソみたいな手書き譜面を経験したことがあるならそんな文句は出ないはずだ。浄書屋を経由してない手書き譜面はマジで地獄だぞ。
逆に、私が今まで楽譜を制作してきた中で、「rit.とかは下にしてください」と指示されたことは一度もありません。
私自身の特性上、いかなるクソ楽譜でも読んでやる!という挟持があります。学生時代に多くの書き下ろし手書き譜の浄書を行ってきたからです。また、一般大学(国文学)では古典文献の解読なども行っているので、整っていない文字記号の解読に適正があります。当時のコピー機やゼロックスの性能が悪かったので文字が潰れていてもわりと平気で読みます。
■誤植か?
p115
Bsus.とは何か?Bsn.(Bassoon)のタイポかな?
■音量記号
P99
そうそう。これだよこれ。
音量記号は絶対値ではない!
・音量アナリーゼ(1)
自分が教わった演奏法/指揮・指導法で非常に興味深かったのが「その曲の中に出てくる音量記号をすべて調べる」というアプローチ。
ある曲ではfffが1回、1コードに対してしか出てこない。つまりその和音こそが曲中最大の音量になる、という解釈。もしくは「そのfffは特殊な音色感で差別化しなければならない」という解釈。
他、吹奏楽やオーケストラなどのアコースティック演奏でも、録音スタジオを経由する「ミックスされた音」でも使う技法として、「フレーズの開始部分だけ大きめ、バレない程度に徐々に小さくしていく」ことによって、その後に現れる大音量に備えることができる。
これはフーガの演奏などをクリアーにする目的でも使われる。最初に主題を提示した人は、次のパートが入ってくる手前でゆっくり音量を落とすことで、次々入ってくるテーマを明瞭に聞かせることができるという方法。(音量変化に敏感な人なら、非音楽家でもこれに気がついていることがあります。今すぐ音楽やれよ!と思う。)
ただ、この方法を学校吹奏楽のアマチュア指揮者先生がやると、ほぼ例外なく露骨な音量低下になってしまって作為的でダサい。要するに音量に対する耳ができていないんだと思う。田舎吹奏楽で割と頻繁に聞く。こういうテクニックはさりげなく、ナチュラルに実行しなければならない。
ff、f、mf
mp、p、pp
この6段階よりも、もっと細かい音量の使い分けだったり、フレーズの音階を上がっていく時に音量を大きくするか、小さくするかなどの工夫。本来は大きく抑揚をつけるべき主題を平坦に演奏する。スタカートの短さをどのくらいにする。わずかにテンポを落とすなど、様々な工夫で僅かな変化をつけることに挑戦して、音楽の奥深さを追求してみてほしい。で、そういうことは普通の学校のブラバン先生の理解を超えているので、プロの演奏を精密に聞くことだ。繊細な中高生の能力を総動員すれば、ブラバン先生の能力を超えることは簡単なはずだ。大人に負けるな。
・音量アナリーゼ(2)
その場面の演奏に参加している楽器と、その楽器の持つ音量から想定する。
また、全体の雰囲気に対して書かれている音量指定なのか、 個別の楽器に対して、その楽器性能を考慮した上で緻密に書かれているのかを考える。
また、和音の担当楽器数からも考える必要がある、場合もある。
そこで問題になるのが、アマチュア吹奏楽の「力量差」の問題だ。
トロンボーン奏者が未熟な場合、プロのトロンボーン奏者を想定して書かれた音量は出せない。同様に、オケ全体を支える音量が出せる学生テューバ奏者なんてまず居ない。その楽器のサイズからくる制約と地味さから、どうしても「ウドの大木」的な学生がテューバを無理やり担当させられることが多いからだ。和音バランス、周波数バランス的にも低音は常にドッシリしているべきで、その土台が無いと上に和音がバランス良く乗ることはできない。つまり一般吹奏楽部のテューバは最も管楽器演奏の素養がある人が担当するべきだ。
全体より自分の欲求のために楽器を選ぶことによって、楽団全体のサウンドが悪くなる。その悲劇を回避するために、学生吹奏楽は年代わりごとに素養のある奏者をテューバ担当とし、重厚な低音によってバンド全体のサウンドがよくなるようにするべきだと思う。
・音量は自分の都合だけではない
私自身、高校の途中でテューバを担当することを買って出たことがある。人数が少ない部活だったこともあり、先輩が卒業したらテューバがいなくなってしまうからだ。
テューバの練習とあわせて当時の本業だったユーフォニアムのソロ曲を練習し続けてソロコンクールへの参戦を目論んでいた。
テューバを練習したことは多くの恩恵をもたらしてくれた。楽曲を支えるバランス感覚と、和音を最低音から観察する耳。なにより、楽器を持ち替えることで柔軟なアンブシュア(口の構え方)を獲得するきっかけを得た。
何より楽器を持ち替えることの抵抗と恐怖が一切無くなったことが収穫だった。
大学進学後もユーティリティプレイヤーとして編成と人数に合わせて毎年楽器を持ち替える「変人」として立ち回ることになった。結局学生時代のうちにすべての金管楽器を演奏することになり奇異の目で見られていた。
最終的にはホルンが最も適正があることが分かり、ホルン自体の演奏経験は1年足らずだったにも関わらず、中高でホルンを演奏し続けてきた学生よりもうまく演奏できていた。
その他、いろいろあって本当に多くの楽器を経験してきた。
それは今の作編曲の仕事に直結している。
なお作曲のレッスンを受けた際に曲を提出したら「君はギタリストか?」と問い詰められ『いいえ、ホルンです。』と答えた。「オーケストラ?クラシックの?うーむ」と実に不思議そうな顔で見つめられたことがある。なぜギターが書けるのかというと、旧友がメタルマニアでCDを押し付けてきたからだ。
わけのわからないキャリアになってしまったことをネタにして、音楽の場での自己紹介では「家でシンセをいじり、登下校でメタルを聞き、学校でバッハをやっていました。」と言うことにしている。一貫性が無いことについて一貫している。
メタルを聞いていたので速い音符に対する抵抗感がまったく無くなったのは最大のメリットだったと思っている。サンキュー、旧友。お気に入りはジューダスプリーストの『ペインキラー』です。
・音量表現アラカルト
話を戻す。
音量表現には音量そのものではなく「減衰させないことで大きく演出する」「減衰する落差で大きかったことにする」という矛盾する音量差別化の表現技術がある。つまり「ビブラートによって1段階大きくアピールする」テクニックだ。ビブラートの扱いについてはオーケストラの弦楽器やポピュラー音楽より、英国式ブラスバンドが最も洗練されていると思ってる。(英国式ブラスもやったことがあり、ソロアルトホーン、フリューゲルホーンをやった。)
そういうテクニックを含めて「音の強弱も大事な表現」なのだと思う。
・音量の可視化
私が吹奏楽指導をする時、「pp~ffの音量を体で表現してみよう」という体操をさせています。このレッスンはどこでやっても好評でした。
椅子に座った状態、床に座った状態、座って上向き、下向き、椅子の上に立って上向き下向き。これらによって明確に音量というものを意識させる。その中で特に重視しているのはmpとmfの差。これは椅子に座って上向きがmf、mpは座って下向きとしている。「なんとなく中間」を設けず、明確にプラス方向とマイナス方向を区別する。
音量という目に見えないもの、個人の耳、場所による聞こえ方の異なる音量だけで考えず、明確に可視化できる情報として習得させる。
漠然としか音量を考えていないアマチュアに対して、これはマジで劇的な効果があるので超オススメ。
音楽の習得が難しいのは目に見えないからだ。自分の音は大きく、遠くの音は小さく聞こえるからだ。その中で相対的な音量をどうにかしろと言われても、訓練していないアマチュアができるわけがない。
仮の形であっても可視化することで「頭に電球が灯る」人は多い。
他、全体の音を遠くから聞かせて、「いつも隣で吹いているあの人の音量はこう聞こえるのか!」と観察させるレッスンも効果が大きい。音量は主観で捉えてはいけない。もし客観的に聞いたら大きい(小さい)だろうな、ということをイメージできるきっかけを与えなければいけない。
それをやらないからアマチュア吹奏楽はいつまでも指揮者から指示を出されないと何もできないんだと思ってる。
■スラーの意味
P105
吹奏楽で特に注意が必要なのが、吹奏楽専用に作られていない曲、いわゆる「アレンジ曲」の演奏解釈におけるスラーの扱い。
特に昔のガチガチのオーケストラ作曲家の書くスラーは、概ね「運弓を示すスラー」。これを吹奏楽アレンジャーがバカ正直にコピーするから、学生吹奏楽におかしなフレージングが蔓延する。それに書かれているスラーだけを頼りに演奏するからおかしな演奏になる。それを正すためにいちいち指導しなきゃいけないから、時間がいくらあっても足りない。
なお、本書で頻出するホルストの楽曲のスラーは「弓スラー」と「フレーズスラー」が混在しているので解釈が非常に難しいと思っています。
ともかく、吹奏楽オンリーの人は「弓スラー」というものが存在することを知っておくべきです。
あと、「一息のスラー」とは言っても、タンギングをしないわけではない!フレーズ感さえつながっているなら、管楽器特有の軽いタンギングは許容されます。「スラーはタンギングしない」と教えるのを本当にやめて欲しい。
「管楽器特有のタンギング」が最も顕著なのがトロンボーン。トロンボーンのスラーはスライド移動の際に、基本的にタンギングを軽く入れます。「たたた」の明確なタンギングではなく「ららら」とか「さささ」「そそそ」くらいのシラブルを使います。これ以上のことを正確に習得したい人は、ガチの専門家からマンツーマンレッスンを受けてください。
逆に、タンギングを使わずに先頭の音を息だけでゆるく発音する表現もあります。
とにかく吹奏楽の、部活レベルにおけるタンギングの扱いはめちゃくちゃです。レッスンをやる楽器ごとの先生はそこの情報を流通させて欲しいと思います。というか、プロ奏者が「タンギングしません」と言っているのにX線撮影してみたらバッチリ舌が動いていた、というのが近年の管楽器奏法研究です。
本人が「やってない」と言っていても、自然と実行していた、という無意識の動作なわけです。
管楽器は「見えない内側の運動」を指導するから難しいんです。上の動画のように体を透視したものを見ることは、100の言葉よりも雄弁でしょう。言葉の専門家でもない音楽家が語るより、中高生に多くの情報が伝わるはずです。
ネット、スマホが常識化した時代なのにこういうのを一度も見たことが無かったとしたら、普段からの情報収集の方向性が間違っていると言わざるを得ません。だって、私はもう現役プレイヤーをやめてるのに知ってるんですよ?現役プレイヤー個人や、彼らのグループの誰もがこういうのを知らないとしたら、やばくないですか?
その点、ピアノやギター、バイオリンなどはほぼ全ての動作を目で見て指導できるので、相対的に上達が早い楽器だと言えます。
・息つぎ
吹奏楽器は息を吸って吐くことで鳴らす。息をどこで吸うか?ということを何より考えなければいけない。
と同時に、息のために音楽を破壊してはいけない。
息をどう使うかの計画方法についてノウハウを教えるとともに、「ごまかし」のテクニックを授けなければいけない。
音量は結局息の量だから、息の使い方こそ教えなければいけない。
で、おかしな曲だったり、オーケストラからのアレンジ曲だったりすると、それが正しく身につかない。だからこそちゃんと吹奏楽のために作られた曲で息の使い方を身に着けてほしいわけ。
・解剖学的に演奏する
割と最近まで「息はお腹に入れろ」という誤情報を頼りに指導している人が多かったのは知っている人が多いんじゃないでしょうか。
管楽器の演奏で空気を胃袋に入れることはありませんし、腹筋は息を吸うための筋肉ではありません。また、胸を上に向けても空気は吸えません。解剖学に片足つっこんでる管楽器奏法研究本を読みましょう。あえて書名は出さない。
あとスポーツ系の本は本当によく出来てるから音楽関係者もスポーツの本は読むべき。近年急速に広まってきた感のある「アレクサンダー・テクニーク」系のほとんどはスポーツ、ヨガ系の話を他分野に対して横断的に用いる技術です。
楽器演奏というのはどこまで行っても「運動」です。音楽的素養よりも、運動神経、反射神経、記憶力などのスポーツマン的要素が大半を占めると私は考えています。
音量話ではなく手先のテクニックの話もある。
アスリート的に、圧倒的な器用さをと初視(新曲視唱)の訓練しておけば、たいていの曲の運指は反射神経で対応できる。それをしないから新しい曲が来るたびに膨大な時間を「その曲専用の運指練習」に消費しなければいけない状況になってるのがアマチュア吹奏楽。
ロングトーンより高速スケール/アルペジオの練習をして、手先の器用さを上げておくべき。
・プロプレイヤーが「ロングトーン大事」と連呼する本当の理由
彼らが時間に追われていて、基礎練習の時間を取れないからです。
ロングトーンが本当に大事になるのは手先の問題をクリアした後の音色の段階での話。ロングトーンだけやってても手先は器用にならず、悪循環に陥ります。
まずは圧倒的な器用さを手に入れて、楽譜の練習に時間を奪われない準備をしなきゃいけない。というのが私の指導方針でした。自分自身がそういう方針で、他を圧倒するスキルを習得できていたので。
何よりロングトーンをやる明確な理由も認識できていないなら、派手な練習をゲーム感覚でやらせた方が良い。プロがコンチェルトに取り組むのと違って、アマチュアが選曲するレベルの曲なんて、器用さがあれば数十分で終わるでしょ?と思う。私自身中学の頃からそうだった。曲のための練習なんてほとんどやった記憶がない。と言うと「強者の論理」になるのかなぁ。
大体にしてロングトーンをやると口が固まって柔軟性が無くなるから絶対にやめたほうが良いと思う。金管ならリップスラー、木管ならスケール。どちらも可能な限り広い音域で、できるだけ速いのをさっさと習得した方が良い。「地味な練習が実を結ぶ」なんて方針で成功した例は1人しか知らないです。上手い人はゲーム感覚で無茶な曲に挑戦したりしています。ストイックであることと、謙虚であること、誠実であることは全く別だと思います。
■フェルマータの例外
P105
本書で解説されていない例外の話。
音符につくフェルマータ以外にも、休符につくフェルマータがあります。無音を維持する、あるいは曲の終わりを宣言するためのフェルマータです。
これの解釈はホール音響と深いつながりがあります。残響音が消えるまで待つフェルマータ、消える前に次の音に繋ぐフェルマータ。どちらにするかは指揮者のセンスです。
残響が切れてから改めて次の楽節が始まるか、途切れず繋いで行くか。これが適切に処理されると、ハッとするほどの演奏効果が得られます。
不慣れなアマチュア先生指揮者だと棒振りスキルの不足によるワンパターンなフェルマータ処理しかしませんが、プロ指揮者は多様なフェルマータとその次の連結を表現しています。
今はネット映像でこれらのバトン技法を観察できますが、注意点は「ネット動画は音と映像がズレているものがほとんど」という点。Youtubeなどでバトンテクニックを仕入れる場合には本当に注意してください。
また、上画像の右端のように小節線(主に重線、特に終始線)の真上に添えられるフェルマータ。これは楽曲の終了位置を示します。特にD.C.等、反復記号を使った曲で見られます。
改訂版での追記を希望します。115ページ付近に。
■トレモロの誤植?とも言い切れない記譜
P110
上段は64分音符のトレモロ。下段は3本連桁で32分音符。
楽典、理論的に考えれば誤植なのですが、これを「誤植だ!」と言う人はちょっと神経質。次のP111ではちゃんと「できるだけ速く」の意味だと解説されています。
よほどテンポの遅い曲でもないかぎり、正確に8回連打することなど無いのは誰もが直感的に理解できるはずです。
左の「均等に8(16)分音符で」のトレモロは、吹奏楽用の曲よりも、オーケストラからのアレンジ曲で頻出します。特に弦楽器に対する省略記法として頻出します。これを適当な速さでやられると非常にヤバい。正確に音符を分割して刻みましょう。
でも、弦楽器の音符を担当することになるクラリネットやサックスは、構造的・奏法的に連続するタンギングが苦手。また、弦楽器のトレモロのようにつながった音を木管リード楽器で正しくやるのは結構難しい。そこでまた変な奏法が染み付いてしまうケースもある。管楽器はやっぱり管楽器のために書かれた曲に真正面から取り組むべきだと思う。初心者がいきなり変則的な奏法をやるからおかしな奏法になる。
管楽器のトレモロ奏法で面白いのは、口によるトレモロと運指によるトレモロがあること。吹奏楽というより、英国式金管バンドで割と頻出する「替え指トレモロ」は非常にソフトなトレモロ音になります。
木管楽器でも替え指トレモロ(alternate fingering)オルタネートフィンガリングはジャズで時折出てきます。アドリブ演奏にインパクトを与えることもできる、便利な特殊奏法です。
トレモロに近接する奏法として「トリル」があります。
学生吹奏楽では往々にしてトリルの奏法が間違っています。
指をできるだけ速く動かすのではなく「明確に指をオンオフする」ことを意識する方が良いトリルになります。ハーフバルブの状態では大きな音は鳴りません。
・学校吹奏楽はメンテが酷い
元リペアマンとして言いたいこともある。
あと、メンテされていない金管楽器で替え指トレモロやトリルをやるとカチカチ鳴るのでちゃんとメンテしましょう。顧問の先生を通して楽器屋さんに「バルブのフェルト交換したい。楽器モデルは◯◯-◯◯◯です」と頼めば数百円で改善できます。
また、このフェルト交換だけで音程が改善します。
学校吹奏楽ではメンテが行き届いていない楽器を使って、おかしな奏法で正しい音を出そうと必死になっているケースがほとんどです。コンクール全国大会常連レベルの学校でさえそんなもんです。リペア仕事で都内有名校などにも出入りしていたのですが、「こんな楽器でよくやってるなぁ」と思ったものです。
今どきの楽器はたとえ入門者モデルの安い楽器でも、中国製でも、音程はかなり良いんです。
予算の都合もあるので、楽器屋さんに「その場で軽く仕上げられる簡単なパーツ交換やちょっとした修正を数時間やってほしい」と頼むのが最もコスパが良いです。わずか数本の楽器を完全な状態にオーバーホールするより、安価で楽団全体の音を改善できます。
あと、日常的なお手入れ方法を楽器屋さん(または楽器個別のプロの先生)に頼んでお手入れのレッスンをしてもらってください。日常的にちゃんとお手入れをしていれば、大きな修理は必要なくなります。楽器のトラブルとは、小さな汚れが積み重なって大きなダメージになっているケースがほとんどです。
・楽器のお手入れタイムは何より大事
どんなに練習時間を増やしたくても、毎日のメンテ時間は絶対に確保してください。楽器を持って走って移動させたり、ケースを投げて片付けるようなことはしないでください。その行為は年間数十万円の損失と、永久的な音程の損失に直結しています。言うまでもなく、悪質な楽器では正しい奏法は身につきません。壊れた楽器専用のおかしな奏法だけが染み付いてしまいます。それではプロのレッスンを受けても、正しい奏法を伝授できません!
なお、家に持って帰らせてメンテさせるのはやめた方が良いと思います。少なくともパート内で最もメンテの知識がある人が、できるだけ正しいメンテを指導し続けるべきです。その伝統を継続することは年間数十万の価値があるだと考えてください。
楽器修理のコストを減らし、浮いたお金は何に使うか?
当然レッスン回数を増やすために使うべきです。レッスンは習熟度をチェックしてもらう「アフターケア」も込みで、2回以上をセットにしないと効果が半減します。
・リペアマンの仕事術
なお、上の方法は私がリペアマン時代の営業スタイルです。長い時間滞在し、団員と接する時間を増やせば自然と色々な仕事を取れます。この方法で「過去にこんなに仕事ができるリペア営業は見たことがない」と社長から褒められました。修理の腕がどんなに良くても仕事は増えません。(これは演奏家や作曲家も同じですね。)
リペアマン、楽器屋的にはメンテ技術を教えると食い扶持が減るとか思ってる邪悪な商売人もいるけど、有益な情報を教えてくれる人には悩みを打ち明けてくれるのが人間というものだから、心配せずどんどん無料情報を提供するべきです。それがビジネスです。
特に都市部だと大物のオーバーホール依頼なんて腕の良い店に持ち込むことになるんだから、十分なリペア部門を備えていないなら軽い整備だけで済む顧客を増やし、別件で大きな発注を受けるチャンスを狙うべき。それが営業の本質だと思う。どうせ営業なんて現場判断なんだから、少々勝手な判断をしてでも受注を取った方が評価は上がる。受注を取れないから上司からクソみたいな命令をされて、自分のメリットを活かした自由な営業スタイルがますますやりにくくなる。リペアやれる知識と腕があるなら、情報くらいバンバンばらまけば良い。
ひどい言い方をするなら、少々の技術を教えてもどうせ調子に乗って失敗して泣きついてくるから金になります。窮地に陥った人間を救えば、あなたの一生の顧客になります。
なお、こういうビジネス術を教えてくれるリペア学校は存在しません。
■オクターブ、8vb、8va
P115
これはハンコ浄書をやっていたベテラン先生ならではの解釈かなと思いました。
ハンコ浄書について。リンク2つ。
ハンコの種類が「8va」だけだと上下位置でオクターブ上げ下げを表現しますが、その後はオクターブ下げ記号として「8vb オッタバ・バッサ」が一般化しています。
これは侘美先生が指導をやっているFinaleの機能にも含まれています。
8va/8vb(Finaleの使い方)
私自身、中高生の頃に見た海外楽譜で8vaが上げ下げ両方で使われているのを始めに学びました。が、ある時ハンコ印刷で「8vb」を初めて見て、改めて楽典で調べたらオッタバ・バッサというのがあってビックリしたものです。
もちろん下に書かれた8vaを見て「オッタバ・アルタだな。オクターブ上げるぜ!」という人はまずいません。ハンコ時代に出版された楽譜で学んできたこと、その時代の先生から教わったこと、なにより直感的に下げたくなるはずです。バカ正直にオクターブ上げるのは実演奏経験の無い上に音で判断できない打ち込みDTMの人だけでしょう。
なお、雑な浄書やベテラン作曲家の手書き譜だと音符の上下に「8」とだけ書かれていることが稀にあります。クソ楽譜にも慣れましょう。
・15maという地獄用語
吹奏楽ではまず出てこないんだけど、「2オクターブ変えて読んでね」という15maという記号もある。たいていはピアノかバイオリン用の楽譜です。それ以外の楽器では2オクターブも変えることはまずありません。
鍵盤の数を数えてみればわかるとおり、8+8で2オクターブではなく、8+7が2オクターブの鍵盤数です。
CDEFGABC DEFGAB C
8+(6+1)
8+8で16と書く凡例については後述します。
15maは15 (quindicesima) altaの意味。クインディセシマ・アルタ。あるいは15maでクインディセシマ・バッサ。でもたいていの人は「じゅうご、えむえー」と言う。ここはイタリアじゃないんだし、非常に稀な用語だから覚える必要は無い。そんなマニアック単語を知っていることと、音楽のプロであることに相関関係は無い。
(余談。プロ作曲家でシンコペーションとアンティシペーションを使い分けないで説明してる「理論講師」さえいるし、書籍もある。もちろんそんなのを正しく使い分けて説明するより、それらの用法を的確に指導できるようが音楽的に優れているのは言うまでもない。)
(ネット時代の耳年増な素人ってそういう些細な知識ばかり仕入れてるよね。)
(ミックス話で「スレッシュホールドじゃなくてスレッショルドですよw」とかツッコミ入れて良い気になってる奴とかいたなぁ。)
・8va sotto、8a、15mb、8のみ
あと、8va sotto というオクターブ下げ指示も稀にある。
sottoは「下げる」「以下」の意味。sotto voce のsottoと同じ。
8aは8vaを更に略した表記。海外譜でたまにある。(a2の仲間ではない!)
8bは見たことがないけどあるらしい。
あと、15mbもある。15ma bassa。
8のみの実例。『アルプス交響曲』の終盤、バイオリン。
(楽譜を読んでいてこの記事のことを思い出したので追記しておいた。)
音楽をちゃんとやってる人なら、どれも使われている状況から推察できるはずなので問題視されることはまずない。
・16ma(常識的には誤植)
本書の話ではありませんが、手書き譜や手書き浄書、強引なDTPで作られた楽譜で稀に「16ma」という記号が出てきます。
8vaがオクターブだから、2オクターブは8の倍。つまり16だ。16ma、っと。
残念でした。8度がオクターブで、2オクターブは15度です。鍵盤で数えてみてください。15maが2オクターブです。つまり音楽は数学じゃないという証明完了です。ジョークな、ジョーク。
メシアンなど、ごく一部の歴史的作曲家が数学的趣味によって意図的に16と書いてることもあります。が、意味は2オクターブです。2オクターブ+1つ上という意味では絶対にありません。同様に、2度上げるとか5度上げる、というものは存在しません。あったら誤植を疑いましょう。誤植を疑ったらフルスコアを見ましょう。古い海外譜は誤植がゴロゴロしてます。そういう誤植をチェックする作業をやると、楽典的な能力は一気に向上します。チャンスだと思って自分で取り組み、他人の譜面もチェックしましょう。
私は中高生の頃にそれを大量にやったから自然と詳しくなりました。顧問や講師の先生よりも詳しくなりました。
楽典の教科書だけではなく、音楽辞典も見てみると勉強になります。そこそこの規模の学校なら図書室で眠っているかもしれません。うまく許可を取れば近隣の学校から借りたり、借りられなくてもその場で閲覧だけできることもあります。金持ちそうな私立高とか、逆に古い公立校が狙い目です。本を沢山持ってます。そうやって部外者としてよその施設に突撃する行動力は社会人になってからも役立ちます。大学での研究でも役立ちます。
という具合に、8vaや15maについて徹底的に掘り下げて、初めて登場したのはいつの誰の楽譜だとかを調べていくと、余裕で楽理の論文を書けるテーマになりうる。怖い!楽理じゃなくてイタリア古語、言語学、とか音楽史になるのかな?
大抵の場合は曲の流れや記譜で分かるんだけど、非常に困るのは現代曲などの曲の冒頭で使われた時。効果音的に非常に低い音を要求して異様なbassaをすることがある。
なんにせよ15maは木管楽器は最低音が決まっているのでまず出てこない。出てくるのはテューバかホルンくらい。
すっげーどうでも良いテューバの雑学奏法で、上下唇の間で舌を上下させて高速タンギングすることで擬似的に20ヘルツ以下の音を発生させることができる。この奏法をエロいと思ったお前はエロすぎる。なお教えてくれたのはエロい中年テューバ奏者だった。
こういう特殊な奏法を想定した尖った現代テユーバソロ曲などで15ma bassaは活躍するかもしれません。が、そういう楽譜を作る時は奏者と緻密に打ち合わせしましょう。エロい奏者にしかできない奏法です。
ご報告:ラウタヴァーラ「村の音楽師 Op.1」より第6曲「村の舞踏会」 pic.twitter.com/BQ082pr3r2
— 壺井一歩/Ippo Tsuboi (@yukru) 2024年8月13日
・どこまでオクターブ変えるのか?
8vaをどこまで継続するのか?
ブラケット(一般的には横点線 ……┘ )で明確に指示されているべきなんだけど、稀にブラケットを書いていない楽譜がある。どう解釈してもしばらくオクターブ変えるはず……でもこれどこで戻すの?
と思ったら、パート譜だけを見て考える前にフルスコアを見るべき。多くの場合はフルスコアは丁寧に作られている。
楽譜を作る作業の手順を想像してみれば分かるはず。作曲家はすべての曲を作って、それを元にパート譜が作られる。だからフルスコアからパート譜を作る時に見落としたのかもしれない。ちょっとでも変だと思ったら誤植を疑おう。
もしくは他のパート譜を見せてもらおう。自分のパート譜が読めてそれを演奏できるだけではまだまだです。できるだけ多くのパートについて理解するのは大事。本当に大事。音域や役目が似てる楽器はもちろん、詳しくない楽器についてチェックするべき。そこで得た知識は、自分の楽器が少々うまくなるよりはるかに重要な「合奏のための情報」になる。
■倍音とフレットの説明
P119
上の画像では右手でフレットを押さえている。
手の図案を反転し、左手で押さえる図にした方が音楽家にとって直感的になると思う。
でもギターの演奏でハーモニクスやる時に右手を弦に添えることもあるので、ぐぬぬ。
本書を読んでいて、このページに差し掛かった時、「あれ?んっ?」となったんです。人によってはちょっとした違いに強い違和感を感じるものです。どーでも良いことにツッコミ入れるなって?はい、すみません。昔からこういうことに神経質だし、誤植探しが得意です。新聞や学校の教科書の誤植を見つけるのが特技でした。
でも自分の作るものは間違いだらけです。自分が作ったものだと、見ている時に余計なことを考えてしまうから客観視できてないんでしょうね。
■フルスコアのパーカッションの位置
P173
譜例。上では、
Xylophone
Glockenspiel
下では、
Glockenspiel
Xylophone
の順。
パーカッションをどの順番で書くかは明確なルールが無いので本当にカオス。
上になるのは使用頻度、一般的な楽器、音の高いものなど様々。それぞれを根拠に作曲家ごとに並びが違う。
・パーカッションの各国楽器名
で、恐ろしいのは不慣れなフランス語や英語(グロッケンがBellと書かれたりする)、ドイツ語などの原語そのままの楽譜。
本書では触れられていない各国の楽器名表記の資料を楽団で複数所持してほしいと思っています。楽典の教科書でも古いものでは間違った表記だったりするので要注意。
特にパーカッションの人たちは各国の楽器名について敏感であってほしいです。その調査能力は必ず役立ちます!ネットのある今の時代、「知らない」では通りません!
paukenが何のことか分からないなら打楽器奏者を名乗れません!はい、今すぐググって。
というか貼っておこう。
私が学生時代にとても役に立った資料。常に持ち歩いていました。誇張じゃなくて本当に常に。
今だとこの本は売っていないようなので、別のもっと新しく洗練された本があるはずなので、よく探して立ち読みしてから入手した方が良いと思います。一生役に立ちます。
一部だけ抜粋すると、
こういう感じで書かれている。各国の打楽器名称と楽譜上での略称。
オーケストラのスコアを読む時に役立つ。
他、いろいろな国の辞書。当時はネットが無かったから、楽譜に書き込まれた不明な言葉をすべて辞書で調べていた。
学校の吹奏楽で扱う曲で、知らないことが書かれているのに誰も調べない。だから全部自分が調べて資料にまとめて、全パートリーダーに配布したりしてた。
本屋で立ち読みして、こういう資料がしっかりまとまっている本を探し続けて欲しい。良い本があったら親や先生に頼んで買ってもらう交渉をしてみるのも良い経験になる。自分の小遣いで買う必要は無い。私は全部自腹だったけど、今にして思えば学校の備品として買わせる手があったはずだ。くっそ。
また、学生時代にフランス語の曲(ドビュッシー等)をやった時には、そこに書き込まれている楽語の意味が分からなかったので、フランス語の辞典を自腹で買ったこともある。今ならネットで調べられる。良い時代だなぁ。
その後にフランス語の歌詞を翻訳する時にも役立った。仲間内で音楽的に優位に立つためならその程度の出費などなんとも思っていなかったあの頃は本当に若かったなぁと思う。
・情報とノイズ
ネットですぐに得られる情報は例外なくクソです。
長々と検索し続けて「これは良い記事だ!」と心底思う時まで、すべてはノイズの海でもがいているだけの徒労です。
雑誌も同じです。雑誌は広告を載せるスポンサーからのお金で成り立っています。そのスポンサーを悪く言う内容は書けません。
一方、専門書は100%が栄養素です。
本書のオビには「コンクールで金賞を取る」と大きく書かれていますが、それは出版社が「売る」ためにつけた装飾です。そういう「ノイズ」を取り払い、本質を見るべきです。
だから私は冒頭の写真はオビを外した状態で撮影しています。侘美先生が言いたいことはコンクールで金賞を取るための方法ではありません。事実、本の中にそういう文言は1つもありません。
ネットの検索で得られる情報は誰が書いているのかも分からない不確かな情報です。質問しても「教えたがり」の暇人が無責任な誤情報をばらまいているだけのこともあります(DTM関連は特にひどい有様です)。
ブログとしては長いこの記事をここまで3万文字ほど読んだ人なら、たぶんネット記事よりも書籍から情報を得ることに向いています。こういう時代だからこそ音楽情報を書籍から学ぶことで他の人と大きな差をつけることができるでしょう。情報過多な時代だからこそ、凝縮した1冊にはこれまでにない大きな価値が生じています。
ツイッターなどの断片的な情報からではなく、1人の人間が時間をかけて執筆した1冊を手にすることは、著者の経験してきた世界を知ることでもあります。アニメは総集編やまとめサイトだけで知った気になるのではなく、ちゃんと全話見るべきだということです。
ネット記事はその内容よりもSEO対策によって検索順位を上げ、広告収入を得る目的で書いている人がほとんどです。私はそういうのに興味はありません。SEO対策とやらのために「1記事1500文字程度で、トップ付近に画像入れて、リンクを多く作る」とか、ネットの存在理由を銭稼ぎとしか思ってない連中のようになりたくありません。
ネットの情報の多く、特に検索で目につく情報はアフィリエイト広告収入のために作られた記事です。
そういうページをいくつ見ても、重要な知識は増えません。時間の無駄です。
私達は音楽家を名乗り、音楽を仕事にしています。
■ひとりでも金賞を取れるようになるための方法
せっかくなので過去記事の紹介。
吹奏楽の団体コンクールにで金賞を取ることが無意味だと悟ったある男がやっていた練習方法の話です。教則本が教えてくれない練習方法。
eki-docomokirai.hatenablog.com
■最後に
中学校の部活で演奏したそのコンクール課題曲の作曲者紹介文は、氏が音大卒ではないこと伝えていました。それは音大進学を親族から猛反対されていた私にとって大きな希望でした。自分もそうなれるはずだと真剣に考え、音楽と勉学の両立に励み、今に至ります。
偶然の1曲との出会い。スコアの端に書かれたわずか数文字の作曲家の背景。そんな些細なことがバカバカしいほど人生を大きく動かすこともあります。
「中高生向け」という本を読むとそんなことを思い出します。
侘美先生のこの本を読んだ人が、そこに書かれていることと、書かれていないことに好奇心を持ち、手探りの冒険の果て、素晴らしい音楽家になってくれればと願うばかりです。
最後に、侘美先生。献本ありがとうございました。ちゃんと読んだ証明としてこの記事を一方的に捧げます。