eki_docomokiraiの音楽制作ブログ

作編曲家のえきです。DTM/音楽制作で役立つTIPSを書いています。

耳という道具の使い方(やや雑記)執筆中

雑記カテゴリにしようか、そもそもブログで書かないべきか迷ったので、あえてハンパな状態で出しておく。内容が無くてすみません。気が向いたらそのうちリライトします。かもしれません。いや、どうだろう。未完成状態の記事ってのもたまには良いよね。

 

 

■主張と結論だけ書いておく

「聞く時には何をどう聞くか?」を意識的に決めておかないと、聞こえてくる音のすべてがゆがむよ、と言いたいだけ。

 

情報源→耳(知覚器官)→脳

→認識、判断→動作

 

 で、割と大事なのは「集中は盲目と同義」ということ。

多くの人は「集中して聞く」ことによってドツボにはまっている。

耳を俯瞰モードにする+万全の体調じゃないと何をやってもダメ。

 

ミックスに何時間かけても、どんなに効果な機材を持っていても、どんなに優れた人のレッスンを受けても、耳と脳という最も重要な道具の使い方をマスターしないと、すべての投資は無意味ですよ。というお話。

 

クソ耳というものは存在しない。

目も耳も舌も、錯覚が起きる。

錯覚は正常だからこそ起きる。

で、最大の錯覚は間違った思い込みから生じている。

 

その思い込みのほとんどは手に持っている道具によって引き起こされる。また、その道具を手に入れた満足感から引き起こされている。3文字で言うと「依存症」。

だからプラグインを買いまくってるだけの連中はいつまでたっても上達しないんだよ!って話。

 

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あと、「『見る』ではなく『観る』だ」とか「『聞く』ではなく『聴く』だ」とか言ってる人はほぼ例外なく自分に酔ってるだけだから気をつけろ。

そういう言葉狩りとか優越感の話ではない。むしろ「目と耳を閉じろ」系の坊さん話に近い、認識論、脳科学、神経生物学に片足突っ込んだ話をしたい。なおその方面の専門家ではないです。

 

意識高い系の老害が「『聞く』ではなく『聴く』だ」と言っている場合、彼らは音をまっすぐ聞かずに、曲の良し悪しを批判しようとしていたり、自分と機材の優秀さを夢想していることがあります。そういう老害はミックスせずに「最近の曲はダメだな」とか言ってばかりなのは皆さんご存知のとおりです。「音程が悪いな」とか言わなくて良いです。何も言わず、黙ってミックスするマシーンになるのが正しいエンジニアの振る舞いです。

 

無心に音を取り入れて、聞いた結果を判断しましょう。

 

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■元記事

theproaudiofiles.com

いつも良いこと言ってるナイスガイ、Matthew Weiss(マシューワイス)氏の2016年の話。この"4 Commonly Misused Pieces of Audio Advice"に書かれているのは「耳を使え!」の意味と、オーディオ編集界隈で誤用される言葉についてです。

 

同氏の記事は過去にも紹介しています。本当に素晴らしい記事を書く人です。

eki-docomokirai.hatenablog.com

■わかりにくいレトリック

氏はいつも具体性の低い口調ですが、非常に示唆に富む内容を語っています。それはTIPSというよりも哲学的(認識論的)であり、要するに私好みのスタンスです。

 

根本的な問題として私の英語力が低すぎて、独特な節回しを的確に翻訳できていません。が、言ってる内容は私がレッスン等で熱弁していることにとても近いのだということは理解できます。「どの道具を使うか?」ではなく「どのように使うのか?」について書かれています。

 

マシューワイスはエンジニアなのでミックス/マスタリングを立脚点としていますが、私は作編曲の立ち位置を主にしています。クエリエイティブな行為において「その技術を、その気持と情熱を、いつどのタイミングで、どのような姿勢で駆使するべきか?」という技術を啓蒙するのが私の作編曲のレッスンのスタイルです。

教科書を開けば書いてある音符のテクニックではなく、パッションの部分です。

 

■耳を使う

耳は音に対して勝手に反応する器官です。

気圧と振動に対して反応する器官です。

耳が検知した情報は脳に届き、脳が情報を処理します。

 

■脳を使う

脳での認識は様々な錯覚や思い込みに左右されます。もちろん疲労によって誤動作もします。

同じ音を聞いたとしても、誰もが同じ感覚を得るわけではない、という点が芸術を芸術たらしめています。

耳から入った情報を捻じ曲げて解釈していませんか?というのが重要なところ。

 

■能動性と受動性

人間は耳そのものを能動的に使うことができません。

犬やウサギ、多くの動物は耳の向きを変える動作ができますが、あれも能動的ではなく、半分くらいは不随意の動きだそうです。人間で言うと「まばたき」に近いそうです。自分の意思で動かすこともできるけど、勝手に反応してしまうこともあるのだとか。

 

・カクテルパーティ効果

カクテルパーティー効果 - Wikipedia

人は選択的に音を聞いています。特定の音に集中することができます。

ガヤガヤした雑音の中で、特定の相手の声(≒周波数特性、フォルマント)を感じ取り、その特性のある音を抜き出す能力です。

「選択的」と言ってもマイクの指向性とはまったく別なので勘違いしないでください。

 

ミックス表現での「選択的に聞き取らせる」加工。

よく知られている方法として、フレーズの最初だけ大きく演奏し、徐々に音量を下げるという方法があります。

これはミックス手法にもありますし、オーケストラ・クラシックの演奏でも実施されている方法論です。

ポピュラーのミックスで、楽器が新たに登場した時に大きく慣らし、少しずつ音量を下げてナチュラルバランスに戻すオートメーション手法です。

 

似た話だと昆虫の目があります。(昆虫以外にもある)

http://berno.tp.chiba-u.jp/lectures.files/Biophotonics/08/4Insect.pdf

昆虫の目は繁殖などの目的で特定の色を敏感に感じ取るようにできています。

「色=周波数」ですから、私達音楽家の耳が特定の周波数特性を選択的に聞き取るのととても似ています。

 

目も耳も脳が情報を処理します。耳が判断するわけではありません。

脳は反射的な判断と、思考的な判断をします。(義務教育で教わってるはずなんだけど思い出せない人はググってね!)

 

・シミュラクラ効果

シミュラクラ現象 - Wikipedia

逆三角形に並んでいるものがあると心霊写真だと感じる現象です。

下の記号テキストが2つの目と口に見えますか?

 

●   ●

 

  ●

 

脳は特定のパターンを認識すると、馴染みのある何かだと判断します。

これは進化の中で危険を避けるために刻み込まれたパターン学習によって起きる作用だとされています。赤ちゃんの甲高い声や、女の高い声に反応しやすいのもそのためだそうです。

 

人間でも昆虫でも鳥でも、生存競争を勝ち抜くために突出した能力があり、何も訓練していない脳は本能的な反射ばかりを行います。

ボクサーは相手のパンチを怖がって目を閉じないように訓練します。

楽家は音に対して本能的な反射反応をするだけではなく、訓練によって音を分析できるようにならなければなりません。

 

・トリックアート

トリックアートも同じようなものです。

matome.naver.jp

 

Illusion Forum イリュージョンフォーラム 錯聴について

 

その他、左右2つの耳と脳の錯覚を利用した様々なミックス技法があるのはご存知の通りです。

ここで考えて欲しいのはトリックアートや錯覚の面白さではなく、目や耳からの情報は脳で誤解されることと、その誤解は制御できない反射的な錯覚と、意識の状態によって引き起こされる制御できる誤認とに分けられるということです。

2つの意味に解釈できるトリックアート絵画はその好例でしょう。

www.youtube.com

 

■音楽の音量バランス

音楽制作で、ミックスで、失敗する原因の多くはそうした「選択的認識」にとらわれているからです。

キックの音を聞こうと思っているとキックの音がはっきり聞こえてきます。この状態でキックの音量バランスを作ろうとすると、キックが選択的に聴覚されるので、必要以上に小さくしてしまうはずです。

オケ全体を聞きながら、キックのフェーダーを上下することで適切なバランスになります。

 

もちろん知覚の曖昧さを拒否し、「キックのピークを-6dbで」と決め打ちしてしまう論理的な手法もあります。

 

アレンジをしていて新しい楽器を追加すると、その楽器の音量は必ず大きくなります。新しいトラックを触ったら、その後に必ず下げなければいけません。

 

■認識、理解

ある体験をどう理解するか?

どんな悲劇も「雨降って地固まる」とか「万事塞翁が馬」となることもあるし、その逆もある。

悪い方にばかり、良い方にばかり考えてはいけない。

だからと言って、良い方向だけに考える「ポジティブなバカ」になってもいけない。

考え方を、認識をフラットに、水平に保つことが大事です。

 

「感じる」「理解する」とはいかに曖昧な生理であるかについて真正面から取り組まなければいけません。

 

 ■うちのバカ親父

テレビを見ていて、目に入った情報を頭で勝手に理解し「これは◯◯ってことだな」と決めつけるのがうちのバカ親父。続きの情報を黙って摂取し、それから考えれば良いのに、時間軸に沿って流れてくる冒頭の情報だけで決めつける。

どうやら人は年をとるとそういう「決めつけ型」になるようだ。まぁもう年だし、何か言っても雰囲気が悪くなるだけなので何も言わないことにしている。理屈を並べて説得しようとしても、それを受け入れる受動器官が無いと無理だ。俺の説教が父の耳に入ったとしても、それを理解して受け入れ、行動を変えることに結びつけることは彼にはもうできないのは明らかだから。

・決めつけてしまう心理状態

オーディオ編集においても、聞こえてくる音を勝手に決めつけてはいないだろうか?

なまじDTMなどをやっている弊害として、音を操作できることを知っていると、その知識や自尊心、優越感によって音をまっすぐ聞くことができなくなってしまっている人が非常に多い。本当に多い。

曲の良し悪しを俯瞰的に聞くべき状態なのに「コンプが」「ドラム音源が」「コード進行が」という聞き方ばかりするようになってしまってはいないだろうか?

 

知識というツールは時には「思い込み」「先入観」「決めつけ」という挙動をし、さまざまな悲劇を生み出す。

 

・受動意識仮説

人は自分で思っているほど行動を選択できていません。

thepage.jp

受動的に「聞く」音に対してでさえ、訓練をしないと正しく聞けないのです。

音が聞こえた瞬間に、それまでの経験や知識(=脳)が反応し、まっすぐに聞く行為を継続できないのです。それがうちのバカおやじです。ニュースは最後までちゃんと聞いて、それから考えましょう。

壊滅的に頭が悪い人に共通する特徴は、話の途中で自分の意見を言うことです。

本当に頭が良い人は、話を最後まで「メモリ」に置いておいて、それから考えます。

頭が悪い人はメモリが小さいので話を最後まで聞けないんです。

 

文法で言うとことろの「構文」がちょっとでも複雑になると、構文の中の関連性を判断できなくなって、短絡的な理解しかできないんです。

そういう人は必ずこう言います。

「で、ようするにどういうこと?」

 

ちょっとでも複雑な構文になると、聞くことを拒否し、「こいつは説明が下手だな」「話が長いんだよこいつは」という人格否定を開始し、自己防衛を優先しはじめます。難しい構文を理解できない自分がバカであることを認めたくないから、相手が悪いと決めつけるんです。

話を聞く時は話を聞きましょう。

もし全部理解できなくても、余計なことに頭を使いそうになったら、「聞く、聞く、聞く」とだけ考えて、話の続きを聞きましょう。そういう訓練をしてこなかった人は、人の話を聞かなくなるので成長できるチャンスをどんどん喪失していきます。

これは音楽においても全く同じです。

 

・聞く時は聞く。考える時は考える。

ミックスにおいて重要なのは「音を聞く」ことです。

まず音を聞きましょう。

聞いている時に余計なことを考えたり、結果を決めつけたりするのをやめましょう。

ミックスで重要なのは周波数と音量を聞くことなので、歌詞の良さやメロディの美しさに本能的に反応してしまわないように訓練をしましょう。

 

逆に、ボーカルの精密な加工を行ったり、楽曲の展開に対してダイナミックなミックスを行う時には、些末な周波数を聞くモードの耳ではなく、楽曲表現を判断する耳のモードに切り替えましょう。

マシューワイスが言っているのはそういうことです。

 

また、そういう編集をスムーズに行えるようにするために、トラックの順序や名前の規則はすべての作業の前に整えておきましょう。

音を聞きながらトラック名を直したりしていると、脳は耳の情報よりも視覚情報や文字判断のためにリソースの大半を消耗してしまいます。

まっすぐに音を聞くとはそういうことです。

 

■人は手に持っている「道具」を使いたがる

板垣恵介の漫画『グラップラー刃牙』シリーズでたまに出てくる

それはなにも手に持っている道具だけに限らず、頭の中に持った道具でも同じである。

最近覚えた知識、うまく行った成功経験、恥をかかない無難な方法、新しいことに取り組みたい好奇心。そういう「道具」もまた、むやみに振るいたくなるものだ。

上級者はその危険性を知っているから、「即断は危険」「判断を一時的に保留する」という道具を使うようになる。

もちろん「直感」という道具だけでどうにかなるのが真の天才だ。だからこそ凡百の私達が天才の手法を使うと絶対に失敗する。

つまり、直感直感言ってる人は失敗経験が無いか、ハードルが低い。ザコ相手に負けない戦いをし、挑戦していないだけではないだろうか?

 

■人間は道具に支配される

眼の前にコンプが立ち上がっていれば、聞こえている音に対して「どのようにコンプを掛けてやろか?」とばかり考えそうになるのが人情というものだ。

が、コンプにおける諸問題の解決策は往々にして『どのような音をコンプに入力するか?』『コンプの前にEQで整えておけばうまくいく』という方法で、よりベターな結果になる。

人間の最も偉大な点は道具を使うことだが、もっと素晴らしいのは複数の道具を組み合わせる創造力だ。

たまたま手にしている石器だけで満足してはいけない。自動車を手に入れたからと言って、靴を捨ててはいけない。

 

手に入れた道具で新しい道具を作ることもできる。石や骨で何かを叩くことを覚え、叩きすぎて割れた断面の鋭さがナイフになることを覚え、より硬いものを加工することを覚え、人間はここまで来た。

2001年宇宙の旅

映画『2001年宇宙の旅』の冒頭が好きだ。

増殖、争い、道具、勝利、発展、支配。それらを一気に表現し、天高く放り投げた「骨の棍棒」が、次のカットで宇宙船に切り替わる。サルはヒトとなり、宇宙にまでたどり着いた。

 

一昔前まではロケットは真っすぐ飛んでいく道具だったが、近年は着陸できるロケットまで出てきた。残念ながら2001年という時代にはあのような先進的な未来にはならなかったが、着実に進化している。

また、よく言われているとおり、『2001年宇宙の旅』で使われている音楽はリヒャルトシュトラウスの『ツァラトゥストラかく語りき』の一部分で、この曲は主音のドだけから始まる。

ド、ソ、ド、という自然倍音の後に、単調のド+♭ミ+ソのマイナーコード。その次には再びド、ソ、ドが鳴り2回目のコードはメジャーコードになる。

www.youtube.com

すべてがすべてそう書かれているわけではないが、概ね音楽理論の登場と発展を表している。音楽も表現の道具であり、音楽理論も道具である。

ところで英語音名のドレミファソラシドがCDEFGABという「C」開始になっているが、もともとはAから始まるマイナーキーの宗教音楽が通常だった、という歴史的経緯がある。

「でもマイナー曲って暗いし、メジャーキーの方が楽しいし、入門向けだよね」ということでAマイナーキーに対する平行調のCメジャーキーから習得する、という風潮になった。だから現在ではCDEFGABの順でドレミを覚える。

だから上の曲は1回目のコードがちゃんとマイナーで、2回目が応用的コードであるメジャーコードになっている。

楽曲としても1回目にメジャーで2回目にマイナーだと盛り上がりきれないでしょ?

 

何が言いたいのかというと、現在私達が学ぶ知識の多くが、実はすでに応用的で加工された栄養食品のようなものだということです。すべての発生の過程から順に学んでいたら人生の時間が足りないから、洗練された知識を学んでショートカットしているんです。数学の公式もそうだし、そもそも文字だって恐ろしく洗練された道具ですよ。

 

余談ですが、宗教や思想も道具として作り出されたものです。

2001年宇宙の旅』の終盤が難解だと言われる理由がまさにこういう話なんです。

サルがある段階に到達するとモノリスに遭遇して知識を刺激されて道具を使いはじめる。そしてヒトまで進化し、ヒトも宇宙に進出する知的段階になると再びモノリスに遭遇し、木星探査に向かうきっかけを得る。その調査のために人工知能のちからをかり、同時に人工知能との争いも生じる。で、木星でみたび遭遇したモノリスから「宇宙の知的生命として必要なルール」を教わるという終わり方。

 

なんで音楽の話のはずがこんなことを説明するのかというと、物体/知恵の道具を手にし、正しく使うことで先に進めるんだよ、ということを言いたかっただけです。

 

さすがに音楽レッスンの中でこんな長い話をするのもアレなのでブログで書いておいた。

 

■論理も道具である。スタートレックのバルカン人

理屈で考えすぎるのもどうかと思う。

SFドラマ『スタートレック』に登場するバルカン人という異星人は表向きには非常に冷静沈着で理知的な種族だと思われている。不条理な行動を繰り返す地球人に対してバルカン人はいつも「それは非論理的だ」と言う。より効率的でスマートな解決策があるだろう?と提案してくるのだ。

そういう理屈屋と、情熱的な地球人が織りなすドラマがスタートレックの根幹だと言える。

たしかにバルカン人の提案はスマートだが、どこか違和感がある。理屈だけでは片付かない隙間を埋めるのが地球人の熱血艦長による情熱的な解決策で、ここにドラマが生じる。

 

なお、『スタートレック』とはそもそもSFドラマとして考えられたコンテンツではなく、人種問題や国際問題を表現する際に「白人と黒人」という直接的な表現ではテレビ番組として問題になるから「異星人の価値観がぶつかるドラマ」という表現になっている。

・真逆の正論

バルカン人が「純白」だとすると、地球人は「灰色」だ。

そしてバルカンの敵として「黒」の異星人、ロミュランが登場する。ロミュランは残酷で、攻撃的で、狡猾。バルカンと同じ知性を「真っ黒」な野望のためにだけに行動する。どうしようもない邪悪な奴らだ。

ロミュラン人 - Wikipedia

しかし「バルカンとロミュランはもともと1つの種族だった」と語られる。

自分たちの攻撃性について自覚し、全滅の危機を避けるために激情を封じ込める訓練を始めたのだ。

それを良しとし、修行僧のような規律ある生き方をしたのがバルカン。

あるがままに本能をむき出しにし続けたのがロミュラン。

どちらも正しく、どちらも間違っている。どちらも偏った価値観でしかない。

 

「真っ白」が本当に正しいのか?

法律という道具ですべてを支配し、感情を否定する。

じゃあ、感情だけで良いのか?

その中間が存在することを見せるために、「灰色」の地球人が活躍する。

バルカンとロミュランの他、さまざまな宇宙人が登場するが、おおむねどいつもこいつも偏っていて、別の偏りをした宇宙人と争っている。その中間に立てる能力によって地球人は重宝されている。

それぞれが手にしている「道具」の違いが物語を生み出す。それがスタートレックのドラマの仕組みだ

・バルカン人のおまけ要素

なお、バルカン人はあらゆる感情や本能を抑制しているため、生物として最も重要な性欲すら抑制している。が、たまにそれが爆発(ポンファー)してギャグ回となる。

バルカン人 - Wikipedia

またその繁殖期が終わった後に自己嫌悪に陥っている理屈屋が冷静に振る舞おうと必死になる姿もかなり面白い。

作品表現のために作られたキャラクターではありますが、そういう二面性によって非常に裕なキャラクターとなっています。

バルカン人は様々な超能力も獲得していて、相手に自分の精神を融合することもできる。ほとんどの場合には相手をバルカン人のように「落ち着かせる」ために精神を同調させるのだが、ある回ではあえてバルカンが心の奥底に封じ込めているロミュラン的な激情を相手の精神に注ぎ込み発狂させるという荒技も使う。落ち着いている人ほど実は怖いのだ。

 

・その他の異星人

逆にいつもイキっている戦闘民族クリンゴンは毎回わりと弱い。死より名誉を重んじるクリンゴンは真正面からの戦いとなると恐るべき戦力だ。しかし、あまりに単純な行動をするので毎回やられている。「この方が名誉ある決断だ!違うか!」とか「名誉あるクリンゴンがまさかそんなことを」、「先祖の名誉に傷をつける気か!」と言う具合に、名誉という言葉を出されるとコロっと判断を逆転させてしまう、タフでちょっとかわいい奴らだ。ようするにメンツや手段、建前を重視するヤクザですね。

他にも科学力の高さを長所とする異星人、交渉力や金の力ですべてを解決しようとする異星人、何かを生み出すより奪うことで生きている異星人など、「それって現実の地球だと◯◯国のことだよね?」と言いたくなるような奴らが次々に登場する。手にしている道具の差だ。

彼らは持っている武器と科学力、それを使う精神、目指すゴールの種類が違う。その差が生み出すドラマがスタートレックを世界最高クラスの作品にしている。

 

スタートレックの世界で一番恐ろしい異星人は間違いなくボーグだ。

ボーグ - Wikipedia

ボーグは優れた文明を見つけると、それを破壊せずにまるごと「同化」する。機械化されてボーグ人に改造され、個人としての尊厳のすべてが失われ、マシーンとしてボーグ世界の一部とされてしまう。すでに大量の宇宙人の文明を吸収し、話にならないレベルの科学力を手に入れている。

この強大なボーグが襲来すると、バルカンもロミュランもあったものではなく共闘し迎撃する他の選択肢は無い。これもまた現実世界が「グローバル化」という名目のもとに侵食されていることを暗喩しているのだろうと思う。

そこまで直接的ではないにせよ、実際に国籍という概念は様々な分野において希薄になりつつあり、それを「問題」と言えば「差別」だと怒られる。「平等」という道具を本当に使いこなせるレベルには到達できていないのだ。

・平等という道具

あるSF小説では「真の平等世界の直前には、無数の文化の融合の結果として世界は2つの巨大勢力になる」「2つの巨大文化が互いを飲み込む最終戦争となる」「強大な2つの文明の戦いは破壊的な終末戦争以外に無い」とされている。

不平等であるがゆえに生じる小さな争いを維持することで、悲劇的な最終戦争による破滅を回避できていると言えなくもないのではなかろうか?

すでに平等とか差別という道具がおかしな使われ方をされているケースが散見される。「真っ白か」「真っ黒か」ではなく、中間の模索ことが必要なんじゃないだろか。

現時点ではそれ以上の直接的なことを言うと問題視されるのが明らかなので、もうしばらく静観しようと思っている。

 

■道具に支配されずに

マシューワイス氏の記事が言っているのは要するにこういうことで、聞こえる音をまっすぐ聞いて、向かうべき加工後の音をイメージして、その橋渡しとして様々なオーディオ加工を行いましょうねと警鐘を鳴らしている。また、誤った道具の使い方が多いから気をつけろとも言っている。

最近かったプラグインを使いたい欲求に流されたり、自分の好みの加工をしたい独占欲に動かされているようではミックスにならない。

 

音を聞くという行為をどれだけコントロールできるか?

そのための肉体的な体調管理と精神の平静さをどのようにして獲得するか?という観点が必要になってくるはずだ。

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