(雑記)力と知識を持つ者には責任が伴います。そんな決まりはありませんし、罰則もありません。じゃあ、罰を受けないからと言って、自分の行動を無制限に容認して良いのか?という倫理と社会的責任「ノブレス・オブリージュ」のお話です。雑記カテゴリー。
(2020年7月13日)
■某調剤薬局での戦い
専門家が絶対にやってはいけないことがある。
それは情報を右から左にそのまま流すことだ。
専門家は、適切な情報を広め、不確かな情報をせき止め、警鐘を鳴らす義務がある。
それをやらない奴らのことを「広告屋」と言う。
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■調剤薬局の余計な一言
昔、ある皮膚科に通い、その隣にある調剤薬局でお薬を受け取った際のやり取り。
その薬剤師は『温泉とか効果あるみたいですよ。道後温泉が云々、』と切り出して来たので、私はこう答えた。
「治療については隣の医師を主治医として一任している。道後温泉を勧めるのはお隣の皮膚科と、この薬局と、道後温泉とが提携して行う医療行為ということでよろしいか?ちなみに温泉治療ごとき初歩の民間療法は数十年前に通過済みです。逆効果でした。その後、私のような症状に対して道後温泉が明らかに効くというエビデンスが得られたということですか?」
この態度がクレーマー気質に満ちていることは十分に自覚している。
こちとら幼少から持病と生きてきたガチ勢だ。自分の身を使ってあらゆる療法を試してきた。そこらの医者より詳しい。民間療法など話にならんレベルで熟知している。田舎の医療機関で受けられる治療がどの程度のものかも理解した上で生きているのだ。
だから、こう畳み掛ける。
「病状についてはお隣の病院では全てお話しているが、あなたに伝えた覚えは無い。病状も見ていないあなたが、なぜ治療法として道後温泉を勧めることができるのか不思議です。通常の理屈で理解できないということは、つまりあなたは超能力者ということでよろしいか?」
「そういう『らしいよ』という程度の話は、長年の闘病で自分の身を投げ出して散々試してきている。他人の病気であればいざしらず、自分とともに生き続けてきたこの病気についてなら、そこらの町医者よりも圧倒的に専門家だと断言できる。それが持病ガチ勢というものだ。それをさしおいて『らしいよ』というゴシップ程度のノイズ情報をを、あなたの業務時間内に患者に伝えるのはプロとしてどうなのだ?」
やや困った顔をした薬剤師は「テレビで言っていた情報です。私はあらゆる情報を提供し、そこから取捨選択するのはお任せしています。」
いやいや、待てよ。おい。
医師や薬剤師というのは、そういう不確かな情報ではなく、認められた治療法・投薬を行使するための専門知識を身につけた職業だ。ではなぜ薬剤師が道後温泉を業務時間内に勧めるのだ?
仮に、その人と酒を飲みに行く仲になったとしよう。業務時間外で酔っ払って「道後温泉行こうよ」と意気投合したのであれば何も問題は無い。もし近所に住んでいて、挨拶ついでにそういう雑談になったとしても問題は無い。しかし、薬剤師としての勤務中に患者に対して「道後温泉が良い」と言うのは間違っている。
■専門家は情報をフィルタリングするために存在する
情報を取捨選択するのを任せるのであれば、スピリチュアル情報とか、イルカセラピーとか、怪しげな会社が作っている健康食品の話も同列になるよな?それを薬剤師が、資格を持つ専門家が勧めるのか?
ぶっちゃけ私のように真剣に調べ続けている在野の専門家ならまだましだ。
『分別の判断のつかない弱者(子供、老人、藁にもすがる思いで通院している重病人)に対して、あなたは不確かな情報を投げかけ、その判断を彼らに任せるというのか?』
なお、この一件については薬剤師会に連絡済みです。
業務内で不確かな民間療法を広めている薬剤師の存在を、その管理母体に伝えるということは「入ってきた情報を、適切な相手に伝える」行動そのものです。
・情報を右から左に流す行為とは何か?
フィルタリングせず、良いか悪いかと判断せず、情報をそのまま広める行為は分別の判断のつかない弱者をおとしいれる行為に直結します。
そういう悲劇を生み出さないために、専門家は努力をし続けなければいけません。それができないのはパンピーです。ワイドショーです。
いや、それどころじゃ済まないか。「専門家」という肩書のある人が言ったことは、社会的信頼とセットになるから、ワイドショーでトーシロが言ってるより罪が深い。
■「自己責任」と「消費者契約方」
一昔前のネットの哲学として「自己責任です」という言い逃れがあった。どんなアプリケーションのインストールも、本人がクリックによって最終決断が行われる。だから「自己責任」という具合にだ。
そういう時代に社会の基礎を叩き込まれた人は、いかなるミスも「本人の責任だ」と断罪する傾向が強くなる。それ単体は素晴らしい哲学だが、強者の理論だ。
だが考えてみて欲しい。すべての人が、生活すべての事柄に対して専門性を持ち「自己責任」を適切に実行できると言えるのか?
「自己責任の哲学」は一生懸命に努力した分野以外ではまったく通じないのだ。
たとえばネットに詳しい人が、その得意とするフィールドで「自己責任」を駆使して草薙素子のように繊細かつ大胆な行動ができるとしても、一歩別の分野に行けばド素人になってしまう。そして、複数のフィールドで専門家級の判断ができる人はきわめて稀だ。
では、弱者に寄り添った考え方に触れてみよう。
ネットにおける「自己責任」の筆頭としてURLの確認がある。まずはドメインを見て欲しい。go.jpである。ガバメント、ジャパン。日本の法務省がこう言っている。
上だと分かりにくいので、読み物仕立てのソースを出す。こちらもgo.jpなので信頼性は同等と言っても異論はないだろう。
http://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-201710_16.pdf
買主である消費者は、売主である事業者との間で情報量や交渉力の面で格差がある中で、日々の生活において契約締結の判断を迫られることになります。そのため、十分な知識を持たないままに必要のない物を買わされたり、あるいは本来もっと安く買えるのに高い物
を買わされたりするなど、契約をめぐるトラブルが頻発するようになります。(改行等編者)
「自己責任論者」は契約について無知な人は「契約書に書いてあるのを読まない人が悪い」と断罪するが、日本国の民法はそう定義していない。あまりにも一方的かつ歪曲・隠蔽が意図された契約については、事後で取り消すことができるようになっている。
じゃあクーリングオフ等で取り消せればそれで済むから無問題なのか?というとそうではない。心理的、時間的な浪費だけが残るから損失が生じる。なにより他人を信用できなくなってしまう。
もちろん業者側にもストレスが生じる。売るべきではない相手に売ってしまったがために、様々なロスが生じてしまう。端的に言えば担当者個人が責任問題を負わされる。社内で不当な懲罰にさらされるかもしれない。
適切ではない取引は、お互いにとって何のメリットも生じないのだ。だから事前に阻止しなければならない。
そのための情報を提供するのは真の専門家のもつ社会的責任なのだ。
■翻ってDTMの話
使えるのかどうかも分からないツール、安いだけの粗悪フリープラグイン、見た目だけ似せた模造品、完全に時代遅れで現在の付属品にも劣る昔の定番品。
専門家はそういう情報をシャットアウトし、より適切な情報の流通を促すために行動しなければなりません。
力の無い弱者に「自己責任」を押し付ける姿勢ではなく、我が子に道を示すように保護しなければなりません。
言うまでもなく、弱者を騙す広告屋に対し、常に音楽的な戦いを挑まなければなりません。
もう一度書きます。
『分別の判断のつかない弱者に対して、不確かな情報を投げかけ、その判断を彼らに任せるというのか?』
■ノブレス・オブリージュ
力と知識を持つ者には責任が伴います。
そんな決まりはありませんし、罰則もありません。
じゃあ、罰を受けないからと言って、自分の行動を無制限に容認して良いのか?という強者が心がけるべき倫理と社会的責任のことを「ノブレス・オブリージュ」と言います。
宣伝以外の情報書自主的に集める能力を持った専門家がこの「ノブレス・オブリージュ」の規範を怠り、情報の取捨選択をユーザーに任せるという放任の態度は、専門家という肩書に反するんです。
誤解されないように書いておきますが、ド素人が仲間内で何を言っていようと構いません。無知なんだから仕方ありません。
そういう部活レベルに押し止める行為を、専門知識を持つ大人がやるんじゃないよ、と私は言っています。大人がやるべきことは、本気で上を目指している若者を引き上げることです。
手伝うのがイヤ、若者にも苦労をして欲しいと考える老害がいます。私はそういう押しつけには反対ですが、もし苦労をして欲しいと願うとしても、部活レベルをさっさと抜け出せば、その上には圧倒的に広い世界があることを示すことです。
・ついでに時事世情をからめて言うなら
今現在、新型コロナウィルスによる経済打撃が深刻な情勢です。この最中に、DTMセール情報なんかを拡散することがどういう意味を持つのか考えましょう。
あなたは贅沢品で浪費することになります。
あなたの持つ日本円が外貨として流出します。
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