個人的に大事な曲、アストル・ピアソラの『Cafe1930』と、その素晴らしい演奏解釈についてのお話。誤解を恐れず、あえて断定的な書き方をします。
(2020年8月6日更新)
■クリストフ・デルポルテとその楽団メンバーの演奏
大好きな曲、ピアソラの『Cafe1930』の演奏を色々探していて遭遇した。ジャンルを問わず音楽の演奏解釈というものについてこれは良いぞ!と感じたのは久々だった。
この動画は超すばらしい解釈で演奏している。
https://www.youtube.com/watch?v=FTKnrXu-mBY
(ただしCOVID系なので録音状態は劣悪なのが惜しまれる。)
(COVIDロックダウン中のベルギーでの撮影ですが、2人は夫婦でおそらく自宅です。)
この曲を知っている人だったら「そうやるのか!」と驚くとともに、「こうあるべきだったのか!」と納得できるはず。演奏予定のある人はこの演奏を下敷きにしてみてほしいなと思います。
演奏しているクリストフ・デルポルテ(アコーディオン)が主催する楽団の演奏は、動画ページからYoutubeチャンネルへどうぞ。ものすごい演奏を堪能できます。
クリストフ・デルポルテという人は全く知らなかった。で、調べてみたらそうとうガチなタンゴ・アコーディオン奏者で、ヨーロッパでの評価は非常に高いらしい。自身が主催するタンゴ楽団(ASTORIA)だけではなく、オーケストラなどさまざまな楽団と共演をしている。そういう経験から、多用な楽器の演奏傾向を吸収、消化してきたんじゃないかと想像している。
なお、ダンサーはASTORIAのステージパフォーマンスでも登場している。つまり、ちゃんと「舞曲としてのタンゴ」「男女の情熱」を重視した再解釈を目指しているということだ。根拠と説得力のある再解釈は尊い。
使用楽器はブガリ(http://www.bugari.jp/history.html)。モデルまでは特定できず。
・何が良いと感じたか?
批判を恐れずにあえて言う。本家を完全に超えている。
言うまでもなく、コピー演奏を行った居有象無象の演奏など比較にならない。
楽器の特性(長所、欠点)に振り回されず、曲を本当に良く理解した演奏解釈を行っていると感じる。
・アンサンブル能力の高さ
バイオリンのIsabelle Chardonは仕事でいつも演奏しているメンバーであり妻だからこそ、完璧に息の合った演奏だ。この完成度の高さは、アンサンブル演奏に興味のない人でもなんとなく感じとれるはずだ。
また、音程の良さも特筆ものだ。アコーディオンの音程に対し、バイオリンが非常にたくみに寄り添っている。
演奏の細部まで緻密に打ち合わせが行われていることは明らかで、区切りの多いこの曲の構成を実にうまく捉えている。場当たり的にテンポを揺らしたり、どちらかが相手の演奏の区切りを待ち構える低レベルな演奏とは次元が違う。
もともとはフルートとギターのための曲を、バイオリンとアコーディオン用に編曲している。この編曲が実にすばらしい。それぞれの楽器に寄り添い、変えるべき部分をちゃんと変えている。こういうアレンジの場合、原曲を重視しすぎてアレンジ先の楽器が不自然に運用されてしまうケースが非常に多い。
・泥酔しない楽曲解釈
この曲を演奏する人はたいていオリジナル版に寄り添い過ぎて過剰にセンシティブで死んだ音になっていたりする。
もしくはアレンジ先の楽器の悪趣味性が出てしまう傾向がある。
本来は『タンゴの歴史』(Histoire du Tango)の2曲目として演奏されるのがこの『Cafe 1930』なのだが、舞曲としての「踊るタンゴ」が時代を経るにつれてゆったりした「聞くタンゴ」に変質していった時代を表しているのが『Cafe 1930』です。
本家の演奏も楽譜も遅めのテンポが指示されていて、クリストフの演奏のような劇的な変化は指示されていない。
例えば、どうがの5分8秒からのアツい演奏をしている部分は、スコアにはそのような指示は無い。
むしろ、molto cantabileという表記に影響されすぎて遅くしている演奏が多いくらいだ。ギター伴奏もアルペジオを基調としていて、遅さを感じる。
が、クリストフのアレンジではアコーディオンがタンゴの踊れる情熱的なリズムを追加している。これによって一本調子になりがちなこの曲をドラマチックに改良している。原典主義者は激怒するかもしれないけどね。
なお、スコアは本当に不足が多いし、アーティキュレーション記述にも一貫性が無い。つまり補って積極的に解釈していく必要がある、というのが楽譜音楽への正しい接し方だ。だからクリストフの態度は正しい。
例えばこういう箇所を見て何を考えるべきか?
5連符にスラーが無い時点で、この楽譜はアーティキュレーションに対して雑なのだと認識し、補い、積極的に加工を試みなければならない。
下のような箇所は執拗に細かく書かれているものの、他の部分では不足感がある。
この点については、ハダースフィールド大、ジェシカ・キオネス博士(フルート奏者、教育者)の演奏アプローチに関する論文で同様の指摘がなされている。
なんて大仰な言い方をするまでもなく、楽譜芸術を扱うなら当然のアプローチです。
・泥酔した演奏の悪例
なお、ジェシカ氏の演奏はこうなってる。
テンポが過剰に遅く、フレージングが小節線で切断されている箇所が散見される。
特にジェシカの演奏で2分55秒~の部分のフレージング処理には、言っちゃ悪いが首を傾げたくなる。
たしかにフェルマータのFisと次のEはスラーになってない。でも、これって当然つなげて演奏されるべきじゃないの?
その点クリスト(Vn.イザベル)版、1分55秒からを聞くと、非常に小さな音まで減衰させつつポルタメントで巧妙に接続している。
ジェシカの演奏は変えなくて良い場所を変え、変えるべき場所を変えていないと感じる。曲のスタイルに合わない装飾音符の追加や、フレーズ展開を無視し、フルート的なテクニックをねじ込んでくる。が、ビブラートの運用については計算が浅く、ビブラートの種類が多いのは良く分かるが、曲に対して適切な種類を使っているとはとても言えない。つまりフルートテクニックのための演奏になってしまっている。
さらに言えばギターとのアンサンブル感が全く無い。2人の抑揚が全く合っていないし、テンポ感もちぐはぐだ。
ギターもギターで自分の楽器の減衰音を根拠にしたスピードでもっと速く演奏することを提案すれば良いのにね。
まぁなんというか、良い反面教師になる演奏なので、ぜひ聞いて欲しい。
・楽器の悪趣味性が無い
たいていの生楽器演奏はそれぞれの楽器の存在そのものから現れる悪趣味性がある。が、この演奏はアコーディオン(バイオリン)特有の悪趣味性をまったく感じないが、どうだろうか?
たとえばフルートの悪趣味性はこういう部分で出やすい。
ことさらスタッカートやテヌートを多く書かれると、ほぼ全てのフルート奏者は強烈にスタッカートにしたがる。
■他の演奏もぜひ
Youtubeチャンネルでは他の演奏もどっさり聞けます。
ただし、ライブ録音でボーカルが入るものはちょっとミックスに難ありです。お国柄なのかもしれないけど、これは本当に残念。
・バイオリン版のCafe1930アルバム「RUBATO」に収録
舌にスクロールすると出てくる「RUBATO」が、クリストフとその妻イザベラのデュエットアルバム。雑多に曲を集めているので微妙な曲もあるけれど、「Cafe1930」はものすごい完成度。これだけのためにアルバムを買った。
「CD」って書いてあるけど、サブスクDLでmp3/flacです。
サンプルはYoutubeにもあります。
・ASTORIA版はフルート
グループ「ASTORIA」での『Cafe1930』は原曲どおりのフルートソロ。
言っちゃ悪いがこの楽団のフルート奏者はソロ演奏が悪趣味だ。感情過多で「曲よりも自分の演奏スタイル」系の人。はっきり言って嫌いな演奏です。ピアソラ曲を演奏する際に必須となる過激な奏法は上手なのですが、ソリストとしてはダメだ。
■個人的なCafe1930の思い出
昔ヨーヨーマ(チェロ奏者)のアレンジ演奏を聞いて感動したので即座に耳コピし、アレンジもやった。
たぶん1997年のアルバム。彼は当時大人気でした。メインのクラシック演奏にこだわらず、非常に幅広いフィールドに突撃し、人気を博していました。
が、今にして思えば確かに淡白な内容だし、チェロの無茶奏法が多い「悪趣味性」の強いアレンジと演奏だと言わざるを得ない。
でも、ヨーヨーマの演奏がきっかけでピアソラに関心を持ち、本家を聞き、アマチュアを聞き、たまに無性に聞きたくなってYoutubeで巡回しまくって今回のクリストフ版に出会えた。というわけです。