■メカニックに特化した金管楽器本
奏法や曲の話はゼロ。ひたすらメカニックの話。純度の高いマニア本です。
これまでモノクロ低解像度ばかりだった「歴史に埋没した奇妙な楽器」の写真は非常に美しく、それだけでも一見の価値ありです。
■はじめにおことわり
私はすでに金管楽器の演奏を「完全に」 やめています。その昔は金管楽器スペシャリストとして色々な仕事をしていました。
なので、情報が遅いです。今時になって2018年の本を紹介している時点でお察しください。
■自分に合った道具と、修理工房の重要性
しょっぱなの挨拶文から「自分に合った道具を選ぶこと」と「修理・メンテナンスの重要性」が説かれている。
私自身、金管楽器講師やリペアマンとして多くの奏者や学校と接してきた。その中で痛感したのが、調整されていない楽器で演奏している人が圧倒的大多数だったことだった。そんな道具で苦労しても上達しないし、指導している人も「強く押さないとダメ!」という頓珍漢な指導をしている。そんな指導で金を取るくらいなら、リペアマンを数時間雇って、全ての楽器を軽くメンテした方が良い。その上で重篤な楽器は工房に持ち帰ってもらい、きっちり修理した方が良い。私は学校ブラバンの先生には「そういうお金の使い方をするように」指導していた。
先日は音響仕事で金管ソロ演奏の録音ファイルを預かったが、どうにも音程が悪い。リペアマンの耳で注意深く聞いてみた結果、ピストンのフェルトが潰れているのだと確信した。実際、その演奏をしたプレイヤーに尋ねてみると、確かにフェルトが潰れていて、正規の位置よりもピストンが深く沈んでしまっていたとのこと。即座にAmazonでフェルトを購入させて対処した。
冷蔵庫や車のエンジンの異音と同じように、メカニックに精通している人ならそのくらいの芸当はできる。
このフェルトの重要性とメンテについては本書128~131ページで非常に丁寧に解説されている。
プレイヤーは音の悪さを「自分の腕が悪いせい」と自己評価してしまいがちだ。それは謙虚なのではなく、無知なのだと思う。
無知は悪いことじゃない。知れば良いだけだ。そして、楽器個別の教則本はそういう指導をしてくれない。なぜなら教則本を書くレベルの奏者は、定期的に信頼できる修理工房に楽器を預けて、万全のメンテナンスをしているからだ。
・様々な用語を知るきっかけに
インターネット時代において最も重要なことは、調べることです。
でも、調べるべき単語を知らないとネット検索することさえできません。
本書では様々な領域について、浅く広く書かれている。浅いとは言っても、知らない人にとってはおぞましいほど深い話に感じることと思う。
それらの単語を英語に直し、英語で検索し、それらしいネット記事を日本語訳することでより多くの知識を得ることができます。
そういう「入り口」を担う本として、本書は非常に優れています。
一昔前の楽器系学芸員でも知らなかった単語まで網羅されています。
・常備して欲しい緊急修理キット
120ページ「指導者及びリーダーのみなさんへ」では、予期せぬ破損事故に備えて「楽器用の救急箱」を用意するように指導されている。
これは私も奏者時代には常に小さなポーチとして常に携帯していた。
中学校のブラバン顧問が異様に高い修理スキルを習得していたことが発端だった。その先生の指導で、学校の備品修理を修練する機会(と、廃棄品の入手)に恵まれたことから、学生としては並外れた修理技術を持っていたと思う。最もすごいことをやったのは、ステージ上で後輩のホルンのロータリー紐を数分で修理した事件だと思う。
その後はリペアマンとして、より優れた「救急箱」を企画した。これはリペアマンならではの自作ツールなども含まれていて、あらゆる楽器の応急処置に対応できるスグレモノだった。
・間に合わせの道具でできる応急修理
世界最大の楽器メーカーであるところのヤマハ直系のリペアマンには致命的な欠点があると言われている。彼らはヤマハ謹製の専用のリペア道具があれば、ヤマハ謹製の楽器をきれいに治せる。寸法や角度がピタリと合っているからだ。
しかし、舶来品や改造品の修理となると、とたんに無能になる人がいるのが事実だ。彼らはピタリと合った道具を添えることが修理だと思っている。
もちろん全てのヤマハ直系リペアマンがそうだというわけではない。ヤマハアトリエのいわゆる「真の職人」と呼べる水準の人は、舶来楽器への対応や、顧客の特注に合わせて、その都度専用の道具を作ることもある。
また、出張先で間に合わせの道具で修理をしてのけることもある。私はある合宿先で、ヤマハアトリエ勤務の人が宴会用のビール瓶でベルをあっというまにきれいに直してしまうのを見た。
上の「ヤマハのリペアマンには専用設備が無いと使えない人がいる」という話も、そのアトリエ職人の口から直接聞いたものであることを書き添えておく。
本書118ページではほうきの柄を使ってベルを修理する話が書かれている他、間に合わせの道具で緊急修理ができるよ、という様々なアイディアが紹介されている。
・道具を作るリペアマン
リペアマンに必要とされるのは決まりきった手順を覚えることや設備を整えることではなく、創意工夫で道具を作り出すことだと言える。
本書192ページでは金棒ヤスリからバニシャーを自作する方法も紹介されている。
私のリペア師匠は金物屋や100円ショップに売っている様々な道具をちょっと改造することで実務で使えることを教えてくれた。こういう工夫は大規模な工房を構えることができない「普通の」リペアマンが限られた資金で活動するための知恵として多いに役立つ。
■関連本
今回紹介した「金管楽器マニュアル 日本語版」では、末尾にメンテナンスとリペア、製造に関する記事が書かれています。知らない人が見ればかなり細かい内容なのですが、正直この程度の知識で楽器をバラすと「付け焼き刃」になりかねません。
メンテナンスについてより詳しく知りたい人は、下の関連本をどーぞ。
とはいえ、独学でバラしをやるのはおすすめしたくありません。基礎知識として情報を仕入れた上で、専門家からの指導を受けてください。
また、「犠牲にして良いボロ楽器」 を用意することを強くおすすめします。ボロ楽器はネットオークション等で安価に入手できる時代です。くれぐれも自分のメイン楽器や、学校の備品を破壊しないようにしてほしい。たいてい失敗するぞ?
・(別本紹介)フィジカルに特化した金管楽器本
奏法・技術などフィジカル面については、下の本が私にとっての聖典でした。

金管楽器を吹く人のために THE ART OF BRASS PLAYING
- 作者: フィリップファーカス,北村源三,他,杉原道夫
- 出版社/メーカー: 全音楽譜出版社
- 発売日: 1998/12/10
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 10回
- この商品を含むブログを見る
日本語版が1998年。つまりインターネット普及黎明期です。
元は1962年の執筆。かなり古い本です。
噂話ですが、翻訳権を獲得した人物が作業中に亡くなったことから、日本語版の出版が遅れに遅れていたそうです。
現在ではこのファーカス本を下敷きとし、さらに優れた内容の本はいくらでもあります。が、奇抜なだけの役に立たない本も多いので気をつけましょう。昔の定番本としてファーカス本を持っておくのは悪くないことだと思います。
その内容を見て「知らなかった!」「すごい!」と感じたのだとしたら、それは情報収集が甘すぎるか、周囲の教師に恵まれていないと悟るべきだと思います。根本的に情報源と環境を変えなければ、無為に時間を失い続けることになります。
■学校の備品購入におすすめしたい
こういう本は個人で買うのがベストだが、中高生の小遣いをすり減らすより、学校備品の購入リストに入れて欲しいと思う。
・学生のキャリア向上のためのリペアスキル
普通の中高生のブラバン学生は「プレイヤー」を仕事にすることは事実上不可能だ。が、リペア・クラフトを志すなら、音楽を仕事にする道がある。
音楽好き、楽器好き、でも勉強は不得意。という学生に対して、中途半端な学力を求めるよりも「リペア学校というものがあるよ」と進路指導するのは悪いことではないと思う。
が、国内リペア学校はピンキリすぎるのでまともなところ「だけ」を勧めるようにしてほしい。あえて学校名は言わないです。
そういう専門技術の学校を進路とするのであれば、事前に修理を体験しておくのは素晴らしいキャリアアップになるでしょう。
そういう学生を毎年1人でも輩出していれば、夏休みに「母校で修理しまくるバイト」をさせることもできる。学校の備品も良い状態になるし、リペア学生も実地練習ができるので一石二鳥だ。まじおすすめ。
--------------------
・その他
YMM Twitterからレスポンスいただきました。
すばらしいレビューをありがとうございます。
— ヤマハミュージックメディア編集室 (@YMM_henshu) May 31, 2019
ぜひ吹奏楽に携わる方々にお読みいただきたいレビューです。 https://t.co/tCB7LuQs4Y
"こういう本は個人で買うのがベストだが、中高生の小遣いをすり減らすより、学校備品の購入リストに入れて欲しいと思う。"
— ヤマハミュージックメディア編集室 (@YMM_henshu) May 31, 2019
金管楽器マニュアルhttps://t.co/LFuF0OoHat pic.twitter.com/n9g0ZpFhBF