eki_docomokiraiの音楽制作ブログ

作編曲家のえきです。DTM/音楽制作で役立つTIPSを書いています。

(書きかけ)完璧主義を捨ててどんどんアウトプットしよう!というお話

「上手になったら作ります!」という態度ではいけないよ!というお話。

とても素晴らしい記事が上がっていたので、便乗して語ろうと思います。

内容的に「雑記」カテゴリのみにしておきます。

(2020年3月29日加筆修正)(書きかけ放置)

 

■達人になってから戦場に行くのではない

「完璧主義」を自称する人のほぼ全員が間違いですよ、というお話。

www.iruca21.com

 

上リンク先では漫画『ベルセルク』の引用をしています。

「それともお前、何十年も修行して、達人にでもなるのを待ってから戦場に出るつもりなのか?気の長げェ話だな」。

超人的な戦闘能力を持つ主人公が、ワンパク少年剣士に向かって「完璧主義を捨てろ」と言っています。

 

その部分についてのみ書かれている記事がこれ。

manoj.blog51.fc2.com

完璧になってから外に出るという態度は謙虚で美しい気がします。しかしそれは「謙虚」の意味を履き違えています。

 

これは「完璧主義」ではスタートさえできないということも意味します。

 

・大御所クリエイターのセリフでもある

ベルセルク』は異論の出る余地のないベストセラー、ロングセラー漫画です。こんな大作を作り続けている漫画家だって完璧な絵とストーリーを作れるようになってから漫画家になったわけではありません

あこがれの漫画家が活躍する世界に飛び込み、大きな剣ではなくペン1本で戦いを挑んで、自分の力で手に入れた「大ヒット漫画家」という評価。

ベルセルク』が大人気漫画である理由は、壮大な物語の中だけではなく、悲痛で残酷な戦いの描写の向こうに作者の必死の姿が滲んで見えてくるからではないか?と私は感じています。

 

漫画『ベルセルク』はあまりにも物語のスケールが大きくなりすぎて、漫画家本人も「自分が生きているうちに完結できない」という旨の発言をしています。

つまり、『ベルセルク』を完成させたから人気漫画家なのではなく、ゴールの見えない戦いを続けていることが読者の魂をうつのではないか?と言いたいんです。

 

というわけで、この件について思うところを、私なりに書いてみます。

 

■スピードは最大の武器である

Windows95開発の話。

www.kakkoii-kosodate.info

Windows95は3500のバグを知っていながらリリースした。

 

WindowsとかクソOSじゃん」と思った人はすでに危ない。

些細な点を叩いて優越感を得るということは、叩くものが無いと行動できないということだ。

叩かれることを前提で「とりあえずできました」を出せる方が優秀。

 

入念に完璧なものを作ってから発表していたら会社は回りません。

 

分野を問わず定期的に不良品回収(リコール)が報道されていますが、完璧なものだけが世の中に出回っているわけではありません。

 

■謙虚さと傲慢さ、強者の論理

「私はまだ未熟なので」という言葉は謙虚な美しさを持つ一方、「お前は俺より未熟なんだから黙ってろ」という押し付けを少なからず含む、危険な思想だと私は考えます。

 

また、「仮に俺より上だとしても、極めたと言えるのか?」「未熟じゃないと考えるのは思い上がりだ。謙虚にしろ。」という傲慢さを持ちます。

 

彼らの理屈が正しいとしたら、世界一の人しか口を開いてはいけないことになってしまうのではないでしょうか?

 

サッカー話で言うとこういう感じになります。

 

「お前サッカーやったことあるのかよ」

「部活でサッカーやってた程度で偉そうに」

「プロになれなかったくせに」

「Jリーガー程度でプロ気取りかよ」

サッカー日本代表とか全然サムライじゃないよね」

プレミアリーグ(イギリスのプロリーグ)なんて世界的には二流だろ」

「タイトル取れないバルサとか草」

「メッシは落ち目」

 

という具合です。

その時代時代の最強チームのトップ選手(しかも全盛期)以外がサッカーについて口を開いてはいけないと言っているのと同じです。

他人をバカにしようと思えばいくらでも言いようはあるものです。 

 

で、そうやって上の話ばかり持ってきて他人を笑いものにする姿勢を見て、「あなたのように自分では何もしないで全方位攻撃する批判家になりたいんです!弟子入りさせてください!」なんて人が現れるわけはありません。批判ばかりしている人はかっこ悪いんですよ。どんな正論を言っていても、耳を傾ける人は現れません。

  

世界の一流を知っていることは素晴らしいことですが、それ以外を無価値であるかのように言うのは、それこそ素人の、外野の考え方でしょう。

知識は他人をバカにするためのものではないはずです。

 

(上ではサッカーの話でしたが、サッカーファンのすべてが批判家なわけではありません。念の為。)

知人の熱狂的なサッカーファン曰く「強いか弱いかじゃないんだよ。本当にサッカーが好き人は、たとえ弱くても地元のチームに惜しみない声援を送るもんだ。」とのことです。

強いから応援するのではなく、地元を無条件に応援する姿勢です。

 

音楽の話で言うと、

売れてる音楽だから聞くわけじゃないでしょ?

売れて無くても大好きな音楽ってあるでしょ?

明らかに下手だけど、好きになっちゃう音楽があるでしょ?

 

■先生は一流プロではない

楽器を、音楽を教えるのは超一流の音楽家だけではありません。

 

街のピアノの先生は超一流のプロのピアニストではありません。当たり前です。

 

「世界一流じゃないなら黙ってろ」

「教えるレベルかよ」

だとすると、誰が小学生にピアノを教えるのでしょう?

世界一のピアニストが世界中の子供たちにピアノを指導することはできません。

 

物事には段階というものがあります。

まず、街のピアノ教室で腕を認められ、

次に、先生が全力で教える覚悟を決め、

将来性を見越して師匠の学校への進学や留学を推薦し、

その先でも実力を認められてコンクールに参戦して、

……という「トンビが鷹を生む」成功ストーリーが生まれる流れになるはずです。

 

この辺の話は『のだめカンタービレ』を見ると楽しみながら深く理解できるはずです。

もちろん『のだめカンタービレ』の内容にも、実体験のある音楽家からすれば「ここがおかしい」と指摘できる箇所はいくつもあります。が、リアルなドキュメンタリーではないので何も問題ありません。

おかしい箇所があっても無くても、『のだめ』はクラシック音楽漫画の傑作として、しばらくの間は重要な試金石となることは間違いないでしょう。

 

本人の実力だけでも、運だけでもなく、色々な要素が理不尽に絡み合うハーモニーが一流の音楽家を生み出すんです。

 

私がそうであるか無いかは、この際は関係ありません。

 

■一般学校の授業に何を求めてんのって話

小中学校、高校、大学で教えている先生だってそうです。

 

私が高校生の時に留学生(英語)がいました。

英語の先生が留学生の通訳をする際、英語の先生でも分からない言葉があり、スラスラと英語に通訳できずにいました。

「あの先生大した事ないじゃん」という陰口を言っている生徒が多くいました。

 

当然です。

一般的な学校は実用的な英語を喋れるようにするためのシステムではありません。日常会話を教える場所でもありません。受験勉強のための英語を教えることです。

もし本当に世界で通用する英語を身につけたいのであれば、一般高校の先生の責任を問うのではなく、自分が留学すれば良いのです。近所の外国人と積極的に関われば良いのです。

 

まーそういう英語境域の現状を打破しないとね、という流れもあって交換留学生の制度が実施されたらしいです。

 

留学生との話で非常に記憶に残っているのは、ジャージの上着についているのは「チャック」ではなく「zip」だという話でした。

Zipper - Wikipedia

また、彼らの「zip」の発音は「p」がほとんど聞こえず「ジッ」としか聞こえません。

そういう発音を面白がって、みんな「ジッはちゃんと上げろよ!」「ジッ開いてるぞ」という具合でネイティブ発音をおもちゃにしていました。zipファイルの発音は「ジッファイ」となるわけですね。

 

ともかく、学校の英語の先生は大したことないという事実が明らかになりました。 

その後の生徒の話では、進路指導の話で偉そうなことを言う学校の先生がどれほど世間一般の「仕事」を知っているのか?という議論にもなりました。

 

誰もが知っている通り、ほとんどの学校の先生は大卒で教職員過程を終えてそのまま教職に就きます。学校の先生は一般的な「社会」「仕事」を経験していません。

そういう人が教職員としてのキャリアを上げていく中で進路指導を行うことに意義を唱えても、「じゃああらゆる職業を何年経験したら学校で進路指導をして良いってことになるの?」という話の流れでした。

 

現状に文句を言うことは誰にでもできます。

正論を唱えるのは簡単です。

 

でも、その理屈に沿った解決方法は世界中のどこにも存在しないファンタジーの空想でしかない、という結論です。

 

■街の自動車工に何を期待してんのって話

同様に、街の自動車整備工だってそうです。

彼らが超一流なわけではありません。

F1などの世界的なレースでピットクルーや車体開発を務めているような人が街の整備工なわけがありません。

 

そんな街角の自動車工に対して仕上がりに文句を言ったり、雑誌やネットで聞きかじった知識で説教をしたところで、そのショップでは求めるレベルのサービスを受けることはできません。あなたがショップを去った後で「いるよねー、ああいう客。」という笑い話にされるのがオチでしょう。

 

■コンビニやファミレスに何を期待してんのって話

似たようなお店系の話だと、コンビニやファミレスに一流の商品知識とサービスを要求するというアレになります。

バイト相手に何言ってんの、ということにしかなりません。

一流のサービスを受けたいなら、一流の場所に行くべきです。

 

現実にそわない理屈で、相手に過剰なサービスを求めるのはおかしいです。

 

世界レベルを語りたいのであれば、まず自分が世界レベルになり、世界レベルの人たちだけの中で好きなだけ語れば良いのです。そうではないなら語っている内容は全て雑学でしかないということです。

 

いろいろな例を書き連ねてみましたが、要するに「私たちは世界の一流ではない」ということ。

まずこの現実を認めて、そこから考えなければなりません。

 

■大都会だけが世界ではない

他業種でもネットでちょっと調べたような頭でっかちの客が多くて困るよね、という話は頻繁に聞きます。

田舎に引っ越した知人が、田舎の歯医者で満足の行く施術を受けられないことを憤慨していたので「それは大都会の大病院の話か、もしくはそういう大きな組織の恩恵を受けることができる開業医の話ですよ?」と諭したことがあります。

すべての地域で望む医療を受けられるわけではないことを40歳を越えても理解していないことについては何も言わず、「私も地方のそこそこの規模の都市に住んでいるけれど、受けられない治療があるよ」という話もして納得させました。

プロ野球選手の肘の手術を行えるのは世界でもほんの数人でしょう。そういう治療を受けるためにアメリカまで行った話は昔から芸能スポーツニュースで散見されますが、そういうのを見聞きしたことが無かったのでしょうか。

 

また、先日はオーディオ電源のためのアース設備の追加をしようと思い近隣の電気屋を数件回りましたが、「そういう事例は聞いたことがない」とのことでした。地方中堅都市でさえそんなもんなんです。

 

■それでもやる、だからこそやる

完璧じゃないから足掻く(あがく)んです。

 

・教えることになったきっかけ

私は作編曲の仕事とレッスンの仕事をしています。

しかし、正直なところ「こんな自分に音楽を教える資格があるのか?」と悩んでいたことがあります。(今はまったく迷いはありません!)

 

学生時代、自分が詳しくない楽器の後輩に教えなければいけなくなった。

その楽器について勉強するようになった。

また、ある時、外部講師の先生があまりにも適当な合奏レッスンをしていたので「適当なレッスンをするのをやめてほしい」と頼み込んだらブン殴られた(比喩ではなく物理的に)。そういう能無し講師に頼らなくても良い部活に変えようと必死で勉強し続けた。

 

大学に進学後、夏冬の数日間の休みに高校の吹奏楽を教えることになった。

1軍は顧問の先生、私が2軍を指導した結果、わずか数日での指導だけにもかかわらず、コンクールでは1軍を抜く成績。その後この部活は実力主義へと転換することになり、今では全国大会常連です。

 

まだ、某一般大学の吹奏楽部から「講師として来て欲しい」という依頼を受け、合宿に付き合ったことがあります。

雇うならちゃんとプロ奏者雇えよなーとも思ったのですが、小遣いが欲しかったことや、教える場の経験を積みたいということもあって引き受けました。

やるからには全力を尽くし、それなりの反応を得ることができるバイトでした。

その場で効果の出る即効性の指導をして実力を示した上で、長期的な練習メニューを教えたり。やっぱり口先で偉そうなことを言うだけではダメだし、「俺うめえ」的な腕自慢を見せびらかすだけでも意味がありません。そういうことをシステマチックに組み立てられる能力は高く評価されました。

 

■停滞は衰退

一流プロをdisる言葉から考えてみます。

  • 「昔の功績にあぐらをかいている」
  • 「過去の栄光で食ってる」
  • 「時代遅れ」

という言葉を聞いたことがあるはずです。

賞賛するよりも「あんな奴大したことねーよw」みたいに言う人、見たことありますよね?

 

そういう汚い言葉からも学ぶことはあります。

  • 「去年アップした曲で再生数が良かったボカロ曲の話をまだ自慢してる」
  • 「瞬間風速で結構稼いで機材買ったらしいけど、その機材で曲作ってない」
  • 「天狗になっててムカつく」
  • 「もう半年以上曲出してないじゃん」

プロの大きな業績も、動画サイトに投稿してるアマチュアの小さな成功も、同レベルに扱ってみれば良いということです。

 

数十億円で豪邸を立てて印税生活している大スターのように扱ってあげれば良いんです。そして同様にdisれば良いんです。

そうしてみると、「ちょっとした成功」も「天狗になってる」状態も、身近なことに感じるはずです。自分も半年後には天狗になってしまっているかもしれないんです。

「他人のふりを見て我が身を直せ」だということを強く自覚するために、妬んだり陰口を言うだけではなく、自分自身の問題として捉えてみよう、ということです。

 

■調子に乗せるべき、調子に乗るべき

小さな成功程度で大きな顔をしている人が気に入らないなら、褒めて、おだてて、大きな失敗をするまで加速させれば良いんです。

自分ももっと調子に乗って、どんどん突き進んで、1日でも早く壁にブチ当たって、打ちのめされれば良いんです。

大きく打ちのめされる経験をするなら早い方が良いです。そこから先の未来が、もっとたくましいものになるから。

 

・「七転八起」のサイクルを早める

 成功して、失敗して、そこから学んで、また立ち上がって。

その繰り返しこそが成長です。

今の位置に立ち止まっているくらいなら、どんどん前に行った方が良いんです。

 

 

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■さいとうなおき氏の場合

イラストレーターのさいとなおき氏も完璧主義を「古い考え方だ」としています。

www.youtube.com

・ただし、スタンスに問題がある

ただ、論旨から外れますが、 私はこの動画のスタンスに疑問があります。

もし相手を説得しようとしているなら、そういうトーンで話をすると、バカにされていると勘違いされてしまう恐れがあるからです。いわゆる接客業における「笑顔と真顔の使い分け」が欠如しているように感じます。

動画内で氏は心理学的なアプローチをしているので、同様に心理学的にこの動画を評するなら、「アンチに対する姿勢を人気取りに利用しようとしている」と感じます。笑顔は万能ではありません。

もし仮に私がこういう動画を作るなら、「見えない相手にも真剣な顔で答える」ことをもって説得力を高める戦略をとります。

笑顔の場合は第三者から見れば「笑顔で余裕で答えてる!かっこいい!」となりプラスではあります。

しかし、当人からは拒絶されてしまい、結局は1対多数、しかも本人抜きのいじめ状態になりかねません。

その点、真摯な姿勢であれば、当人を説得できる可能性が高まります。この方が全方位的に有益になるでしょう。内容も一切の譲歩が無く「あなたが言ってることは全て間違い」という全否定なのでなおさらです。

 

本来発言すべき内容ではないのは確かです。

晒し者にされバカにされたと逆上する人をうみかねません。こういうセンシティブなコンセプトの活動では、あくまでも穏便にするべきではないでしょうか。

 

当ブログも「それ間違いです」というスタンスで、昨今の国内DTM界隈に対して挑戦的な姿勢ですが、特に必要ない場合を除いて「特定の誰か」に向けたものにならないようにしています。

 

逆上したキチガイによってさいとう氏の身にトラブルが起きないことを祈ります。現にネット上の些細な問題を極大に誤解し、殺傷事件なども起きていますし。

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