(2022年1月10日 18時~ NHK BS1で再放送されます) NHK『奇跡のレッスン』のレビューです。当ブログは音楽制作を主軸にしており、その立場から書きます。スピードスケート競技に関わっている人にとっては期待はずれの記事であることを始めにお詫びいたします。
(2021年10月28日更新、一部内容を独立記事とした)
以下の内容紹介は、番組中のエピソードとは時系列順が異なります。
■番組HP
■テレビに合わせていたら俺のスケート人生が終わるんじゃないか?
そう言って高校生がテレビ取材を否定したこと。その言葉をテレビがオンエアしたこと。
かっこいい。超かっこいい。
コロナ禍のせいか、『奇跡のレッスン』はしばらく不調だったと言わざるを得ないです。「おうちアート」「料理回」と「将棋回」「吹奏楽」なんか、言っちゃ悪いけど最低最悪の内容だった。数十年後の未来において、コロナ禍で粗製乱造されたZ級TV番組という特集をやったら良い笑いのタネになるんじゃないかとさえ思うくらい、全てにおいて劣悪な内容だった。
(なお、それ以前も全ての回が良かったわけではなく、半分くらいはクソ内容な番組です。なぜなら、短期レッスンという行為自体が必ずドラマチックでテレビ番組的に「おいしい」内容にできるとは限らないからです。上で酷評した回は特に即時的な変化を認識しにくい種目だということは誰にでも分かるはずです。)
が、今回のスピードスケート回はとんでもない面白さだった。
ここに来て取材期間を2分割して、レッスンの「導入と集成」だけではなく、期間をあけて「アフターケアと、その先へ」という二部構成にするテコ入れで、教養番組としてありえない次元に突入したとさえ思う。とんでもない高クオリティに仕上がった内容でした。
今後もこのフォーマットで作り続けてくれることを期待しています。
今回は映像も素晴らしく、カメラマンもスケートを履いた氷上でのスピード感あふれる撮影も非常にすばらしいものでした。
・その場一発の指導の無意味さ
レッスンというのはその場一発、1週間程度じゃ何も変わらないです。
期間をあけて「その後どうなったか」という場を設けないと、価値が半減する。
これはあらゆる分野でレッスン業をやったことがある人や、企業に対してコンサル業をやっている人なら痛感しているはず。
テレビ番組でも家を改造する番組とか、掃除する番組とか、起業する番組とかがありました。ネットで調べれば、その多くが後に散々な状態になっていることを知ることができます。その惨状のいくつかは番組でも取り上げることがあります。
ともかく、その場一発でやることの価値はあまり無いんです。
軌道に乗ったか、先を見据えているか。そこをケアしないと、全ての指導行為の価値は無くなってしまいます。無責任に「こうした方が良いんじゃないの?」と言ってくる門外漢のロジックになってしまいます。
・すごい人なのは分かるけど、分野違いじゃないのか?
体型を見ただけでも分かるとおり、長距離では絶対に戦えない体です。
小さな体をさらに小さく折りたたむ「異形」とも言える低いフォームと異様なストライドの速さ。いかにも瞬発力に特化した馬並みの太い足。
これ以上無い、純粋は短距離選手です。
そんな清水が、長距離選手しかいない学校で指導をする。
しかも指導経験が無い。
ミスキャストじゃないか?またクソ番組になるのか?と不安になる出だしでした。
その不安をさらに煽る、学生たちの雑談シーン。
「頭が混乱する」
「試合が近いのにフォームを変えろってこと?」
「話聞いてもうまくならないでしょ」
「マジでアカン」
「こんなテレビに合わせてたら俺のスケート人生終わるわ」
「こんなことやってる場合じゃない」
もうこれに尽きる。
このシーンをテレビで流したことを称賛したい。
これが真実だよ。どんなアスリート、どんな芸能人が目の前に来たって、よほどの暇人でもない限り邪魔としか思わないのがリアルというものですよ。
私の場合は学生の時にテキトーなことしか言わない「プロオーケストラの先生様」が来た時に、真顔で「テキトー言って帰っていくだけならいらないです」と言って、グーで殴られてましたし。それがリアルな高校生の態度、普段教えてくれる人がいない環境で、孤独に頑張り続けてきた人間の態度です。大人を無条件で尊敬する子供なんて、大人の頭の中にしか存在しない、空想上の妖精でしかありません。
(本番組とは関係ありませんが、「無条件に尊敬しろ!」なんて言う人ならなおさら尊敬されません。尊敬するしか無い、有無を言わさない説得力を見せられるのが大人の取るべき態度です。)
(過去職場にいた上司が「俺はもっと尊敬されたい」と愚痴をこぼしていたことがありますが、そんなことを当事者たちの前で言ってしまう人間を尊敬することは不可能です。)
初対面から、初アドバイスをする時の清水の声と態度も固く、「夢を持て」「人生が」とか、そこらの偉そうなクソザコ大人が言いそうな抽象的なことばかり言う。もう最低。それを言って良いのは、何かを達成した後の反省会でしょうに、とダメ出しをしたい。
それを目の当たりにした学生たちの態度は硬化し、「いるよなーああいう大人。」というムード。本当に「アカン番組になるぞこれは」と不安になった。初日を終えたところで清水も談話室で「まずい」と言っていた。
ですが、番組が進むにつれて、清水は自分がメダリストである証拠、ブランクを感じさせない体と技術、そして圧倒的な知識を的確に披露することで学生たちの信頼を得ていく。
これだ!こうではなくては!
口だけで綺麗な正論を並べても子供は一瞬で見抜く。
だからこそ、能力を見せなければ大人の証明はできないのだ。
テレビ番組として成立するのかこれ?という不安から開始され、真のプロの力を映し、最後は完璧な結果を掴み取る。最高の仕上がりになっていました。
・言葉だけなら誰でも言える
ド素人だってプロ野球を見ながらヤジを飛ばすことができます。
やったことが無くても、なんとなくそれっぽいことを言ってくる人は本当に多いです。
知りもしないのにギョーカイ語りをしたり、身内の評判だけで世界的な企業を批判したり、
そこで必要なのは実力を見せることです。
「何を言っているか?」より「誰が言っているか?」が重要なんです。
ネット言論などでは「言っている内容だけが重要」と主張する人がいますが、これは同時に「自分は何者でもないけど、正論言ってるから聞いてよ」という弱者のスタンスです。言う側のアピールとしては非常に正しい戦略なのですが、聞く側からすれば「なんでお前みたいな馬の骨の言うことを真剣に受け止めなきゃいけないわけ?」となるのも当然です。
有無を言わさない何かによって「この俺が言っているのだから」という説得力がなければ、どんな正論も空虚です。
なお、漫画『空手バカ一代』が終始テーマとしたのは「力なき正義と、正義なき力」でした。空手とはつまるところ暴力であり、使い方を間違うと大変なことになってしまう。やりたいことがあっても力が無いと押し通せない。だからこそ力と正義の両方を身に付けなければならない、と言い続けているのが漫画『空手バカ一代』です。
・自己ベストは尊い
個人的にもっとも印象的だったのは無口で体の小さい男子学生。伸長162センチの清水よりも小さい今村君。
もうね、こういうの最高。
スポーツは恵まれた身体があった方が絶対に有利だ。
だからと言って、体格が無いというだけでやめる人はいない。
手が小さいという理由でピアノをやめる人もいない。
近年だとサッカーの長友、相撲の日馬富士など、明らかに不利な体格をトレーニングと理論で徹底武装することで補う選手。まじ大好き。(なお『はじめの一歩』で一番好きなのは小橋。)
私は学生時代はブラバンをやっていたんだけど、ブラバンだって体格があったほうが絶対に有利なんです。体に入れた空気を使って演奏するんですから。でも、体格が無いからこそ技術を学ぶ必要性を早くから痛感できる。なんとなくできてしまっている大きな体格の人たちや手先が器用な人たちを追い抜くという、ある意味サディスッティックとも言える楽しみがそこにあった。
大人の奏者からも「なぜその体格でそんなに大きな音が出るんだよ」と言われていたし、田舎でネット情報も無い時代だからこそ、僅かな情報をかき集める能力も養うことができたんだと思う。東京に上京してまず分かったのは「こいつら情報に溢れた都会に住んでるのに、何も勉強してないぞ」という事実だった。
スポーツの最大の魅力は「小さな体で大きな相手を倒す」ジャイアントキリングでもある。
小さな彼は、番組と無関係に小さな清水に憧れていたことを明かす。
最も強く指導されたことは「誰よりも低く、強いフォーム」。夜の自宅前でひとりで鍛え続ける姿は、まさにスポ根そのもの。無表情で地味な男と、鍛え上げる筋肉のコントラストが泣ける。
もちろん生まれ持った性能の差は圧倒的で、同僚のように優れた成績は出ない。が、淡々と自己ベストを更新していく。
チームワークを苦手として、陸上やスピードスケートのような個人スポーツにのめり込む人は多い。それだって立派な個性だ。勝者は素晴らしい。でも勝者には決してなれないと悟りながらも努力し続ける姿も美しい。心底そう思う。
『奇跡のレッスン』はわりとこの要素を大事にしていて、優れた学生だけをクローズアップせず、むしろちょっと劣った地味な学生にカメラを向けることが多い。
「2番じゃダメなんですか?」という言葉があった。
しかし、世の中のほとんどの人は2番にすらなれない。それどころか1桁に手が届く夢さえ見ない。だからこそ努力しつづけて自己ベストを踏み越えていく姿には共感を覚える。
■1ヶ月の別れ
今回は前半に数日のレッスン。1ヶ月をあけて、後半へ。
前半が終わる時、清水は明確な課題を出す。
それは口で言う言葉だけではなく、自分で事前に丁寧に書いて用意した「巻物」だった。
お金と時間を使って事前にしっかり準備し、それをたった1つのタイミングで渡す。
そうだ。これこそ大人の態度だ。
コストをかけずに口だけで思いつきを言うのは尊敬に値する大人の態度ではないのだ!
漫画家、島本和彦はラジオ番組でこう熱弁していた。
「サンタをいつまで信じていたか?って?ふざけるな!俺がサンタだ!」
「サンタになれ!」「大人を逃げるな!」
与えられる立場ではなく、与える立場。子供ののぞみを叶えるスーパーヒーロー。
清水宏保の姿はまさにサンタクロース。大人の証明を行ったのだ。
■闘争心は誰でも出せる
番組中で、当日のウォームアップで力を使いすぎ、試合本番でそれまでに無い大きなミスをしてしまう学生が登場します。
それに対して清水は「闘争心は誰でも出せる。出しすぎると空回りする。コップの上の表面張力のように、ギリギリを」というようなことを言います。このあたりはさすがオリンピックメダリスト。4年に1度の瞬間にピークを持ってくることに成功したことの証明がオリンピックのメダルです。「誰の言葉か?」を意識すると強烈な説得力があり、語るまでもないドラマを感じさせる一言です。
学生によくあるのが「練習ではうまくいくのに」という評価です。しかしそういう無冠の帝王に価値が無いのが世界の実情です。
マネージメント能力。管理能力。それはスポーツに限らずあらゆる場面で必要とされる重要なスキルです。
・力を入れないことで訓練の成果が出る
本番とは訓練の成果を見せる場所です。本番だけ頑張ろうでは絶対にダメです。「本番だからもっと頑張ろう」も同様にダメです。
身につけてきたものを出すためにセルフマネージメントをしないと、訓練の日々が全て無意味になります。
そういうことも併せて「闘争心は誰にでもある」というわけです。
この考え方は、なにかを一定以上まで突き詰めたことがない人にとっては信じがたいらしいです。近年よく聞く言葉だと「ワンチャンある」という考え方です。そりゃ全てはミズモノ、その場一発の運もからみます。だからと言って、運任せにすがることを前提にして、普段から訓練を続けることができるでしょうか?「試合には魔物が出る」というアンラッキーとも同じ意味なので、必要以上に考えるべきではないです。
アドバイザー的には負けた人に対して「運が悪かったね」と言うのも考えものです。運はからむけど、運を高める訓練は存在しないからです。安易にうかつななぐさめを言う人は気をつけるべきだと思います。
そもそも運が大きな要素だと思っている人は努力や効率化ができなくなる傾向があると「私は」思っています。
確かに存在する運というものに対して人は無力です。ささやかなお守りを身につけるとか、試合前に気晴らしにお参りに行くとか、その程度で必要十分なはずです。それとも若い生娘を生贄に捧げますか?ってことです。
・清水は「集中力は20分が限界」と言っていたが
「集中力の限界」は状況や行為のタイプによって諸説あります。
精神的負担、肉体的負担。
周囲の環境変化への対応の必要性。
などなどの理由によって、限界は非常に低くなります。
私が調べてきた限りではスピードを要する状況でベストな能力を発揮できるのは10分です。スピードを必要としないならもう少し伸びるでしょう。その時間が清水の言っている20分だと考えられます。ウォームアップ
特殊な業種のために、適正のある選ばれた人と訓練することでも90分が限度です。例えば米軍の戦闘機のメンテナンスの最終チェックを行う人は、業務時間が90分だとされています。この90分というのは、最高学府、つまり大学の授業の時間と一致します。やや受け身で、身体的負担も無い状況での集中力の限界が90分ということです。
なお、私が行うレッスンは原則的に2時間を1コマとしています。この根拠は90分+雑談や質疑応答を含めての2時間120分という意味です。
大学の授業でも2コマで行うものもありますし、さらに長時間になるものもあります。そういうタイプの授業は演習発表や研究実務などで、「聞いて学ぶだけ」ではない状況です。
単に雑学的に「へぇ。人間の集中力の限界は20分なんだ」と鵜呑みにするのは絶対にやめましょう。
・私が「長いオーケストラ曲」のレッスンで教わったこと
短いコンサートや負担が少ない曲の場合はウォームアップを長くやって、最高パフォーマンスを最初から出せるようにする。
最初から難しい場面のある曲も同じ。
ただし、長くてダラダラした交響曲等の場合はウォームアップを非常に軽くし、曲の中で徐々にパフォーマンスを上げていく。
という指導を受けたことがあります。
やや関連するかなーと思ったので書いておきました。
■実戦で試す
若いうちに常に新しいことを取り入れていく積極的なスタンスを身に着けないと、遠からず脱落する。
これは番組序盤でも「こんな話聞いててもうまくならない」と不満を漏らした学生の言葉に対して、清水が述べています。
若いうちに身に着けた正論だけでは勝てない状況が出てくるということです。
こういう状況を私は『技術三態』と呼ぶことがあります。(造語)
(下リンクは意味補足のための分割記事です。今読みに行かなくてOK。)
eki-docomokirai.hatenablog.com
~
それは「中級者のマジメさでは限界がある」ということです。
理屈で生み出せるもの、正しさだけでは通らないこと、エゴ無しでは出せないもの。
わがままになって、お調子者になって、ビッグマウスを使って、重要な場面だからこそ笑顔で楽しむ。
試合前だから変えないというのは正論ですが、それではいつまでも変えられません。変えずにいるうちに時間がたってしまい、身体も精神も若さを失い、老人になってしまいます。
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レース本番直前のひとことのアドバイスと、最後の改造。マネージメントという要素だけから見れば「今それを言うのか!?」というナンセンスさです。
しかしこれはナンセンスでも何でもなく、「緊張感を持った中で、今この瞬間しか得られない特殊な経験値」を獲得することを意味しています。
疲れた状況、緊張している、怪我をしている、心が負けている、負けたら全てが終わるという状況。そういう特殊な状況に身をおいた時、今ここでしかできない経験があると思って挑むこと。それを積み重ねること。
・卓球漫画『ピンポン』が傑作である理由
同様の場面は卓球漫画『ピンポン』でも登場します。
学生選手はコーチから本番直前ラケットを変えることを指示されます。しかも使いこなすのが難しい上級者向けのラケットです。しかも相手は強豪校。しかし「試す相手として不足はない」と判断し、新たな装備に切り替えるシーンです。
同様の場面はロボットアニメなどでも定番で、最初から使っていたロボットが破損し、不慣れな新型ロボットに乗って戦う、という展開です。カーレース漫画『頭文字D』にも出てきます。『機動戦士ガンダム』初代でも、戦闘中に空中合体をやらせるという形で登場します。他にも無数の例があることでしょう。
つまり、そういうシーンは単に創作漫画の盛り上げ演出やテコ入れの効果だけではなく、スポーツ心理学的にも裏付けのあるプロットなのだと言えます。
・試合直前に「今回のテーマ」を明確にする
無心になって試合だけに挑むのも正しい。しかし、「今回のテーマ」を明確にして次につなげていく。
全ての試合は経過点です。
冒頭で「本番が近いからフォーム改善は先送りするのが当然だ」としたことも、ひどい言い方をすれば負け組の発想の典型的なものです。何事にも理由をつけることは可能で、早起きしない理由だって、夜ふかしする理由だってあります。でも、目の前の「やらない理由」を上回る「やるべき理由」の重要性に気がつけば、負け組から見れば「あいつ、今そんなことやってどーすんの」と笑われる行為にも価値が出るというものです。
たいていの場合、ポンと出た理由に価値はありません。それは「現状維持バイアス」というものです。なお、現状維持バイアスで最も有名な例は「あっ、地震だ。でもすぐ収まるだろう。」というものです。その場でポンと出た思いつきに振り回される人は死にます。
これは私の個人的な考え方ですが「ポンと出た理由はたいてい間違っている」という判断基準があります。もしアタマが良いからそういう理由を瞬時に出せたのだとするなら、そのアタマの良さをもうちょっと押し進めれば、さらに良い決断ができるに違いないからです。自称アタマの良い人はこれができずにいるように思えてなりません。さらに言えば、そういう発言の速い人に影響され続けて「あの人はアタマが良いから従う」ことにしている周りの人たちも同様に阿呆なのではないかとさえ思います。万事において選択肢は最低3つ出してから決断するべきです。
・達成感は1日だけ
すぐに次の目標、新しい課題を見つけて前に進む。
■全力で失敗すれば何かを得られる
番組制作側がキャッチコピーとして選んだ一言がこれです。
何かを掴み取る権利は、全力でやった人だけのもの。
適当にやっているうちは何も身につかない。
根性論だと言って拒絶することが正義であるかのような風潮もありますが、私はそういう考え方を否定したいです。
いわゆる昭和ド根性とセットになっていた体罰はたしかに悪いものです。だからと言って、根性の全てが悪いものではありません。というロジックを見失っている人が非常に多いように感じます。
◯根性
×暴力指導
たったこれだけのことなのに、なぜか根性まで否定される。根性が無いどころかアタマも悪いんじゃねーの?と思います。そのくせ効率ガーとか言う人が多いような。根性の良いところと悪いところじゃなくてさ、根性に付着し続けてきた暴力指導が悪いだけ。そして、根性すら出なくなった状態でのオーバワークが悪いだけ。
今そこにあることに対して全力で挑めない人が何を達成できるというのか。
で、どう全力を出すか。
マネージマントですよ。
計画、指針を立てて、それを徹底的に実行し続ける。そういう愚直さ。
麻雀漫画『アカギ』でもそう言っています。自分が立てた戦略を徹底できるからこそ強いのがアカギなのだと。ただ、アカギの場合はそこに狂気と自暴自棄が多するからヤバい人なだけで。
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■関連記事
NHK『奇跡のレッスン』のレビューは過去記事にもあります。
eki-docomokirai.hatenablog.com
eki-docomokirai.hatenablog.com
記事にしていない「書道回」もすばらしい内容だったので、未見の人は再放送等でご覧いただくことをオススメいたします。