(雑記)音楽におけるホットな、あるいは荒れるトピックとして「キーには性格がある」というものがありますが、私はこの事象について極めて懐疑的です。
(2023年1月26日更新、随時加筆。)
(2023年3月9日更新)
- ■最初に決定的な結論と主張を書いておく
- ■色の歴史、国際性とイメージ
- ■ どれみシールという商品がある
- ■幼児向けリトミック教室での「色旗」
- ■楽器特性と演奏経験による差
- ■分析と記号論
- ■バロックピッチ
- ■上昇移調しても同じこと言えるの?
- ■ヒーリング周波数
- ■情報過多の時代
- ■実験方法の提唱(2020年7月8日記述)
- ■外部リンク
■最初に決定的な結論と主張を書いておく
もし彼らの主張が正しいとするなら、
イ長調(Amaj)は明るい。
ロ長調(Bmaj)は重たい。
この主張が正しいなら、
ねーよ。
高いキーになって明るくなったと感じるだけだろ?
よって100%ダウトです。
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以下詳細。
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■色の歴史、国際性とイメージ
花嫁は純白のドレスとか、紫は古代日本で高貴な色とか、そういう「色に対するイメージ」は国や文化、時代によってまるで違います。
音、キーに対するイメージってのは色に対する印象に近い、極めて閉鎖的なものだと思うんです。
なお、『伝説巨人イデオン』では宇宙人に遭遇した時、「我々に戦う意思は無い」ことを示すために白旗を振ります。しかし、相手の宇宙人の文化にとって白旗を掲げることは『皆殺しにしてやるぜ(白紙のように跡形もなく)』の意味だった、という誤解から宇宙を巻き込む大戦争が始まってしまいます。
このように抽象的な感覚を一般化するのは危険だということをまずよろしくお願いします。
音で色がイメージされる「共感覚」が個人内のクオリア以上の価値が無い、ということをまず了解しておいてほしいです。
同様に、曲の印象は人それぞれだし、キーに対する印象は楽器経験によって大きく異なります。
また、「その曲をコンクールで演奏して負けた」という実体験があるだけで暗闇の印象になることさえあると言えば、感覚の個人差が他人には当てはまらないことは理解してもらえるはずです。
■ どれみシールという商品がある
音と色の感覚についてはすでにクリティカルな論文があります。
eki-docomokirai.hatenablog.com
上の過去記事において、新潟大学の研究で「色と音の共感覚の根拠は市販の鍵盤シールの配色だ」という指摘を紹介しています。
もちろん、幼少期にこういった商品による刷り込みが起きることによって、キーの印象が後天的に生じる、という流れなら分かります。
が、それが絶対的な感覚であるかのように押し付けるのはおかしいと思うんです。
■幼児向けリトミック教室での「色旗」
あえてGoogle画像検索で。
これ見たことあるんですけど、幼児は音名じゃなくて旗を上げることで回答するんです。
音名より先に色で訓練してるってこと。
「リンゴは赤い」みたいな固定観念になるわけです。青いリンゴもあるのにね。
■楽器特性と演奏経験による差
楽器個別の体験の有無によって、キーに対する印象は大きく変わってきます。これは人間そのものの先天的な感覚、絶対的な感覚ではありません。
楽器ごとに演奏しやすいキーと、演奏が著しく難しいキーが存在するからです。
例えばピアノはCメジャーを基本として習得します。
ギターやベースはEなどの開放弦に対して敏感になります。トランペットであればBbキーです。バイオリンはG線開放音、チェロはC線開放音に対して特別な感覚があるでしょう。
基本キーを持つ楽器のサウンドにとって、曲のキーは大きな影響があります。単に運指の都合が悪化して演奏しにくいことや、運指に用いる指の力の強さによる影響があります。翻って楽譜の可読性も大きく異なります。
単純に言うと、# ♭の記号が多いキーというだけで恐怖を感じるアマチュア音楽家は多いということです。そういうキーの曲に対して敏感になります。
Fメジャーにトラウマのあるギター経験者は多いんじゃないか?
トランペット奏者はEメジャーとか大嫌いじゃないのか?
ピアノ奏者ではない幼稚園の先生でもかんたんに伴奏できるキーで歌い続けた子供は、そのキーに支配されるでしょう。
(果たしてCキーで書かれるメロディが幼児の発声にとってベストな音域なのか?という議論の方が遥かに音楽的に重要なトピックではないでしょうか?)
(近接する音楽教育議論で、幼稚園児よりも中学生の変声期の男子生徒に何を歌わせるべきか?という議論もあります。)(そもそも変声期に歌わせるべきではない、という意見さえある。)
・クラシック鍵盤楽器の経験
1巻と2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されている。
ここで用いられた曲想が、その後の時代の「クラシック鍵盤奏者のキー印象」を形成している、という歴史的解釈も存在します。(NHK『クラシックTV バッハの魅力』回では実例をいくつか上げながらの奏者トークが数分間ありました。)
下のYoutube再生リストは48曲以上あるのでたぶん全曲網羅してる演奏リストです。内容は聞いてないけど。
このような練習曲によるイメージというのは楽器ごとにあるかもしれませんね。
私の場合だと、学生時代にずっと練習していたトロンボーンのエチュード(Rochut Melodious Etudes)によるキー先入観があるかもなぁ、とある程度の同意ができます。
特定の運指をしていると、一生懸命練習していた記憶が蘇る、という感じでしょうか。
・弦共鳴など
バイオリンやピアノ、ギターの弦共鳴。
管楽器の管長による振動比。
そういうメカニカルな都合はキーの影響を強く受ける。
それぞれの楽器に完全に合致するように作られた専用の曲は、そういう特性もフルに考え抜いて作曲されている。
なので、楽器ごとに「このキーはよく響く」「演奏しにくい」という事象は明確に存在する。逆に、それぞれの楽器にとって最適なキーから遠ざかると、奏者の抱く印象は大きく変わる。
・開放弦
特に弦楽器においては、開放弦はもっとも響くので大きな意味を持つ。(同時に開放弦が鳴りすぎることが邪魔になることもある。)バイオリン属の場合、開放弦は通常の奏法ではビブラートが使えないので嫌がることもある。
弦楽四重奏の場合、チェロとビオラの最低音C、バイオリンの最低音Gなど、開放弦を積極的に活用した曲は最も音が大きくできる。
・ロウワーインターバル付近のサウンド
低音域の響きはキーによって明確に変わる。
LIを明らかに突破していなくても、近接するとギリギリ感は増す。
低音域和音を多用する曲は、移調されると響きが著しく変わってくる。
■分析と記号論
・後天的な経験による「記号化」
後天的なイメージとの結びつきで言うなら、ドラクエをやったことがある人が特定のモンスターやイベントに対してニヤリとすることと同じです。少女漫画のお約束とか、「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」という死亡フラグも同じです。すべては記号化されています。
それらは単に流行でしかありません。そのムーブメントを知らない人にとって記号は意味を成しません。
なので、いわゆるファンタジーRPGのお約束を知らない人が『異世界ファンタジー』を初めて見るとこうなる。
だがしかし、母には一つ、疑問があった。
「皆当たり前に言ってるけど、ドワーフって何?エルフって?」
「説明なかったけど、ギルドって何?」
「なんで最初に出てくる魔物?がスライムかゴブリンって決まってるの?」
オタク界隈では昔から「記号化」という表現を使っているけれど、それはなにもオタク文化に限ったことではないです。
翻って、音楽、キーに対しても記号化が内在しているのだと私は思っています。
・「エヴァンゲリオン」=平成の「つげ義春」?
たとえば「エヴァンゲリオンってどういう作品?」という問いに対して「平成のつげ義春だよ」と答えた人がいます。エヴァンゲリオンとつげ義春の両方を知っている人なら、『その時代における、強烈に逸脱した表現を試みたことで無二の個性を評価された作品』という共通項を見いだせるのですが、エヴァンゲリオンしか知らない人に「昔で言うとつげ義春だよ」と言っても反感を買うだけでしょう。
・楽器に対する意味づけの記号論
チャイコフスキー分析で特に有名な「この作曲家、この作品で、この楽器が出てきたらこういう意味です!」という記号化。同様の分析はバレエ音楽で特に重要です。
でもこれは全ての音楽に普遍的に当てはめて良いものではない。
「この作曲家はこの楽器をこういう時に特別な意味を与えてる(という研究がある)」という解釈です。ようするに作家論、記号論の範疇であり、普遍性はありません。
また、この議論の発展型には「当時の楽器の性能的にそのフレーズを演奏させるのは妥当だったか?」というものもあります。
■バロックピッチ
時代によってチューニングは違います。
昔は半音くらい低かった時代があります。
2018年の第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールでは、全ての曲が当時の楽器で当時のチューニング音程で演奏されます。
「ガチ絶対音感」の人にとってはグロ動画です。注意。
現代のピアノの音色と440(442)チューニングに慣れている人が聞いたら目眩がするはずです。これは同時に絶対音感という能力の負の側面を浮き彫りにします。気にならない人はまったく気にならないのかもしれません。
キーが変わったことより、「微妙に低くて気持ち悪い」などの方が、印象・直感対して遥かに強い影響力を持ちます。
(耳が慣れてくると、演奏内容は極めて良いのでハマれる動画だと思います。)
以上のことから、「キーによる印象は伝統的にある」という権威主義を使った主張も間違いです。それとも返す刀でショパンとそれ以前の時代もまるごと否定しますか?
それは無理筋でしょう。権威主義で「キーに印象がある」と押し付ければ押し付けるほど、「その権威の源である大作曲家の時代はそういう音じゃない」という事実で反撃されるだけですから。安易な権威主義は恥ずかしいのでやめましょう。
・音律
音律に対して関心のある人ならまっさきに思ったかもしれない。
キーよりも音律の方が影響がデカいと思う
「その音律でその曲弾くのかよ!」って。
■上昇移調しても同じこと言えるの?
たとえばこういう決めつけ。
https://www.hakase-ac.jp/player/news/article/818
注意。これは葉加瀬太郎の言っていることではありません。門下生の書いた記事です。まぁこういうトピックは素人の食いつきが良いので、サイト集客、営業トークの一環としてはアリなのは分からないでもないですが。
でも、そういうことをやっていると偽物音楽家感が高まるので、私はやりたくないです。商売に徹することができる人はえらいなーとおもいます。はい。
で、上のリンク先から引用していくと、
ロ長調(H-dur、B Major、シ)
・イメージ:儀式的、重い
イ長調(A-dur、A Major、ラ)
・イメージ:明るい、響き、素朴
だそうです。
「移調の結果、
明るいイ長調が高くなり、
儀式的で重たい音になった」
と感じるのか?ってことです。
100億%ねーよ!キーが半音上がったら相対的に明るく感じるだけだろ!
少なくとも転調による音域の上下の方が具体的に「明るくなった」という有無を言わせない力があることは、言うまでもなく明らかです。
また、楽器特性の都合、歌手の音域特性に合わせてキーを変えたアレンジにして低くした結果「明るい、素朴な曲になった」って言うのか?ということです。
これに反論できる人がいて、キーが低くなったのに、脳内の「明るくなった」というイメージを司る箇所に電流が確認されたのであれば大発見だと思います。
なお、上のリンク先の記事中で
※多くの評論家や作曲家によって、調の性格について議論がありました。しかし「どう感じるか」だと思いますので人それぞれの感じ方が違います。あくまでも私の感覚になりますので、正解不正解ということではありません。
と逃げを打っていますが、だったらそんな押し付けするなよ。記事をリライトして妥当性のある内容に書き改めろと思います。紙本で出した出版物でもないんだから直せよと。その態度が音楽教育者のやることか?
それは「調の性格と色」ではなく、「曲単体に対する個人的な印象」でしかありません。なお、曲に対する後天的な印象ほど役に立たないものはありません。その曲を人前で演奏して大失敗したり、失恋した頃に練習していた曲なら、どんなキーのどんな曲だろうと悲しい思い出しか無いからです。
葉加瀬太郎門下なら門下生らしく「葉加瀬先生が無意味に装飾音を叩き込むと悪趣味な音がします!」くらいのユーモアで印象論をやってほしいと思う。
もちろんこの葉加瀬太郎氏の装飾音が多いことを悪趣味と感じるのも私個人の印象でしかありません。が、割と多くの場で同意を得ることができています。
■ヒーリング周波数
特定のチューニングを「ヒーリング効果がある」とする話も、根拠があまりにも希薄です。
この辺の論破について非常に秀逸な記事を書いている人がいるので、興味がある人はどーぞ。
そういうオーダー下で音楽制作に関わったこともありますが、仕事は議論の場ではありません。やれと言われたらやるだけです。業務の一環として本気の意見を求められたら何か言うかもしれませんが。(ただしこういうオカルト仕事では絶対に名前は伏せる。)
これは客から奇天烈な髪型を要求された美容師と同じです。「その髪型、おかしいですよ」と指摘する権利はありません。「いろんな人がいるんだなぁ」と思いつつ、技術を振るってお金をもらって終わりです。
この考え方を拡張すれば「今どきロックなんて流行らないですよ」「クラシックとかダサい」という価値観も等しいです。やりたいならやれ。他人を批判するなら自分で魅力を作れ。そんだけです。
なお、ヒーリング周波数の話が嘘である根拠を身を持って知りたい人は、シンセで528Hzとか174Hzとかの音を出して数分聞いてみれば分かりますよ。耳鳴りしてきますから。特定の周波数を浴びせ続けたらおかしくなりますって。
なお、ヒーリング周波数はいろいろあると主張されていますが、要するに普通の音楽で音階を鳴らしていれば普通に使います。
それを科学や数学の言葉で補強し、普通の人が聞き慣れないヘルツという単位と具体的な数字で言われると、なんか信じたくなるようです。つまりDHMOネタと似ています。
「DHMOは、水酸の一種であり、常温で液体の物質である」「DHMOは、溶媒や冷媒などによく用いられる」などのように、被験者にとって非日常的な科学技術用語を用いて水を解説し、さらに毒性や性質について否定的かつ感情的な言葉で説明を加える。その後、「この物質は法で規制すべきか」と50人に質問をすると、43人が賛成してしまい、6人が回答を留保したのを除き、DHMOが水であることを見抜いたのは1人だけだった。
(編者強調)
非日常的な科学技術用語を用いて
感情的な言葉で説明を加える
あれ?これってヒーリング周波数の解説と同じ文章構造ですね。
好きな曲聞いたり弾いたりしてゆったり過ごすのが一番のヒーリングではないでしょうか?
なお、サイケトランスやヘビメタを聞いて「癒やされる」と感じる人もいます。
でも料理やワインはその背景情報とともにありがたい気持ちで戴くと美味しいらしいですし、ラーメンもそうらしいです。
民間療法や健康グッズも同じ文法なので、ヒーリング周波数を本気で信じている人は、詐欺師に気をつけてほしいです。
■情報過多の時代
一生懸命に得た情報や、衝撃的な情報を鵜呑みにしてしまう人は多いです。多数派だと言われています。つまり、それは普通のことです。
でも、現代において過剰な情報は人を幸せにしません。
自分の力量や生活と無関係な情報を知っても、怒りや疑い、絶望しか起きません。
情報過多の時代で耳年増に陥ることの危険性については過去のストック記事があるので、またそのうち。
■実験方法の提唱(2020年7月8日記述)
研究論文の題材としてパクっても良いよ。他人のアイディアをパクって論文書きたいほど追い込まれているならね。
・条件
(高品質なピアノタッチMIDI鍵盤に限定する)
(サンプルはそれなりの人数を用意する)
(ピアノ専攻学生以上が望まれる。音楽高校、専門学校等でも構わない。要するに素人はサンプルとみなさない。)
・施行A
「4オクターブ上下スケール」
「ダイアトニック等主要な和音」
「I→V→Iケーデンス」を弾いてもらう。
(可能であれば、曲を使う。)
各24キーは完全にランダムに選び、5回以上、10回程度施行する。
それぞれのキーの楽譜は1枚とし、シャッフルして使用する。
これは楽譜の上端・下端による印象差を消すため。
例えばハ長調のケーデンスは10回演奏される。
「10回連続ではない。」
毎回シャッフルされた楽譜を使用するので、ハ長調ケーデンス1回を演奏し、次が、ニ短調ダイアトニックになることもある、ということ。
これは慣れを防ぐため。
同様の演奏でをし、抽出されたMIDIノートのベロシティを並べる。
上下両端はノイズとみなす。
それぞれの和音によって、どのようなベロシティ差が生じるかを計測する。
・施行B
ハ長調で収集されたMIDIデータをトランスポーズ(移調)し、半音高くする。つまり変ニ長調になる。この演奏音を聞いても「ニ長調に感じる印象」を同様に感じるものだろうか?
同様のトランスポーズをランダムに行い、聴者に印象を記述させる。
・施行C
チューニングを変える。
絶対音感を崩壊させることが目的なので、1/4音の変更が望ましいはず。
・仮説と予想
ピアノはキーによって運指が異なるので、ハ長調と変ニ長調では主和音・属和音で和音構成音の演奏音量に違いが生じるはず。
キーによる印象差はこの「和音構成音の演奏音量に違い」と「運指による印象」から来るものではないか?
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■外部リンク
牛心さんの考察。(序論のあと、途中から有料記事)