弦レコーディング配信を見ていて気になったのでブログ記事として残しておきます。弦セクションの生演奏の運指話。
(2022年3月21日更新)
■演奏不能ではないけれど……
苦戦してたのはM01のアウトロの音形。
テンポはかなり速め。楽器はバイオリン等弦楽器。
これの運指を考えてみてください。
使う音列はミレドシの「音階」なので、4本の指でナチュラルに演奏可能です。
が、テンポが速いと不器用な小指と薬指の運動が不自然になってしまいます。これでは「難しい運指の曲」になってしまうので、スリリングなサウンドを得られません。
で、私の提案はこれ。
2人の奏者で「ミレ・ド」と「ミ・シド」を分業させます。
こうすると運指が圧倒的に楽になり、曲が求めている「スリリングなサウンド」を得ることが容易です。
レコーディング実務としては一発でOKテイクを取れるメリットもあります。ライブでも確実にアツい演奏の姿が見せることができます。非常に些細なことですが、ライブでは弓の動きが見えるので、いい具合にバラついて見えることになり、そこまでの整然としたボウイングとは異質に見えて視覚的にも切迫感が出るはずです。
・誤解を避けるために追記
なんでも「飛び石」に配置すれば良いというものではありません!
今回のリフ的な音形でのみ使える書き方です!
原則的にすべての音符はすべての奏者が演奏するように「普通に」書かなければおかしなことになります。
まずは標準的な知識を仕入れて、その上での応用でこういう技術があるよ、ということです。くれぐれも誤解しないようにお願いします!
■難易度を下げる
こういう「分業」を知ったのはパーツラフ・ネリベルの『交響的断章』でした。
トランペット(コルネット)の楽譜に、延々と続く同音連打があります。
ネリベルはこれを2人の奏者に分担させることで解決しています。
長いシーンを息切れを恐れて細々と演奏するのではなく、あくまでも激しいfの音を出すことが可能です。
もちろんこの方法はネリベルが初めてやったわけではありませんし、多くの曲をつぶさに研究していると稀に発見できる作編曲技術です。
・プレイヤーからは引き出せない
こういう「難易度を下げる」作編曲に対して『ナメんじゃないよ!』と反骨精神を燃やす奏者がいるのは事実です。
冒頭のような音形を「これ演奏できる?」と質問しても、プレイヤーは『できる!』としか言いません。できないと言えば演奏能力を疑われ、職を失うことに結びつくからです。
確かに1人ならできるでしょう。分かります。しかし複数人の演奏をピタリと合わせるのは困難です。協奏曲では荒々しく崩した演奏でもOKですが、セクションに求められるのは多人数が同じ演奏をすることです。
上で紹介した分業演奏という選択肢を知っていれば、奏者に対して「分割した方がより良くなる可能性のある箇所はありますか?」という事前質問をすることも可能、と思うのは作編曲をする人の幻想です。(極めて稀ですが、そのような提案を積極的に行うプレイヤーも居ます。しかしそれは演奏能力やキャリアとは全く無関係な能力ですから、「ベテランならそのくらいその場で編曲してよ」と考えてはいけません!)
しかし、編曲を前提とした演奏活動をしているプレイヤーは極めて稀です。プレイヤーのプロという人種は、与えられた譜面に変更を加えることを避け、忠実な演奏を目指して訓練を積み重ねています。
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結局レコーディング配信ではこの部分に多くの時間を費やした挙げ句、あまり良いテイクが取れていなかったように見受けられました。実際、妥協案として「一箇所良くとれていれば編集で増やせるから」という声も聞こえてきました。音響編集としてはアリですが、編曲技術としてはNGです。そもそも編曲がしっかりしていれば音響編集は必要ありません。しかし、音響編集を前提としているなら、はじめからそのようにレコーディングすれば良いだけのことです。
また、派生する問題として「あのアレンジャーの弦は楽器を理解していない」という低評価がついてしまう恐れがあります。
よりよいアレンジ楽譜を最初から書けていれば、レコーディング中に練習させる必要が無くなり、レコーディング時間をより良く使うことができる自由度も生まれます。
今回言及した弦レコーディングとは異なる別のレコーディングセッションを見た時には、似たようなリテイクと練習を金管楽器にやらせていました。金管楽器は根本的に体力を必要とするため、余計な音出しをさせる練習はクオリティを低下させる原因となります。
■で、どこで配信してたの?
時折レコーディング風景を配信してくれています。
興味のある方はぜひチェックを!
どういう理由で演奏を止めたのか?
どこが改善されたのか?
なぜ問題無いのに何度も同じ箇所を録音したのか?
などなど、しっかり考えながら視聴すると勉強になるはずです。
「プロ」のレコーディング風景だからと言っても、それが「完璧」だとは限りません。プロ活動はゴールではなくスタートです。プロの上には一流のプロがいます。プロだからこそその壁の高さを痛感し続けているものです。
彼らもまたそれぞれのスキル領域で上達を目指している未熟な音楽家であることを忘れず、冷静に眺めましょう。
「さすがプロ」と絶賛していても何も学べません。
それはファン好意であって、学習ではありません。
■バイオリン属の基本的な運指
どこの音にも自由に移動できるわけではありません。指板と指の形状を少しだけ考えてみてください。
下のリンク先では有名な『パッヘルベルのカノン』の運指が丁寧に説明されています。
https://www.violinonline.com/colorall_canon-melody.html
上を踏まえて、楽器の基本的な奏法を知った上でフレーズを書くべきです。
もちろん高難易度の曲は困難な運指になりますが、難易度を下げることで良い録音を得られる可能性が高まります。録音時間も短縮されます。ライブパフォーマンスは飛躍的に上がります。
私達程度のヘッポコ作曲家の曲のために、必死に練習する人はいません。私達はベートーベンのような偉人ではないので、その日に楽譜を見て演奏して録音して、それで終わりです。あなたの曲程度を暗記するまで練習したり、あなたの曲の演奏が得意な奏者のレッスンを受けに行ったりはしません。
楽器個別の知識としてだけでも知っているのと知っていないのとで、書ける内容は大きく異なります。
「あらゆる楽器の『らしさ』とは、その楽器の弱点・制約から来るものである」という考え方を否定するべきではありません。
・原則
4本の弦はすべて5度調律です。(GDAE)
他の楽器と同じように、音階は隣の指への移動です。
フレーズの一番低い音は人差し指(1)か開放弦です。
一番高い音は小指(4)です。
奏者は基本的に1つのポジション(肘の角度)を保って演奏したがります。
ポジションの移動するフレーズは難易度が上がります。
以上の原則から
バイオリンだと「Gabc Defg Abcd Efga」という運指が最も基本です。
ポジションが上がった場合はギターと同様に考えます。
ギターで5フレット上げた状態=バイオリンでは腕全体の位置を上げて一番低い弦の人差し指がD。他の弦の並びは「DAEB」となり、基本運指は「Defg Abcd Efga Bcde」となります。
・例外
開放弦はギターと同じく音が極端に響きやすいです。また、開放弦では通常の奏法ではビブラートができない(=音程調整ができない)ので、忌避されることがあります。
特にメロディの長い音を開放弦にすることは稀です。
逆に言えばギターのローコード(低音コード)のようにパワフルな伴奏をしたい時には開放弦が積極的に使われます。
・移弦
指が交差する運動は無理です。
指の交差を避けるために、フレーズの途中で箇所でポジションを変更することがあります。可能な限り同一ポジションを保ち、スマートに処理されます。もしポジション移動を前提とした幅広い音域のフレーズを書きたい場合には、途中で少し長い音を入れたりすると演奏しやすくなります。
「いつでも全ての指で自由自在に演奏できるものではない」という点はギターもピアノも同じです。楽器ごとに基本的な演奏スタイルがあり、奏者はその訓練をしています。
・重音
弦セクションが多人数の場合はdivisiにして処理した方が良いケースがほとんどです。
重音は6度と3度の重音は最も容易です。なぜ容易なのかは、楽器の構造と、彼らが訓練し続けている基本奏法が根拠です。
5度、4度、8度も可能ですが、自由度が低いです。
開放弦を使った重音は容易で、サウンドも大きくできます。
4度はギターのバレーコード的になり、これはフレットレス楽器ではかなり困難です。ポピュラーバイオリンでは多用されますが、不慣れな人には奇異に見えることもあります。
複雑な重音を前提とする編曲では、重音の前後に数秒の準備時間を与えれば、かなりの無茶も通ります。
2本の弦の重音は同時に発音できますが、3本4本の重音は弓が同時に触れられないので、高速アルペジオのようになります。
・ポルタメント
原則的にNGだと思うべきです。
既存の録音物でポルタメントに聞こえるのは、ポジション移動によってやむなく生じたものである可能性が高いです。(ギターのフレットノイズのようなものだと思うべき、ということ。)
フレーズ最高音が1つだけ突出する場合、高い音担当の小指が更に上にポルタメントして対処することがあります。が、これもポルタメントを指定したものではありません。エレキギターで最高音に行く際にチョーキングするようなものだと思っておいてください。なお、バイオリン属ではチョーキングはできません。楽器の破損に繋がります。
奏者に受け入れられるポルタメントは「ゆっくりしたフレーズ」と「単発音」だけだと思っておくべきです。
・音域
DTMの人は音域をないがしろにしすぎです。
ほぼ全ての音域資料は「がんばれば出せる音」についてのデータでしかありません。その楽器が豊かに響く音域でおいしいフレーズを書きましょう。人間が歌うボーカルと同じです。
音域について不安な時は「このくらい出るだろう」ではなく「良く分からないから狭く書こう」と判断するべきです。この考え方を1つキープしておくだけでほとんどの楽器を正しく運用できるようになります。
バイオリン属に限って言えば、
「開放弦はバカでかい」
「高い運指は音量が出ない」
「極端に高い音域は一流奏者でも音程がめちゃくちゃになる」とだけ覚えておけば大丈夫です。
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往々にしてDTMの人は高い音を使いすぎです。たしかにオケシンセではその音域まで音を出すことはできますが、おかしな打ち込み、おかしなミックス技術を使わなければいけなくなっているのは、そもそも書いている音域が楽器にマッチしていないからだと思うべきです。ピアノの高い音ってピアノらしい音がしないでしょ?
■奏者は逆の観点で訓練する
と、ここまでは作編曲サイドの心構え。
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以下、演奏サイドの心構え。
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私は昔プレイヤーとしてもお金をもらっていたことがあります。とはいえ大した期間でもないし、演奏専業だったわけではない「その程度」の人の戯言だと思ってくれれば良いです。
幼い奏者は「その楽器らしい曲」から練習を開始して自然な奏法を身につけます。
徐々に「その楽器らしくないフレーズ」に取り組むことで技術の底上げをしていきます。同時に特殊な奏法も身につけていきます。
上に書いたような「この曲はバイオリンを分かってない」という言葉だけを使っていると、バイオリンらしく書かれた曲しか演奏できない人となってしまい『使えない奏者』になってしまいます。
もちろんバイオリンのためにしっかり考え抜いて作られた曲だけを演奏して生きていくのであればそれで問題ありませんが、残念ながら人類史レベルのクラシック曲でも、よくよく見てみると「その楽器らしさ」を無視した内容であることが少なくありません。というか、むしろ過半数ではないか?と私は思います。
人類史レベルの突き抜けた名曲というのは、「その楽器らしさ」を逸脱してでも得たかったサウンドがあって、総合的に評価され続けたから人類の遺産となっていることを忘れてはいけません。これはバイオリンに限ったことではなく、あらゆる楽器にとって名曲とは「その楽器らしくない」要素が多く含まれています。
いわゆる「オケスタ」「入団試験」に頻出する曲を眺めていると、「その楽器らしくない箇所」のピックアップのように思えないでもないです。
そうした曲の難所を演奏するためにレッスンを受け、手癖になるまで練習を繰り返すのが奏者の生きる道ではないでしょうか?
そういう技術を身につけた上で「らしい曲」をやると、初心者のそれとは次元の違う表現が可能になるのですから。