雑記、近況です。私は『弊害』という言葉の意味を今までずっと間違えていました。ブログの全記事を修正しました。この記事は自己研究的、個人的意味付けを伴いますのでご注意ください。
■正しい意味
辞書でちゃんと調べてみてください。
ただし、それは文字数の限られた辞書的な説明でしかありません。
下はGoogleで『弊害』を検索した結果表示です。
■私の誤用
どのように間違えていたのかというと、『弊害』を「良い点もあるし、悪い点もある」という意味で使っていました。要するに『功罪』に近いニュアンスで使っていたということです。
「善悪の善の部分」という具合に、「弊害の弊の部分」という誤用をしたこともあった。文字の意味からして、「弊」にも「害」にも、「善」のニュアンスは一切無い。
が、これは幼い頃に見た何かで実際にそのような使い方をされているのを見て覚えたからなのは間違いありません。
間違いなくどこかで「弊害の弊の部分は大事だけれど、害の方が大きい」という一節を見聞きし、そのまま使っていました。
正しくは「功罪の功の部分は大事だけれど、害の方が大きい」ですね。
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■『弊害』は前提上限を必要とするのではないか?
以下、個人的な見解でしかないかもしれません。
気になったのでしばらく検索していました。
「弊害」の意味と使い方を教えてください - 「弊害」とは、あること(又... - Yahoo!知恵袋
「弊害」とは、あること(又はある行動)を行うことによって、良い面もあるが、同時に悪い面もある。その悪い面を「弊害」と言うのです
ある事象が100%害悪である場合ではなく、良い面と悪い面がある時に、その事象のもつ何割かの「悪い面」を『弊害』と呼ぶ。これが私の考えていた『弊害』のニュアンスそのものだ。違和感なくピシャリと来る。
ただ、辞書的にはそのような条件が示されておらず、単に「害となること」とされている。
その他、用例・実例を多く解説しているビジネス系サイトでは、
いずれの用例でも
- 事象AによってメリットBが得られるが
- デメリットCも生じる。
- このCを『弊害』と呼ぶ」
というニュアンスになっている。
つまり、100%の害悪を『弊害』とは呼ばない。はずだ。メリットとデメリットが並んだ時にデメリットを指すのが『弊害』のはずだ。
最も、100%の害悪というの定義は哲学的、倫理的な問題を含むので難しい。
侵略戦争はもちろん、無差別殺人でさえ、わずかなメリットが生じている可能性を捨てきれない。
ある観点からは100%の害悪だったとしても、加害者にとってはメリットが生じているからだ。「万事塞翁が馬」という言葉さえある。
100%の害悪とは存在するのだろうか?
■舟を編む
『舟を編む』は辞書を作る人たちの物語です。小説。後にアニメ、映画化されています。
・辞書比較
私は大学で国文学・国語学を学びました。中高の頃から国語の成績は教師からも絶賛されており、全国模試でも相当な上位でした。小学生の頃から新聞や書籍<教科書の誤植を見つけることが多く、変人でした。
大学の教授は『舟を編む』のように辞書編集の経歴もある人で、その指導の下、複数の辞書を比較する研究も体験しました。
今日では多くの辞書がネットで読めるので、気軽に辞書比較ができます。
が、いずれの辞書でも『弊害』という言葉が単に『害悪』であるとしか説明されておらず、弊害という言葉が使える前提条件については触れられていません。
今後機会があったらこの『弊害』という言葉について識者と討論できればと思います。