eki_docomokiraiの音楽制作ブログ

作編曲家のえきです。DTM/音楽制作で役立つTIPSを書いています。

ミックスの歴史、音圧戦争の歴史

先日のレッスン(正しくは無料相談の範疇)で言った内容の正誤性に不安があったので、御大に連絡をして再確認。

教えた内容は半分は正解でしたが、補足事項があったので訂正しました。

今後はより良い内容のレッスンをできるように日々精進です。おさらい大事。

(2022年4月3日更新)

 

■近年の一般向け紹介記事

gigazine.net

非常にコンパクトにまとまっている一般層向けの記事です。

一般層向けの記事ですので、私達専門家はそれ以上のことを知っていなければ沽券に関わるでしょう。

(上リンク先文中にある誤表現について指摘を連絡し、修正をしていただきました。ご対応ありがとうございます。)(2020年3月11日更新)

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以下、私が調べ、知っている限りのことを書いておきます。

念の為書いておきますが、上の記事など参照していません。もっと前に書いた記事です。

■ミックスの歴史、音圧戦争の歴史

今回訂正した内容は概ねen:Wikipediaの内容です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Loudness_war

Loudness war - Wikipedia

ラウドネスウォー、音圧戦争、音圧競争の話。

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私が教えた内容では、1960年代のモータウンの売り込みの一環として行われたいわゆる「音圧上げ」がミックス・マスタリングの転換点であるという話をしました。

その時に完成したレコードの音を聞いたアーティストたちが「俺たちの音はこんなのじゃねえよ!」と言ってレーベルと衝突を起こしていた歴史が1960年代から存在する、という内容です。(←この辺についてはWikipediaには書かれていないですが、古い洋楽系の書籍で何度か目にしたことがあります。明確なソースとして所持していませんが、知っている人なら普通に知っている洋楽の歴史です。)

■ミックスの歴史は基本的に音をクソ化する歴史

当時の劣悪なラジオのスピーカーや車で聞いても音がはっきり聞こえるようにプロデューサー・レーベル側が勝手に音を極端に加工する音圧上げが行われた、という話です。音圧戦争の始まりはこのようにして開戦されました。

結果として聞こえやすい曲のレコードは売れたのでアーティストも喜んだが、やっぱりちゃんとした自分たちの音を聞いて欲しいから「ライブに来てね!ライブの迫力は違うぜ!」という感じ。

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ここに関連する脱線話として有名なのは、ある有名バンドのわがままなメンバーとエンジニア衝突し「俺のミックスが気に入らないなら、お前らの担当楽器のフェーダーに触らせてやるから自分でバランス取れよ!」と丸投げした際、ボーカルもギターもベースもドラムも全員が自分のフェーダーを最大まで上げ続けたというロックなアホ話です。結果としてその爆音アルバムは驚異的なヒットとなった、というオチ。ミックスって何?

そのバンド名は忘れました。メガデスだかディープパープルだったか、そういう当時としてはド派手な音を出していた超大御所だったはずです。割りと有名なこのバカなエピソードについて正確な情報があったらコメント欄に書き込みをお願いいたします。

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そうしたことから、ミキシングは音を良くする加工ではなく、基本的には妥協を重ねる加工の歴史だという認識をするべきだ、というお話もしました。音圧競争が加熱した果てにある今の時代でもそれは変わりません。

音圧戦争は「ミックス」というテクノロジーの誕生と発展とともに語られることが多いことから、発端は1960年代だと定義する人が多いです。

が、後述しますとおり、それよりはるか以前、生演奏だけの時代から「大音量最高!」という方針が存在するよ、というのが歴史的な事実です。クラシックの歴史にそこそこ詳しい人なら、ベートーベンなどの偉人レベルの人たちも「大音量最高!もっとデカく!」という方針で作曲をしていたことを知っているはずです。そういうド派手な音を嫌う人もいましたが、圧倒的多数から大きな評価を得ることで時代を切り開きました。

こういう歴史的事実があるので、音圧の是非を問うにあたり、まず認識しなければいけないのは『人は音が大きいと「いいね!」と感じるようにできている』ということです。

・繊細さはどうでも良いと思われているのか?

少なくとも、繊細さに対する美学を持たない非音楽専門家は大音量を好みます。

美食家に激辛マニアや大盛りを好む人が一切存在しないのと似ています。

味付けが濃くて大盛りなら「美味しかった!」と言う人は確かに存在しますし、そういうタイプの人間は声が大きく、快活で、周囲へ影響力が大きいので「世間の声の代表」であるかのように錯覚してしまいそうになります。

少食の子供や老人と男女の総計の方が圧倒的多数なのですが、大きな影響を与えるのは大食いで声が大きい豪快な男です。

・音圧戦争が最も熾烈だったのはどの時代か?

2000年過ぎからデジタルの0dBFSに迫るチキンレース化した様子を「競争が熾烈だ」と表現する人と、昔のレコード(vinyl)時代の方が熾烈だったと表現する人がいます。

今どきのDTMの人たちは2000年ころからの音圧戦争については認識していても、それ以前の音圧戦争については無視しているケースが多いように思います。が、それは完全な誤認識です。

 

下画像の左下を参照。

1960年代の方が、急激な右上がり傾向をしていると読み取れます。

https://www.researchgate.net/profile/Martin_Haro/publication/225045716/figure/fig3/AS:330812533821440@1455883262019/Loudness-distributions-a-Examples-of-the-density-values-and-fits-of-the-loudness.png

https://www.researchgate.net/profile/Martin_Haro/publication/225045716/figure/fig3/AS:330812533821440@1455883262019/Loudness-distributions-a-Examples-of-the-density-values-and-fits-of-the-loudness.png

https://www.researchgate.net/figure/Loudness-distributions-a-Examples-of-the-density-values-and-fits-of-the-loudness_fig3_225045716

1960年代が総じて「右上がりの方向性が一致している」という読み方をすれば、2000年代の音圧戦争のほうがカーブが散らばっていて多様性があるとも読み取れます。(昔のほうが「流行・潮流」が単一方向だったのは言うまでもありません。「そんなジャンルはもう古いぜ」という考え方は昔のほうが支配的です。2000年以降は大衆の趣味が多様化していますし、ジャンルは細分化しています。)

 

60~70年代の上昇率の傾斜に比べると、70~90年代が明らかに平坦であることも見て取れます。技術と流通が飛躍的に加速し、模倣も加速したからだ、と私は考えています。(これと同様の歴史認識はファッション業界にもある。)

この点を指して「レコード時代の方が音圧戦争は熾烈だったと言えるのでは?」と解釈する人がいてもおかしくはありません。

以上のことから『レコード時代の第一次音圧戦争』『デジタル時代の第二次音圧戦争』と見て取れます。

リアル戦争に置き換えれば「軍事力の拡大とは何か?」と考えた際に、現代の核兵器よりも昔の機関銃と鉄条網の登場の方が実際に多くの人を殺傷したのでマシンガンと有刺鉄線の方が殺人ツールとして優れていた、と解釈できるわけです。

そりゃー実際に大都市に直撃させれば現代の核兵器のほうが間違いなくショッキングですが、死ぬのはせいぜい数万人です。しかし実際には国境付近での戦闘の方が多くの死者が出ている、ということです。

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もっと言うなら、現代においては軍事兵器よりも砂糖や癌の方が人を多く殺しているとか、軍事衝突より訓練の方が人が多く死んでる、という話にまで脱線しそうになる。

(もっと脱線したい人は『ホモデウス』など人類史関連を読むと楽しいはず。→ ホモデウス図解、要約してみた|nogacchi|note

 

脱線やめ。

話を音楽に戻す。

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クラシック音楽史における音圧戦争?

更にはクラシック音楽史を紐解けば分かる通り、より派手に聞こえるようにチューニング上昇戦争も実在しています。人は大きな音と高い音に魅力を感じるようにできているようです。

オーケストラ - Wikipedia の「編成」では、その主な編成人数が

  • 40人 - バロック時代(1600年頃~1750年頃)
  • 60人 - 古典(1750年頃~1800年頃)
  • 80人 - ロマン(1800年頃~1900年頃)
  • 90人 - ロマン後期~近代(1900年初期頃~)
  • 100人 - 近代~20世紀中期(1900年中期頃~)

という具合に解説されています。もちろん例外的な編成はあります。

ミックス話的に言えば、クラシック・オーケストラ音楽の「和声」がEQに依らない分離テクニックであるように、人数はそのまま音圧に直結します。オーケストラの人数が増加傾向なのは人力音圧競争だと言えなくもないでしょう。

ベートーベンはオーケストラを超巨大編成にすることを望みました。

オーケストラの楽器も金属加工技術の発展によって「メタル楽器」化しました。バイオリンの弦はガットから鋼鉄になり、フルートは鉄パイプになり、金管楽器は薄く響きやすい鉄板になり、さらにはバルブ機構の獲得で爆音メロディを奏でることが可能になりました。

 

つまり音圧戦争はバロックの時代からあったんだよ!!なんだってー!!!

 

せっかくなのでおまけ。 クラシックの近現代以降、レコードとジャズの時代の音量はこうなってる。

https://i.redd.it/ya5phdn91ap01.png

https://i.redd.it/ya5phdn91ap01.png

上図では1920年代からをサンプリングしています。レコード時代初期でも上昇傾向が継続していたのは明らかです。

音圧戦争という呼び方をしなくても、時代とともに音量が上昇している様子が見て取れます。それが「デジタルの限界」が数値として明確になったことによって、0dBというゴール間近でチキンレースが顕在化したのでは?と考えることはできないでしょうか?

・ラウドカット盤

なお、レコード時代におけるゴール直前のチキンレースは「針飛び」です。

「針飛び」を引き起こすのは主に超低音なので、それ避けるために低域EQが使われるようになりました。これによって中高域の音は極めて大きく鳴らすことが可能になりました。

レコード板そのものの中で押し下げられた低音を再び増幅するために再生アンプの研究が進んでいきます。

 

blogs.yahoo.co.jp

blogs.yahoo.co.jp

 

せっかくなので、チャイコフスキーの大序曲『1812年』レコードの爆音音飛び話を書いた記事もリンクしておきます。

jdanalog.blog111.fc2.com

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閑話休題DTM的な話に戻す。

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■お前らミックスミックス言ってるけどさぁ

近年の国内DTM界隈ではミックスミックスとあちこちで叫ばれていますが、私のレッスンでは「基本的にミックスという行為に過剰な期待をしないほうが良いよ」「ミックス関連用語を覚えた数と同じくらい、作編曲の用語について学ぶべきだよ」というアドバイスをしています。

その時にお話をしていた方が「最近モータウンミックスというものに興味があって」と言っていたので「それ、基本的にカーステレオに特化させるクソ音MIXって意味ですよ」と諭したわけです。

■ミックス用語だけじゃなくてさぁ

その人がどこでどういう経緯でどんな人からモータウンミックスという言葉を仕入れたのかについては一切聞きませんでしたが、およそ察しはつきます。ミックス関連の用語を仕入れていてなんとなくスゴい手法だと思った程度なのは聞くまでもなく明らかです。頑張って仕入れた情報はすごいものだと信じるのが人間です。

しかし、好意的に言ってもモータウンサウンドというのは昔ならではのアナログ味という程度の意味です。結局CD以降の時代で再販されているものはリマスターされた音ですし。

どうせプラグイン屋がアナログシミュレータを売るための広告用語として使っていたのを見聞きしたのでしょう。

アナログの音を出したいならプラグインなんか買わずにアナログ機器を使うべきです。それこそどんな適当な機器でも良いので一度アナログ機器を経由させてライン録音しなおすだけでも、プラグインなんかよりよほどアナログ味になりますから。クソ高いアナログ機材じゃなくてもアナログの効果を確かめることは今すぐできることですよ?

 

1920年代のジュークボックス

しかし、音圧戦争の勃発は1960年代のモータウンではなく、1920年代のジュークボックスで再生される劣悪な騒音環境に適合させるために音圧上げが始まった、というのが正しい。

もう一度資料を貼ります。

https://i.redd.it/ya5phdn91ap01.png

https://i.redd.it/ya5phdn91ap01.png

モータウンサウンドがラジオや車でもはっきり聞こえる音を目指していたものであったように、ジュークボックスが再生される酒場の喧騒の中でも聞こえやすい音を追求した人たちがいたというのがミックスを工夫する歴史の始まりだと言うことができるわけです。

 

うろ覚えの内容だったことと誤りを認め、事後訂正するのは教育を行う者の責務だと思っています。今後もちゃんと勉強し、本当に身につけるべき情報とノイズをきっちり分離するレッスンを行うように努力いたしますm(_ _)m

 

■もしキャリアアップしたとしたら?

ミックス・マスタリングは作編曲をしている人が担当するものではなく、専業エンジニアさんが担当することになるのは当然です。

エンジニアになりたいのであれば話は別ですが、ミックスを上達させることばかり考えるより、作曲と編曲など、根幹に関わる部分を磨くべきですよ、という話もしました。

 

事実、私の知人の作家さんはピアノと歌、作詞作曲だけを仕事にしています。アレンジやDTMの勉強もしているようですが、根本的にセンスが無いようでまるで上達しません。それでも驚くほどのキャリアを持ち、私なんかは比較にならないレベルの音楽仕事をしています。

私はそういう人の作品がコンペで通るようにするためにアレンジの依頼を受けています。でも、その人の場合は適当な環境で録音した歌とピアノだけでものすごい数のコンペで勝っています。どうしてもオケが必要なタイプの曲でコンペに出す時にアレンジを担当している、という感じです。それと自主制作のアルバムを作る時のオケ制作やミックス・マスタリングも担当しています。

・マスタリング担当者の責任と「ババ抜き」

メロディを考え曲の根幹を作るのが最も初期に作業をする作曲家です。

アレンジされ、演奏・録音され、ミックスされていきます。

この順序を「上流工程」から「下流工程」へのバトンタッチと言います。

「上流・下流」という字面から「身分の上下」「上流社会」だと誤解し、脊髄反射的に嫌がる人がたまにいますが、それはあまりにも無学すぎます。単に川が山奥の湧き水を源流とし、重力に従って海まで下っていくという意味での「上流・下流」という意味です。

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で、音楽制作で最も下流工程に位置するのがマスタリングエンジニアです。

必然的に音の最終出力に対する責任はマスタリングエンジニアが受け持つので、音が割れてるCDについての責任は彼らに責任があります。ラウドネスの都合やトゥルーピーク(TP)割れなどの問題は全て彼らの責任です。

 

もちろん音楽が再生されるまでには更に下流工程として流通や販売、再生機器というものが存在しますが、店頭販売員がCDメディアの内容を加工することは無いのでマスタリングの責任は重大です。

トランプの「ババ抜き」と同様、最後にタッチした人の責任なのです。

マスタリングエンジニアが音圧戦争問題を語る際に、専門的な知識を駆使して「作家・アーティストの責任」であるかのように語っていることがありますが、それは責任転嫁でしょう。メジャー流通する音源のほぼ全てが彼らマスタリングエンジニアの手を経ているのは言うまでもありません。そうしたメディアはリファレンス音源(参考音源)として再利用され続けます。ヒットチャートに登ればなおさらです。

 

これは書籍の出版で考えれば分かりやすいことです。手書きの原稿がどんなに汚い文字であろうと、それは写植で加工されます。それを印刷して流通します。印刷物のミスは出版社のミスであり、作家のミスではないからです。「音圧戦争は雑なラフミックスを作ってくる作家が悪い」と言っているエンジニアがいましたが、完全にアタマがおかしいです。作家はミックスマスタリングをするのが仕事ではなく、せいぜいラフなマスター音量を作るまでが仕事です。そのラフの音質に合わせて仕上げるのであれば、エンジニアの存在意義など皆無だからです。作家は小説の内容にのみこだわります。汚い文字でなぐり書きし、コーヒーで汚れた原稿だとしても、それを綺麗な形にするのがパブリッシャーの役目です。「綺麗な字で書け」などという出版社は存在しません。ラフミックスで方向性を示されていないことを理由にミックスマスタリングができないと言うのは本当にやめていただきたい。ましてやアレンジャーなんて方向性もクソも無い状況どころか、サビの一部しか無い状態から全部の音符を並べるのが仕事なんだぞと言いたい。もし上のようなことを言う自称ミックスエンジニアが居たら、即座に逃げた方が良いです。

 

ラウドネス専用リファレンスを企画販売してみてはどうか?

EBU等の音圧規格画に適合する数値でマスタリングされたCDを企画制作し、作家向けに「これリファレンスにすればバッチリだよ!」という触れ込みで売り込めばめちゃくちゃ売れる気がする。

音圧戦争を終わりにする記念碑的アルバムとして『ナイトフライ』のようにエンジニアに愛される名盤として語り継がれるに違いない!! 

 別に曲の内容の好き嫌いではなく、「ミックス・マスタリングを志すなら必ずCDとして持っておけ」というツールとして愛用されるし、そういう「プロっぽさ」で着飾りたいリスナーにとっても必携盤となるんじゃないかな?

もちろんそれに関わった人は良い感じに売名できる。

どうよ?このソリューション。

 

なんなら音圧に迎合したミックスを正規にリリースするのと平行して、「エンジニアが本当に出したい音で仕上げたミックス」をリファレンス版として販売すれば良い。今ならサブスクで売れるでしょ?それなら「エンジニアの作品」としての価値も主張しやすい。

そういう工夫をせずに文句ばかり言うのは、ちゃんとした大人がやることじゃないと思う。言うならば「世間が悪い」と文句を言っているだけのダメな大人と同レベルになってしまう。

 

■現在の音圧事情

下記事では多くの分析ソースによる理性的な分析がなされています。

興味のある人はどーぞ。

www.soundonsound.com

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モータウンの話

モータウンサウンドというのは良くも悪くも「伝説の時代」です。それは人気者の伝説を作るためのセールスシステムだったと言えます。

今日のように量産される時代ではなかったので、(比較的)少量の音楽がヘビーローテーションされた時代です。だから極端な流行が作り出されて、それが極端な伝説となっています。

名人級のプロデュース、名人級のプレイヤーによる「プロの時代」だったとも言えます。プレイングの単純なテクニックに関して言えば、当時の演奏能力程度より今日のセミプロの方が上です。技術が継承されていくのですから、新しい時代の若いプレイヤーに追い抜かれていくのは当然です。

作編曲の領域で言えばアレンジは今日の音楽ほど複雑ではなく、必要以上に複雑化して先鋭化していったジャズとは逆に「シンプルなポピュラー音楽」を目指していたと言えます。

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でも、テクニック偏重ではなく、センス良く構成された無駄のないオーケストレーションは明確なサウンドを構築します。少なくとも今日のいわゆる「JPOP」はシンプルさを失い、バランスを失っていると言わざるを得ません。「ヘビーギターとストリングスを鳴らさないと死ぬのか?」と批判される今日のJPOPはモータウンのシンプルな構築力をこそ見直すべきだと私は思います。アレンジ力とは詰め込む能力ではありません。

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そうして構築されたシンプルなスコアをシンプルに演奏し、シンプルな機材で捉えれば、そのまま優れたサウンドとなります。

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しかしレコーディング環境は優れたいたとは言えない時代です。

必要以上にモータウンを持ち上げず、冷静に観察してみれば「大したことのない時代」です。

www.youtube.com

決して優れているとは言えない狭いスタジオに楽器が密集して同時に録音されています。それ自体はクリアーな音では録音できませんでした。

上の動画はやや妄信的で、「音楽に生命を宿した」と言っていますが、狭苦しいスタジオで被りまくっている音が良い音なわけが無いのは自明です。聞いての通りパンは中間のない100%LRと、両方のスピーカーを同じに鳴らす「ファントムセンター」のみで構成されています。

で、この記事で紹介してきた通りの「大音量マスタリング」で「ラジオ向け」のサウンドにされていきます。

 

上の動画では最終的にモダンなアプローチと古いモータウンの折衷となっています。

ドラムが左になるLCRミックスなのは懐古主義が過ぎるので個人的に我慢なりませんが、距離感の表現などはモダンな手法がうまく実装されていると感じます。もしLCRミックスで仕立てるとしてもドラムはセンターにするのが適切じゃないかなぁと。

あくまでも私個人の感想です。上の動画の仕上がりを聞いてあなたはどう感じましたか?

■以下、やや脱線話。

・クラシックにおける音量問題

関連する話なので、クラシックにおける音量問題を列記しておきます。

私がクラシックの人と接することも多いのでこの機会に文章にしておきたい、という願望もあるからです。

 

よく吹奏楽などでポップスを演奏する際に「小さい音は大きく、大きい音は小さく演奏するのがポップスだ。CDの音はそうなっている」と指導されることがあります。

しかしそういうサウンドはコンプレッサー(エフェクター)を使うことによる音量の圧縮の結果であり、本来は小さい音は小さく演奏したものを録音しています。

例えばボーカルのささやき声は大きく聞こえるように加工されているということです。爆音のエレキギターと生のフルートの音はアンサンブルできません。フルートの音はマイクで収録され、大きな音にされるということです。こうした加工を「ミックス」と呼びます。

バンドやコンピューター音楽などをやっている人にとってはこのミックスの技術が不可欠です。バンドのライブが下手くそに聞こえる原因のほとんどはミックス担当者の腕の悪さだとさえ言われています。

 

アコースティックギターの音量問題

クラシックの分野で古くから問題とされている編成の最たるものはギターとオーケストラの演奏です。ご存知の通りクラシックギターは音量が非常に小さい楽器であり、そのままの編成ではオーケストラの音に完全に負けてしまいます。それを防ぐために、クラシックの演奏であるにもかかわらず、マイクを使用することがあります。

ギター+オケの曲は当初から音量バランスに問題がある欠陥編成だとさえ言われており、マイクによる電気増幅の恩恵を受けているジャンルだと言えます。

ja.wikipedia.org

ギター協奏曲全般についていえることであるが、クラシック・ギターの音量が小さいことからオーケストラが音のバランスに苦労することでも知られる。このため、オーケストラの音量を下げたり、ギターにマイクロフォンを置くこともある。

 

一般層のクラシックギターでもマイクが使用されています。

muse1997.com

 

・私が吹奏楽をやめた理由のひとつ

音量に関連して言いたいことが1つあって、吹奏楽が楽器編成をむやみに変更することは、作編曲者が想定した音量バランスを崩壊させる行為なので、できるだけ本来の楽器数で演奏してほしいな、ということです。

これは大学生の頃からずっと思い悩み続けていたことです。

幸いなことに大学で吹奏楽をやっていた時には音大教授の指揮者が(曲によっては)指定人数で演奏することを実践していました。そのサウンドは素晴らしいものだったと記憶しています。

 

多くの国内吹奏楽団がその演奏人数(楽器数比率)を変更し、私の曲をおかしなバランスで演奏した挙句に、「作曲(編曲)がいまいちだった」と言ってくることがありました。たしかに私の腕は未熟だったとは思いますが、そういうことがあったのも私が吹奏楽と積極的に関わらなくなった理由のひとつでもあります。「どうせおかしなバランスで演奏されるんだろうな」と思いながら曲を作るのはこの上ない苦痛だったわけです。

音楽とは音量と周波数です。それは演奏人数が変わればすぐに崩壊するものです。

 

学生吹奏楽がなかなか上達しない理由のひとつがこの音量バランス問題です。

未熟な奏者が不安定な人数で演奏しているので「そこは大きく」という指示が必要となり、結果として楽譜で指示された音量が無視され、読譜能力も身につきません。

 

吹奏楽に対する愚痴と音量バランス問題は話題が逸れるので、またそのうち。 

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