以前に別のブログの紹介文に掲載していた内容を移動、加筆しました。
音楽制作をやっている人の間でよく話題に挙がるので、音楽理論に対する私の考え方について書いておきます。
■音楽理論について
やりたければやれば良いと思います。
やらなくても音楽制作はできます。
音楽理論についての話は人によってさまざまな意見があります。
理論を勉強しても無意味とか、
むしろ勉強しないほうが良いと言う人さえいます。
自分が信じたやり方で良いというのが最終的な結論です。
人生の時間はあなたのものだからです。
音楽理論を身につける場合、2つのルートがあります。
自分自身を「勉強」という方法で上達するタイプだと思うなら、教科書で勉強して習得できます。学校の勉強が得意だったタイプ、そこそこの以上の高校・大学の人ならおすすめです。
学校での勉強が苦手で、「経験」「カン」で上達するだと自覚しているなら、教科書を読んでも効率が悪いです。どんどん曲を作って学んだ方が良いです。
身につけ方は人それぞれです。
すべての人に向いている学習方法は存在しません。
他人が音楽理論に対してどう思っているかを変えることはできません。
もし教えたいなら、教えられるレベルまできっちり身につけましょう。
あと、学習途中のレベルで音楽理論について論議しないほうが良いです。
自分の中途半端な理論で、相手の中途半端な理論を叩くだけになってしまいます。お互いの足を引っ張ることにしかならないので語らない方が良いです。
論議している暇があるなら勉強するか曲を作りましょう。
おすすめの音楽理論書を紹2014
http://ch.nicovideo.jp/dtm_ekimae/blomaga/ar455940
という記事も書いてあるので、教科書を買う際の参考にしてみてください。
■私の場合
独学後に専門学校の副科+個人指導でジャズポピュラーもクラシックもそれなりに修了済みです。が、劣等生でした。
今でも理論より感覚を優先しています。
ベースになっているのが幼い頃からいろいろな楽器でいろいろなジャンルを演奏してきた経験で染み付いた感覚こそが自分の特徴だと自他共に認めるところです。
たまにニコ生で「えきは理論できる」と言ってる人がいて、それはそれで嬉しくはあるのですが……私が理論をできている人だと感じるんだとしたら、それはかなりまずいレベルだと思います。(←追記。理論を語るレベルとしてまずい、ということ。作品の出来は理論の理解度とはほぼ無関係です。)
作編曲のレッスンで音楽理論について触れることはありますが、音大入試向けなどの理論のレッスンは行ってない、そういうレベルです。
■たとえで言うと……
音楽理論の存在意義について、たとえ話をします。
音楽理論の習得は「ケンカに勝ちたくて空手を習う」のと同じではないでしょうか?
音楽とケンカの話を並べてみると下のようになります。
もともとケンカが強い人は空手を学ばなくても強いです。
→もともと音楽が上手い人は、音楽理論を学ばなくても上手いです。
空手を習ってる人には素人では勝ち目が無いです。
→音楽を習っている人には勝ち目がないです。
かじった程度の空手では、強い素人に勝てないこともあります。
→かじった程度の音楽理論では、音楽が上手い素人に勝てないこともあります。
もともとケンカが強い+空手を習ってる人はバケモノです。
→もともと音楽が上手い+音楽理論を習っている人はバケモノです。
ついでにもうひとつ追加すると、
もともと弱いのに、理論も、ド根性反復練習もしないなら雑魚以下です。残念ですが。
音楽に限らず、好きなだけではどうにもならないことがあります。私が小学生の時に運動部に入れなかったのがまさにこれ。根本的に向いていないんだから、他のことをやった方が本人のためです。
音楽理論あるいは格闘技の理論がどーのこーのと素人談義をしてる間に、楽器や理論の反復練習をしたり、体を鍛えた人の方が強くなるのは当然です。
それでもあなたは音楽理論が不要だとか必要だとかいう話を続けますか?ってことです。
(もしマイナーな音楽理論の優位性を主張したいなら、それこそその理論を体現した作品を作るしか無いですし。語ってる場合じゃないです。)
何にせよ、理論について語っても上手くならないし、センスとやらも上がらないですし、作品も増えません。具体的に何もしていないんだから当然です。やめましょう。
「じゃあお前はどうしてこんな記事を書いてるんだよ。ブーメランじゃねーか」と思っている人がいるはずなので端的に述べておくと、そういう無意味な談義をする人は害悪だから減らしたいんです。そして、私やあなたに対して理論談義を持ってくる人がいた時に「それ意味ねーから黙って1曲作ってこい」と言って追っ払うべきだという考え方が広まって欲しいからです。ろくに音楽をやっていない人に限って理論話を持ってくるこの状況は、所構わず浅はかな政治話を持ってくる人と同じくらい害悪でしかないと私は考えています。冗談抜きで。
■理想じゃなくても継続しよう
いずれにしても、本を買うだけでは何も身につきません。
人の話を聞いているだけでは何も身につきません。
音楽をただ聞いているだけでは何も身につきません。
語り合うと参加している全員の上達時間が失われます。
知っている反復練習をするだけでも、多少の音楽力は身につきます。
自分よりできる人に教われば誰でもそれなりに身につきます。
もっとできるようになりたい欲があるなら、プロに教わった方が良いです。
教わるならできるだけ良い先生に教わった方が良いです。
でも、本当に良い先生はド素人に教えてくれることは、まずありません。
また、良いレッスンは高額です。
お金を出して教わったテクニックも、実際に使ってみないとコツが理解できません。金の無駄になります。
理想的には3歳の頃から最高の先生に教わるのがベストですが、誰もが理想の環境に生まれたわけではありません。だから「理想を言えば◯◯をやったほうが良いよ」とかいう正論に耳を傾ける必要はありません。
今できること、知っていること続けることだけが大切だと思います。
■理論をやるとつまらない音楽しか作れなくなる?
理論無しでも素晴らしい音楽を作っている人はいます。
しかし、「素晴らしい音楽を作るための条件=理論を学習していない」ということではありません。
理論を身につけるとダメになると言っている人は例外無く初歩の段階しかやっていない人です。
理論は身につけたほうがベターです。
そして、理論は身につけた上で、一度捨てるものです。
理論ってカラテの基本の「カタ」のことですよ。
カタがそのまま喧嘩で役に立つわけ無いよねってだけの話。
理論がそのまま作品に出るのではなく、理論で鍛えた自分が作品を作るということ。これを根本的に勘違いしている人が9割。
格闘技で言うと、「カラテとプロレスのどっちが強いか」みたいな話になる。強いのは個人であって、カラテの理論が強いという意味ではないです。
クラシック和声をやった人が強いんじゃなくて、ギター小僧だったのにクラシック和声をやるほど音楽を愛し、クラシックを毛嫌いするのではなくギターを持ったままクラシックの理論に飛び込んで、それでもロック魂を失わずにいるから良いんです。
つーか、理論を理論としてだけ教科書を読むだけで終わってる人が実にクソだ。しかもたいていネット上で声が大きい。
そこそこ以上勉強して、実際の曲でどう使われているかの分析をやれば、音楽の魅力は理論に宿っているものではないということくらいすぐに分かるはずなんです。そうやって楽曲分析やれば「あっはい、で何?」っていう程度のことばかりだと気がつく。結果として、音楽を面白くするのは理論ではない部分だと言うことが明らかになる。
これって「理論をやるとつまらない音楽しか作れなくなる」のと逆ですよね。
・感動するような理論なんて無いですよ
理論の教科書に書かれている程度のことで作れるサウンドなんて、もうすっかり世の中に溢れかえっているから、理論を学ぶ中で「すごい!こんなサウンドがあったなんて!」となることはまず無いです。「あー、こういうの聞いたことあるわー」ってなるだけ。もしそうならない人がいるなら、一体どういう生き方をしてきたのか疑問です。
いわゆる現代クラシックの無調や変拍子だって、映画やアニメ、ゲームの中で普通に聞こえてくる音ですし。
理論を学んでも「あー、あの音ってこういう理屈で出来てるんだー。で、だから何?」程度にしか思わないのが普通だと思うんです。
でもまぁ、それを習得するのはそれなりに大変です。体験したことがあるから作れると思っているなら、今頃私は一流シェフ兼プロサッカー選手だということになります。無理無理。(だからこそ彼らに敬意を持てる!)
・理論教えてと言う人こそ曲を作ってもらっている
私がやっている個人レッスンでは、原則的に理論オンリーの講義というものを行っていません。
よくあるパターンは、理論を教えてと言う人に曲を作ってきてもらって、その中でいかに理論的なことが盛り込まれていて、理論だけではなんとも言えない魅力があるかを説明しています。
そもそも個人レッスンで教わりたいというレベルまでやる気を持っている人は、すでに相当な理論をサウンドとして理解し、表現できているんです。
そしてまた、よくあるレッスン内容は「ここでは2つのアイディアが混在していて、何をやりたいのか整頓できていませんよ」という指摘をする場面です。でもこれって理論上のミスではなく、アイディアの実装時のミス(アレンジのミス)でしかないんです。
他にも良くあるミスはいくつかあるのですが、どれも音楽理論上のミスではないです。広い意味で言えば確かに音楽理論上のミスなのですが、それらのほとんどは「楽器の音域」の問題でしかないです。音域はたしかに音楽理論の範疇ではあります。でも、一般的に言うところの理論ではなく、基礎や楽典の段階の問題でしかありません。高度な理論を習得することで解決する問題ではなく、単に音域について無関心だったことによる音楽的破綻です。特にボカロをやっている人に多いです。理由は略。
・学習するなら必ず応用の段階まで身につけること
初歩の技術しか身に着けていないと、初歩の理論に縛られたつまらない音楽になってしまいます。
大抵の本は最後に「あとは自分の発想を大事に」という、投げっぱなしな終わり方をするものです。
初歩から始まって上級技術、応用することを身に着けて、自由な発想で音楽を作れる段階までは継続するべきです。
というか、初歩の理論だけで何かができると感じることは無いと思います。上述のとおりです。
・曲を作る時は忘れる
曲を作る時にいちいち理論のことを考えずにサラっと書けるレベルまで身につけるべきです。
日本語で話をする時に、いちいち文法のことを考えながら話をすることは無いはずです。
もちろん、目上の人と話をする時や、大勢の前で話をする時には、普段と異なる話し方になるので考えますが、それだってスラスラ話せないと逆におかしい言葉遣いになってしまいますね。
それと同じように、本当に身についた能力しか外に出ません。(矛盾する要素があるので後述)
スラスラ出ないということは身についていないということです。
良くも悪くも「手癖」になっているのが身についている状態です。
まずはワンパターンでも良いのでスラスラ使える手癖を1つ身に着け、そこを軸にしてバリエーションを増やしていくのが良いと思います。
間違った学習と実践の人は、完璧にできるまで何も曲を作らないとか言っています。そんなことしてたら数十年は曲を作れません。
・困った時に理論で「詰将棋」する
曲を作っているとスラスラいかないポイントが出て来るのは当然です。
そういう時はその箇所で必要になる理論を持ち出して「理詰め」で作るのが良いです。
すべてを理詰めで作れる人は非常に稀なので、気にすることはありません。
・知らないのに書けてしまう事案
理論として理解していなくても書けてしまいます。そりゃそうです。
格助詞の用法について教わる前に日本語を話せるようになっていたはずです。
音楽を作ることも同じで、なんとなくどこかで聞いた印象が自然と出てきてしまうことがあります。
・自作曲を分析するべきか?
後で自分の曲を分析してみると「なんだこいつすげーな」となるはずです。また、よほど理論について詳しくなっていないと、自分の曲の全てを理論で説明することは困難なはずです。
まれにある悪書が「自分の曲は理論として全て説明できるようにすること」と書いていますが、実際問題としてそれは間違いです。不可能に近いですし、必要無いスキルです。
ただし、理論の学習に主軸をおく場面(授業)では、それまでに学んだ理論のみを使って習作を作るのが正しいです。そうしないと身につきません。習作を作るのと、ゲージツを作るのは別です。訓練だと思って「縛りプレイ」をしなければ技術が身につきません。
多くの理論書で説明している過去の名曲だって、理論としてどう説明して良いのか分からない箇所があるからです。書籍にするために都合の良い部分を、理論的に説明し易い箇所を抜粋しているだけです。
また、過去の名曲の中で、明らかに既存の理論から見ると間違えている部分があるのは常識です。
もし自作曲を分析するスタイルを取るなら、今の自分の理論力では理解できない箇所がどのくらいあるかについてこそ研究するべきです。そこにこそゲージツが存在します。
・スラスラじゃなくて良いよ
たまに「3分間で3分の曲を作る」とか「2時間で作る」とかをやっている人がいますが、それはただのパフォーマンス、曲芸です。新製品のインストラクターが、店頭で見せる実演商売の技術です。
また、「プロなら数時間で作れないとダメ」というのも聞いたことがあるかもしれませんが、すべての曲を数時間で作っているわけではありません。大事に温めて、とても長い時間をかけて丁寧に作った曲もあります。
「この曲は何分で作った」というのは、スピード制作が必要になる状況での話であって、例外でしかありません。
スピード制作をする必要が無いのにそういうことに取り組むのは馬鹿げています。それは練習ではありません。
スピード制作を習得したいなら、ちゃんとしたカリキュラムを考えて取り組んでください。
なお、実演商売をやっているインストラクターはそういう技術を真剣に反復練習していますよ。砂時計を使いながら同じ曲を何度も作る練習をしています。そこにある理論は音楽の理論ではなく、商人の理論です。(もちろん、それはそれで素晴らし技術ですが。)
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■音楽理論を身につける場合のコツ
・読む量 < 実践する量
もしあなたが本を読むだけで学習できるタイプなら、鍵盤やDAWに触れずに学習できるかもしれません。
しかし、ほとんどの人はそういう学習方法では身につきません。
読む量よりも試してみる実践の量を多めにするべきです。
■毎週1つのテクニックを暗記しよう
「毎週1個の技を覚える」ペースで構わないです。
ゆっくり確実に覚えていくことをおすすめします。
・勉強と創作は別
また、新しく覚えた技術は「次の曲で使う」と割りきっていきましょう。
もしくは技術を試してみるための「短い習作」を作ってみましょう。
1つの曲を作っている間に勉強して身につけた新しい技術を、その曲の中に盛り込もうとすると、いつまでもその曲が完成しません。成長が邪魔になるんです。
(同様に、活動が一区切りするまではプラグインも追加したり、バージョンアップしない方が良いですよ!)
習作は8小節とか16小節程度でかまいません。1つのテクニックをためすために、1番2番の歌詞まで考えて動画まで作る必要はありません。あくまでも習作ですから、短い曲でテストをしてみるのが良いです。
そういう意味においても、「曲を作り続けることを9割+理論の勉強を1割」という音楽生活をするのがベストだと思います。
■コード理論の半分は即興演奏のためのもの
そういう理論は「プレイヤー志望」の人が身につけるべき理論です。
作編曲をメインフィールドにするDTMの人には不要です。
これが何のことを言ってるのか分からないならそのままで良いです。必要ない知識なので興味を持たなくて良いです。
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■雑学マウンティングに気をつけよう
理論の話になるとすぐに「無調音楽がー」とか「ノイズミュージックがー」とか「微分音がー」言い出す人がいますが、もし無調やノイズを作りたいわけでもないなら、自分に必要ない風変わりな音楽に関する理論の収集をやめましょう。
また、習得してもいないのに単語だけ出して「こんなのもあるよ」的な雑学自慢のための知識収集もやめましょう。珍しい物の話をしてマウンティングしたがっているだけの矮小な人間です。黙って他人の話を聞くことができないタイプの類型です。
今まで多くの人がそういう話題を突然持ち出してくることがありました。そういうことを言い出すのは、ほぼ例外なく超がつくレベルの音楽的初心者です。珍しい知識や新しい情報が好きなだけの雑学収集家でしかありません。
そういう話題を持って来られた時、私は逆に質問をして撃退することがあります。
「へぇ、あなた微分音や無調を使う音楽をやってるんですか?」
と聞き返すと「いや、やってないけど」と言うのがほとんどです。
近年のネットに多いですよねこういう人。
もっと酷い場合には「微分音について知っていることを教えてください」とか「具体的にどの曲の話をしたいんですか?YouTubeのURLあります?」と聞くと、具体的に何も勉強していないので完全に口ごもってしまっていました。
そういう人たちがやっているのは雑学や単語自慢でしかなく、音楽ではないと思います。
音楽の勉強をしたいのであれば、そういう「雑学の一環として音楽に興味を持っているだけの無能」たちから遠ざかることがまず大事だと思います。
自炊のために料理の勉強をしているところに突然やってきて「世の中にはウンコから作る料理もあるよ」と言うような頭がおかしい人たちなので、付き合う価値がありません。お前はウンコでも食ってろ。
吉田兼好は「何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」と言っています。変わった知識の名前を覚えるより、基本をマスターしましょう。